なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

父北村雨垂とその作品(49)

昨日は鶴巻に客が見え、連れ合いと3人でその客の要望で小礼拝をしました。私はヨブ記38章の嵐の中からヨブに語られた神の言葉から感想を述べました。高村光太郎の「死ねば死に切り、自然は水際立つ」という言葉にも、一人の人間の生死に関わる存在を超越する…

黙想と祈りの夕べ通信(51)

以下の「黙想と祈りの夕べ通信」には「老いについて」の言葉があります。私は福音と世界の随想メッセージで、確か2011年10月号ではなかったかと思いますが、その10月号は9月半ばに発行されることを意識して、「関係としての『老病死』」について書きました。…

父北村雨垂とその作品(48)

一昨日に名古屋時代のHさんと品川でお会いし、夕食を共にしました。その方は、年に数度自分が家庭集会で話したことや聖書研究で書き溜めたものを、東京に来た折に、私に読んでくれるようにと、その原稿をわたしてくれます。昨日の日曜日にも品川のホテルから…

船越通信(33)

船越通信癸械魁 。横娃隠映11月27日 ・11月20日の日曜日は礼拝後、アドベントの準備をしました。船越教会の礼拝堂の前に飾られるアドベント飾りは、なかなか芸術性があり、素晴らしいものです。船越教会の伝統で、毎年同じ飾りなのでしょう。礼拝堂正面…

マルコ福音書による説教(24)

昨日弁護士から私の訴状を東京地裁に提出したと連絡がありました。これで教団における私の戒規免職処分の是非を巡って本格的な裁判になります。みなさんのご支援を心からお願い申し上げます。さて、本日はマルコ福音書による説教(24)を掲載します。 マル…

黙想と祈りの夕べ通信(50、復刻版)

11年前の黙想と祈りの夕べで私が語ったことは(下記)、最近教会の聖書研究でテキストにしています本田哲郎さんが『聖書を発見する』の中で言っていることに通じるように思えます。本田哲郎さんは、釜が崎の労働者の中にキリストを発見しているようです。釜…

黙想と祈りの夕べ通信(49、復刻版)+α

最近時間がある割には、本を読むペースが落ちてきています。裁判のことがあり、その立ち上げで時間をとられ、そこに心が向いているからでしょうか。本年4月から自分の生活が、週の前半が秦野市の鶴巻に後半が横須賀の船越教会にというように、二分されている…

黙想と祈りの夕べ通信(48、復刻版)

今朝鶴巻を6時前に出て、神奈川教区の拡大社会委員会に出る前に船越教会に寄り、必要な仕事をしました。休日だというのに小田急も結構人が乗っていましたし、相模鉄道も京浜急行も満員に近い状態でした。朝早い時間ですのに、びっくりしました。レジャーの人…

父北村雨垂とその作品(47)

父北村雨垂とその作品(47)を掲載します。今日の鶴巻は大分寒くなりました。午後は晴れて、丹沢の山並みの稜線がきれいです。久しぶりにゆっくりと過ごしています。昨夜はお隣の小田急小田原線東海大学前駅の近くにある「さざんか」という天然温泉に行っ…

父北村雨垂とその作品(46)

昨日は、11月にはめずらしい前日夜までの暴風雨もあがり、これも11月にはめずらしい暖かな陽気になりました。礼拝後、アドベントの飾りの準備を少人数でしました。私は午後4時ごろまで、その日午後5時半からと7時から予定していました二つの集まりの準備をし…

船越通信(32)

船越通信癸械押 。横娃隠映11月20日 ・11月13日の日曜日は礼拝後、礼拝堂の前にあった大きなテレビを、外階段下まで持っていく作業をみんなでしました。幸い成人男性が5人そろっていましたので、何とか運ぶことができました。電化製品ですので、引き取っ…

マルコ福音書による説教(23)

マルコ福音書による説教(23) マルコによる福音書6:30-44 ・30節に、「さて、使徒たちはイエスのところに集まってきて、自分たちが行なったことや教えたことを残らず報告した」とあります。これは、6章6-13節に記されていましたイエスによる…

黙想と祈りの夕べ通信(47、復刻版)+α

先日神奈川教区社会委員会から7名がボランティアとして新生釜石教会に派遣されたことは、このブログでも触れました。私の連れ合いもボランティアの一人として参加させてもらいました。ちょうど昨日手元に届いた「キリスト新聞」に下記のように、あるシンポジ…

黙想と祈りの夕べ通信(46、復刻版)

教会のメンバーの中には平和を守るためには軍隊が必要であるという考えの持ち主もいます。私は軍隊はいらないという考えですが、そのような私の考え方に対して「絶対平和主義」では国を守ることはできないという批判を一部の教会員の方から今までも受けてき…

黙想と祈りの夕べ通信(45、復刻版)

以下の10年以上前に発行された「黙想と祈りの夕べ通信」にグループリビングということが出てきます。その後テレビなどから、擬似家族的なアパートの紹介があったりして、肉親の家族ではなく、赤の他人が家族のような共同生活を実験的に行っているという事例…

