なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(39、復刻版)

 【私の裁判準備の現状報告とお願い】(1) は、2011年10月26日のブログです。そこをご覧下さい。
 
  以下、「黙想と祈りの夕べ通信」(39、復刻版)を掲載します。この通信に書かれていることは、10年前ですが、特に東日本大震災後の現在の日本の状況を考えますと、今も同じ問題提起になっているように思われます。
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信 39 2000・ 6・25発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では、その日の礼拝後に開かれた「寿について学ぶ」集いで、日雇い労働者・野宿者の現状についてさまざまな事例を出して話してくれましたKさんの講演との関連で、ひとりの姉妹が以下のようなお話をしてくれました。
 偶然先週の金曜日の夜目が醒めて、FMラジオの深夜便を聞いていたら、関西のあるお医者さんのことが放送されていた。そのお医者さんは、今日本の社会が大きく変わろうとしているときに、今考えるべきことは何かと自分に問い、阪神・淡路大震災後の孤独死がなぜ起きるのかを追跡するようになったという。低所得で慢性の病気を抱えて、人知れず死んでいく孤独死者。復興住宅で一年30人位の孤独死がある。その一人一人を追跡して、なぜ死ななければならないのか、その原因と理由を突き止めようとしている。ひとりの鳶職だった人は、怪我して仕事ができなくなり、家族からも見捨てられて孤独死した。またある人は被差別部落出身で、たどって行くと、職業差別されていた。またある人は、低所得のために病気になっても治療を拒否した。それは慢性の病気になれば、医者にかかれるから、それまでは医者にかからないと。このお医者さんは、こういう人たちが共に生きられるようでなければ、日本が先進国とは言えない、とおっしゃていたそうです。
 彼女は、寿に関わるKさんもこのお医者さんも、クリスチャンではない。でも、日雇い労働者・野宿者の人たちと、また阪神・淡路大震災による孤独死の人たちと、裸でぶつかっているという感じがする。自分は生まれた時からキリスト教の世界につかっていて、人との直接的なふれあいに促されて、生身で出て行くというよりも、どこかで自分は神に守られていて、ボランティアをということになってしまうところがある。どこかできれいごとでいる自分を感じてしまう。生身の自分の思いで歩めるようになりたいと。
 また、ひとりの姉妹は、今日は教会のお隣の宮崎地域ケアプラザで、40人の一人暮らしのお年寄りを招いて、薬膳料理を食べる会があり、自分も食事作りのボランティアの一人として参加した。初めてのことなのでどうなることかと思っていたが、とても順調にできた。食事をいただいているお年寄りの方も、雨でなくてよかったと言って喜んでくれた。第2回、第3回と続けていけたらと願っている。礼拝には出れなかったのが気掛かりだったが、この「黙想と祈りの夕べ」があるのでよかった。今日一日とても充実した日を過ごせて感謝していると。
 私は、Kさんのお話を聞いて、Kさんの姿勢に共感しましたので、そのことを話しました。一つは、私の言葉で言えば、あるべき未来を信じるということです。日雇労働者・野宿者の運動に取り組んでいて、Kさんの原点は、ベトナム戦争の時の北ベトナムの民衆の粘り強い戦いにあるとおっしゃっていました。軍事的には圧倒的にアメリカが優位だったにも拘らず、ベトナム戦争アメリカの敗北に終わりました。勝利を信じて不屈の戦いをした北ベトナム民衆のように、日雇労働者・野宿者の解放を信じてパトロ-ルを続け、炊き出しを続けていきたいと。もう一つは、一人では何もできないので、一人でも二人でも仲間を増やして行くことだと言われました。Kさんは私たちに、寿に来て、自分の生活の場で寿のメッセンジャ-になって欲しいと訴えられました。私は、この二つのKさんの姿勢を共有したいと思いました。