なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(68)

 今日はこれから鶴牧から横須賀の京急久里浜駅まで行き、そこで船越教会の青年が運転する車に乗って、横須賀の路上生活者のパトロールに行きます。横須賀では別に週1回(?)のパトロールが行われていますが、今日の会は元々船越教会が路上生活者の方々のために月1回シャワーを提供し、昼食を共にする「シャワーの会」から始まっています。昨年4月に私が船越教会の牧師になった時には、この「シャワーの会」は既に現在のパトロールの形になっていました。自動車を運転する青年のほかに一人の教会員の方がおにぎりを30個ほど作って、パトロールで出会った路上生活者の方に差し上げています。いつもは青年と私の他にもう一人が加わっていますが、今日は最近船越教会の礼拝に時々出席しているもう一人の青年も加わることになっています。今日のパトロールは横須賀の久里浜浦賀、横須賀中央近辺の公園と路上にいる方を見つけて、体調を確認しおにぎり等を渡します。前月の時は大変寒かったので、公園にはほとんどいらっしゃいませんでした。今回も同じだと思いますが、一応パトロールをします。毎回のパトロールで出会う路上生活者は5名から10名の方々です。

 さて今日は「父北村雨垂とその作品(68)」を掲載します。


             父北村雨垂とその作品(68)

    妻 ユキの死 旧姓 生沼

 親類が こんなにあった 北枕

 人生はこの六尺の箱に 閉づ

 病人の 睫毛(マツゲ)が 濡れてから 悟れ



    母 疾む

 諦めの中に 誤算を こいねがい

 昏々と 時計の下の 水枕

 こしかたは 母に 茨の道 ばかり

 つつましく 疾めば 寿命を 待つ如し

 さあ これが 奇蹟と云って 投げだされ


    月  五句

 (五句とありますが、ノートには2句だけ記されていて、三行が空白となっています。)

 
 獨り居が 出来ることなら 月へ行く

 人絹か 葱の艶かな 月の肌



    義兄 梅栄の死 姓:佐藤      四句

 とても治るまいに 水薬 淡々と匂う

 時間(とき)をさす ピンを探せと 血の叫び

 陽におどる 塵もいとしき 棺の前

 火葬場の 白い煙りに 飽かぬ日ぞ



    無題

 風と語る 柳は 孤獨を 疾むらし

 無花果の葉は 瞭(あきら)かに 智恵の人を

 桑の実や モーパッサンを ふところに

 天の河 思念の風は 墓石に

 百合(ゆり) 匂う 鎌倉山に 正午(ヒル)の天

 父の血が 母の血が 噴く 彼岸花

 夢に描いて 匂う えくぼが 現在(いま)に 在る

 浜木綿(はまゆう)に ホステスに儚(はかな)しと 今宵(こよい)

 絶望の蝶は 峠(とうげ)で 貝となる

 獅子(しし)と鷲(わし)が ドッキングした 悲喜劇