なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

命こそ宝?

弁証法などと難しいことを言わなくとも、物事には一面ではとらえきれない多様な実体があります。

沖縄で戦後米軍基地反対闘争の先頭に立って闘った阿波根昌鴻さんに、岩波新書から出ている『命こそ宝~沖縄反戦の心~』という著書があります。「命こそ宝」こそ、「沖縄戦というこの世の地獄を経験し、そして敗戦後の半世紀、ずっと基地反対闘争を闘ってきて、もう90歳になる」阿波根昌鴻さんが、生涯をかけて伝えたいことばだと言います。

阿波根昌鴻さんの場合は、その重い体験の中からこの言葉が出てくるわけですから、すごく説得力があります。

ただ私たちが、子供たちや若者に向かって、「命こそ宝」なのだから「命を大切に」しなきゃだめよと言う場合、阿波根昌鴻さんほどの説得力があるでしょうか。ないように思うのです。正しいことを言っているのですが、「命は大切に」という言葉が、相手の体に跳ね返されて、語る者の方に返って来てしまう感じがするのです。

これは何なのだろうか? ずっと私はそのことを考えてきました。そして暫く前に、ある機関紙を読んでいて、星野富広さんの以下の言葉に出会いました。

「いのちが一番大切だと/思っていたころ/生きるのが苦しかった/いのちより大切なものがあると知った日/生きるのが/嬉しかった」

「いのちより大切なもの」が、ヤクザの親分だとか国家だとか会社だとか言われると困まりますが、この星野富広さんの言葉に出会って、なるほどと思わされました。「使命」とは「命を使う」と書きますが、命は何に命を使うかによってその真価が問われるのかも知れません。

エスという方が何に命を捧げて生きたのかを知りたいと思って、私は聖書と格闘しています。