父北村雨垂とその作品(45)

以下の父の作品ノートからすると、父は「私」をテーマに随分苦闘していたことが分かります。人間は個体としては一生物種としての生命体ですが、社会的存在としては、一体何なのかを把握するのはそう簡単なことではありません。私とは何ものなのか? このテー…

父北村雨垂とその作品(44)

父の作品が川柳としてどう評価されるのかは分かりませんが、その句を読んでいて、ときどき父の資質の中に自分と同じものを感ずる時があります。キャバレーの句などにもそれを感じます。父本人から聞いたのか、他の人から聞いたのかは忘れてしまいましたが、…

船越通信(30)

船越通信癸械亜 。横娃隠映11月13日 ・11月6日は永眠者記念礼拝でした。礼拝堂に船越教会との関わりの中で帰天された方々の写真が置かれ、ご遺族の方もお二人が礼拝に出席しました。私は説教で死者も生者も天と地と住み家は異にしていますが、共に神の大…

永眠者記念礼拝説教(11月6日)

「死も引き離せないもの」 ローマの信徒への手紙8章28-39節 2011年11月6日 永眠者記念礼拝 船越教会 ・今日は永眠者記念礼拝としてこの礼拝を守ります。 ・今年は3月11日の東日本大震災で沢山の方々が亡くなりました。今も行方不明の方がいらっしゃ います。…

黙想と祈りの夕べ通信(44、復刻版)

先週の日曜日は永眠者記念礼拝でした。船越教会では2名の方のご遺族が礼拝にいらっしゃいました。一人は召された母上が船越教会に関わっておられた方でした。今はお連れ合いが特養(特別養護老人ホーム)での生活をして7年になるということでした。できるだ…

黙想と祈りの夕べ通信(43、復刻版)

昨日は、「北村慈郎牧師を支援する会」の発送作業が行われました。事務局の人と他からの応援もあって、約1200通を発送することができました。私は今日、下記のようにお手伝いくださった方々へのお礼のメール出しました。この思いが私の裁判に取り組む姿勢で…

黙想と祈りの夕べ通信(42、復刻版)

10年以上前の「黙想と祈りの夕べ通信」を読んでいて、その当時のことを想い起すことがあります。下記に記してありますホームでパニック状態になって入院した方については、牧師生活42年の中で、おそらく最も時間をかかけて関わった方だと思います。事情があ…

父北村雨垂とその作品(43)

この4年半とう時間が、日本基督教団との関わりにおいて私にとって何であったのかを問い、それを明らかにする意味もあって、私は戒規免職処分を不服として裁判をすることにしました。その裁判がいよいよ本格的に始まろうとしています。明日「北村慈郎牧師を支…

父北村雨垂とその作品(42)

今日は「父北村雨垂とその作品」(42)を掲載します。 父北村雨垂とその作品(42) “道化師” (この作品は、前に既に掲載してあるかも知れません。父の作品が書かれたノート数冊の中には、改めて自分の句をまとめ直したものもあるようですので、重複する…

船越通信(30)

船越通信№30 2011年11月6日 ・ 10月30日の日曜日は礼拝後、何時ものようにお茶の時間を持ち、散会しました。私はこの日面談があり、午後3時過ぎに連れ合いと船越教会を出て、鶴巻に向かいました。お茶の時には、11月27日の礼拝後に開催を予定してい…

マルコ福音書による説教(22)

マルコ福音書による説教(22) マルコによる福音書6:14-29 ・ ・今日は、マルコによる福音書6章14節以下からイエスのことを考えてみたいと思います。福音書の中には、直接イエスの語られた言葉や行われた行為として物語を叙述している部分と、間…

黙想と祈りの夕べ通信(41、復刻版)

11月になり、私には小さな喜びがあります。前にも書きましたように、鶴巻を牧師隠退後(まだ船越教会で週の後半は牧師として働かせていただいていますので、半分の隠退ですが)の場所に選んだのは、鶴巻温泉と言われるように、この鶴巻には温泉があるからで…

黙想と祈りの夕べ通信(40、復刻版)

以下の「黙想と祈りの通信」に出て来ます鎌倉静養館での隔月の聖書の学びの会からは、本当に沢山のことを教えられました。本年3月紅葉坂教会を辞めることが決まっていましたので、昨秋9月ごろを最後に、今は行っていません。鎌倉静養館はキリスト教主義の経…

黙想と祈りの夕べ通信(39、復刻版)

【私の裁判準備の現状報告とお願い】(1) は、2011年10月26日のブログです。そこをご覧下さい。 以下、「黙想と祈りの夕べ通信」(39、復刻版)を掲載します。この通信に書かれていることは、10年前ですが、特に東日本大震災後の現在の日本の状況を考え…

父北村雨垂とその作品(41)

この頃の父の作品は、日本の国が戦争に突入しつつあった時代ではないかと思われます。その句にはまだ批判精神が表れているように思われます。「佛像に香煙絶えず坊主太る」などは、私も一応宗教家として飯を食ってきた人間としては耳が痛い句です。 父北村雨…