なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

信じ抜く

横浜の寿町、東京の山谷とともに、日本の三大寄せ場と言われる釜ケ崎で活動されているカトリックの神父さんの本田哲郎さんは、「信仰」を「信頼して歩みを起こす」と訳しています。 先年のアテネ・オリンピックで野口みづきさんが女子マラソンで優勝しました…

箱舟を作る

聖書の使信(メッセージ)癸掘 創世記のノアの洪水物語では、洪水による人類の滅びを超えて、神への応答の責任を負うべき人格としてノアが神によって選ばれます。ノアについては、6章9節で、「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった」と記されて…

楽しい今。

私は、今月の終わりに3日間、キリスト教主義の女学校の自然教室に講師として参加することになっています。高校2年生の自然教室です。 私もかつてキリスト教主義の男女共学の学校に中学、高校を過ごしたことがあり、自然教室と言ったかどうか忘れたが、2泊3…

神様の後悔

聖書の使信(メッセージ)癸供 兄弟アベルを殺したカインの末裔は、堕落の一途をたどります。都市が建設され、社会が複雑になるに従って、ますます神の意に反することを人間はするようになります。人間は神の創造された世界の中で、神の似姿に造られ、神に代…

信と不信

聖書の使信(メッセージ)癸 5月11日「第一のもの」(癸院法5月12日「自由は重荷か?」(癸)、5月16日「責任転嫁」(癸)、5月18日「臨界を越えると」(癸粥砲蓮以前教会の日曜礼拝で、聖書全体の流れを追って、一体聖書は私たちに何を語りかけているのか、をお…

臨界を越えると、

私たちには根強い自己弁護、自己正当化があるように思われます。私自身の中にもあります。 創世記3章の堕罪物語以降、一度神から離れた人は楽園より益々遠ざかります。罪と死に絡まれた人間は、人と人とが互いに協力してこそはじめてこの世を生き得るのに、…

責任転嫁

神の命じる、食べてはならない善悪の木の実を食べてしまったアダムとイブは、食べてはならないという神の命令を破って何故食べたのかを神によって責められたとき、二人ともそれぞれアダムはイブに、イブは蛇に責任を転嫁して逃げました(創世記3章)。 自分…

自由は重荷か?

アンビバレントという言葉があります。日本語に言い換えますと「両価的」とか「両義的」と訳されます。 日本語で「両価的」とか「両義的」といわれても、ことばを聞くだけではよく分からないでしょう。字を見ると分かり易いかも知れません。「両価的」の「両…

第一のもの

初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)。聖書の最初の書き出しがこの言葉です。 私たちは何を「第一のもの」としているでしょうか。人間にとってその人が何を第一にしているかということは大変重要なことです。それによってその人の生き方が違って…

命こそ宝?

弁証法などと難しいことを言わなくとも、物事には一面ではとらえきれない多様な実体があります。 沖縄で戦後米軍基地反対闘争の先頭に立って闘った阿波根昌鴻さんに、岩波新書から出ている『命こそ宝~沖縄反戦の心~』という著書があります。「命こそ宝」こ…

人間が壊れる

「人間が壊れる」ことの恐さを感じます。 人間が人間として生きていくためには、その人が生きていていい、という絶対的な肯定が必要だと思います。ある人は体内の時期から生まれて一年迄の赤ちゃんのときに、その人が母親からも周りの大人からも大切にされて…

品性ということ

昨日朝、テレビで『国家の品性』という本を書いた著者のインタビューが放映されていました。小泉首相をはじめ現在の政府が推し進めてきた政策が、日本の国家の品性を著しく格下げしてしまったということを、色々な面から語っていました。その発言はなかなか…

赦しと許し

連休中です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は遠出はせず、出かけても近場で少しのんびりと過ごしています。でももうすぐ連休も終わりです。 キリスト教信仰の中で神の「赦し」は中心的なメッセージです。このことに信仰者は誰も異存はないでしょう。…

系図

昨日の礼拝説教でマタイによる福音書の1章1-17節を扱いました。私はこれから日曜日の礼拝説教はマタイによる福音書を順次扱っていくつもりです。この箇所はイエスの系図が書かれているところです。よく新約聖書を読み始めて、最初の系図で躓いてしまい、読む…