なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(67)

 昨日の船越教会の礼拝には沖縄からO・H牧師とお連れ合いのEさんが出席しました。ご夫妻は、28日の土曜日には、青山東京ウイメンズプラザホールで行なわれた高岩仁監督の「教えられなかった戦争」シリーズの一つ、戦後沖縄伊江島における米軍のブルトーザーによる土地収用に非暴力抵抗で反対運動の中心になって闘った阿波根昌鴻さんを描いた「沖縄編」の上映とO・H牧師の講演のために、29日の日曜日午後4時からは、駒込琉球センターどうたっちでO・H牧師のお話とOさんEさん夫妻の懇親会があり、28日、29日と東京に来ていました。そこで日曜日の午前中の礼拝を守るために、わざわざ船越教会にいらしてくださったというわけです。

 礼拝後O・H牧師にお話をお願いしました。最初に今回東京に来られた理由を短く述べ、日本政府は沖縄を犠牲にして日本の国を守り、今もそうしている。沖縄が日本の国の一部ならば、本来対等に分かち合うべき米軍基地負担を現在のように圧倒的に沖縄に押し付けているのはおかしい。沖縄の人口は130万から140万である。日本の人口は1億3千万人であるから、沖縄は日本の全人口の1パーセントである。99パーセントのみなさんが沖縄の問題を自分の問題として受け止めて行動していただきたい。沖縄の米軍基地負担は日米安保条約によるもので、この安保条約を撤廃し、沖縄から米軍基地がなくなるまで、私はこのことを訴え続けると。

 一人一人の人間としての尊厳が大切にされる社会の形成には、自分の人間としての尊厳を大切に私たち一人一人が生きると共に、他者である隣人の尊厳を同時に大切にすることが必要でしょう。そのような個の尊厳をベースにした社会の形成がめざされなければならないと思いますが、現実の日本の社会は政治も経済も文化も資本と暴力に犯されているように思われてなりません。

 O・H師は、礼拝後昼食を共にし、船越教会から送り出すときに、「共に歩みましょう」と私に言われました。その言葉を、私は、沖縄とヤマトという生活している場は違っても、一人一人の人間の尊厳が大切にされる社会の形成に向って共に歩みましょう、というメッセージとして受け取りました。

 今日は「父北村雨垂とその作品(67)」お掲載します。



                 父北村雨垂とその作品(67)

     さくら

 花吹雪 生きる悲願(ひがん)の核 分裂

 花吹雪 哲学(ソフィスト)も死ぬ 運命(モイラー)も死ぬ

 花吹雪 掌に 死んだ児を 踊らせる

 庭に一株のさくらが咲いた 家庭裁判所

 浮かぶ さくら 思想のミイラ 水溜り

 花吹雪「庶民」私の倖を みた

 花吹雪 私の夢も 空轉 した

 伽羅を焚け 万葉を描け 山桜

 夜は 野犬の背に はらはらと サクラ

 花吹雪 郷愁は 古い倫理で あらうか


   
     ペンギン  三部作


 夢だった 道化師 汗を握ていた

 千仭の底へ いしくれ おどるのだ
 
    時間 空間 貨幣(きん)の 王冠



 くるくる 眞昼 目玉のうえの 道化師だ

 笑ってる 鬼(おに)の面だよ いしくれだ
 
   主観 客観 貨幣(きん)の王冠(おうかん)



 道化師を消す 黒幕が おりたのだ

 水に浮く それを いしくれ 夢にみた

   羅漢 円環 貨幣(きん)の 王冠  



       あしかび  三部作

 ひょうひょうと 風 たちさわぐ 虚無の有

 深淵なんぞ 一点 無限 まるい南
 
   世界が姙む 夢がみた 夢



 カンバスが 白夜 四角を画に描いた

 大地なき足下に 動く 非有 非無
 
   深淵の中の 偶然の壁(かべ) 



 偶然の壁に 矛盾の合理 満つ

 昨日なき 陣痛終る 過 現 未

   あしかび を生む 靜止なき靜