「人間が壊れる」ことの恐さを感じます。
人間が人間として生きていくためには、その人が生きていていい、という絶対的な肯定が必要だと思います。ある人は体内の時期から生まれて一年迄の赤ちゃんのときに、その人が母親からも周りの大人からも大切にされて育ったかが本当に大事だと言います。
赤ちゃんがお腹をすかせたときに、言葉で表現できない赤ちゃんの発する信号をすぐキャッチして、お乳を飲ますとかミルクを与えるとかして周りの大人がその欲求をすぐに受容するのです。すると赤ちゃんは自分の欲求が認められるので、ああ生まれてきてよかったのだと、体で知っていくでしょう。
その反対に、いくらお腹をすかせて泣いても、何も与えられないとしたらどうでしょうか。赤ちゃんの体が生きることを否定されていると感じるのではないでしょうか。
その時期の赤ちゃんの父親と母親の仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていて、母親の精神状態が大変よくないとすると、赤ちゃんへの影響があり得ると思います。もちろんそのことが赤ちゃんの人間形成にとって絶対的であるかどうかは分かりません。そう言う人もいるかもしれまんが。
いずれにしても、人間は人間的な関係の中で人間になっていくことは間違いありません。現代の社会では、人間は人間的な関係の中で生きるよりも、人間が物のように扱われることが大変多いのです。職場や商業施設での私たちは一人の人間として人間的に扱われているでしょうか。労働の機械のように、財布の顔をした購買者として扱われているのではないでしょうか。
もし、人間的な関係がどんどん希薄になっていく社会であるとすれば、人間は壊れてしますでしょう。現在は家庭さえ、人間が人間的な関係を享受できる場所ではなくなろうとしています。
荒野のような社会で人間が獰猛な動物になっていくのを止めることができる道があるのでしょうか。よくよく考えてみなければならない現代社会を生きる私たちすべての課題ではないでしょうか。