なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(280)復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(280)」復刻版を掲載します。


        黙想と祈りの夕べ通信(280[-19]2005・2.13行)復刻版


 去る日曜日の夕方から夜にかけて寿のろばの家で青年ゼミが行われました。今年度第3回目です。毎年

3回目の青年ゼミは「しゃべり場」と銘打ち、寿の青年ゼミや越冬に参加しての感想と話し合いを中心に

しています。今回はひとつ新しいことがありました。それは中越地震の報告があったことです。二人の方

から報告がありました。一人はボランティアとして現地でコーディネーターをして来られた横浜YMCAの職

員をしておられるMさんからの報告です。現地の写真をパソコンからシーツで作った即席の幕に映しなが

らお話してくれました。特に被災地の現在は雪の被害が重なって、大変厳しい状況であることが、映され

た写真によってよく伝わってきました。続いて朝日新聞の横浜総局の記者であるSさんが報告してくれま

した。Sさんは実家が被災していて、震災直後の実家の家と現在の雪が屋根に積もっている写真をコピー

して参加者に配ってくれ、実家の家は取り壊さざるを得ないということでした。新聞記者らしく、いくつ

かの震災の記事もコピーしてきてくれて、その記事の表現の微妙なニュアンスについても説明してくれま

した。Sさんは昨年の11月末に行われた第2回の青年ゼミと年末年始の越冬にも参加して、朝日新聞

寿の記事も書いている方です。Sさんの話の中で、日本社会は中間層が多いひし形の社会から三角形の社

会に変貌してきているということが指摘され、最近は貧富の格差が広がり、底辺の人も多くなっていると

いう話がありました。

 中越地震の報告会の後、十数名の参加者でしたが、二つのグループに分かれて話し合いました。私のグ

ループは6人でしたが、その中に上記のSさんとは別の朝日新聞横浜総局の記者のOさんがいました。彼は

寿の集まりに初めての参加で、新聞記事に寿のことを書いたことがあり、Sさんに誘われて今回参加した

ということでした。そのOさんが、寿との関わりで自分がどのようなスタンスで関わったらいいのか、ま

だ自分としてもよく分からないでいるという発言をしました。寿青年ゼミでは「来て、見て、触れて」を

キャッチフレーズにして、寿で生活している人々や野宿を強いられている人々との直接的な出会いと触れ

合いをテーマにしています。そこで青年ゼミに参加した者たちが何かを感じ取り、自分たちのこれからの

生き方を考える契機になればと願っています。とは言え、参加者の中には必ず自分たちには何が出来るか

という問いが生まれます。中には稀にその問いの持続によって寿に居ついてしまう人もいるのかも知れま

せん。しかし青年ゼミの参加者のほとんどは寿との関わりは一過性のものに過ぎません。大学を卒業して

就職すれば、ほとんどの人は寿に来ることはありません。ほんの少数の人たちは、社会人になってからも

時々寿の炊き出しやパトロールや越冬に来ます。今回の話し合いの中で、寿に何ができるかという発想で

の発言が一、二ありました。それに対して私は、そういう発想で考えるよりも、寿や野宿を強いられてい

る人たちを生み出しているこの日本の社会の問題をきちっと捉え、自分がこれからこの日本の社会で生き

ていくときにそのことを考え、寿や野宿を強いられる人たちを生み出さないような社会をどうしたらつく

りだせるのかを自分の課題として欲しいという主旨の発言をしました。時間が来て、もうひとつのグルー

プの人たちが私たちのいた部屋にやってきました。その中に50代後半で寿に40年くらい住んでいる

S’さんがいました。S’さんに寿に住んでいる人は何を望んでいるかを聞いてみました。そうしたら、

S’さんは即座に「仕事が欲しい」と言われました。自分が仕事をして稼ぎそれで生活することが、健康

でまだ働くことが出来る人にとっての人間としての誇りなのだということを、S’さんの発言によって改

めて強く感じさせられました。