なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2009-01-01から1年間の記事一覧

聖霊が降るということは?

・聖霊が降るということは、こういうことなのだろうか。そんな体験を今私はしています。 ・日本基督教団という教会の牧師を私はしていますが、日本基督教団という教会は今全体的にはほとんど すでに終わっている教会のように思えます。すでに終わっていると…

説教「小さな声」

「小さな声」 使徒言行録16:6-10、降誕前第8主日 2009年11月1日(日)合同礼拝説教 ・今私たちが属する日本基督教団というところでは、「日本伝道150年」ということで、イベントが行わ れています。すでに6月24日でしたが、日本基督教団が生まれた日に記念…

地球人もただの人

人間って不思議な存在です。獣や鳥や魚や昆虫の種であれば、恐らくその種が存続する限り、多少の進化はあっても100年単位で見ればその種の存続に必要な自然環境を探し求めながら殆ど変わらないでその生存を続けていくでしょう。 ところが人間の場合、100年単…

説教「祈りの格闘」

「祈りの格闘」創世記32:23-31、マタイ26:36-46、 ・本年5月に98歳で召されたYさんが、生前常々おっしゃっていたことがあります。大学生の最愛の息子を 事故で失って、神はなぜ自分の息子を奪ったのかが分からずに苦しんでいたそうです。彼女は、その頃 フェ…

決め付け

私たちの中に、ともしますと他者に対してその人のありのままを受けとめようとするのではなく、自分の決めつけで他者を判断してしまうことがあるのではないでしょうか。最近ある本を読んでいて、「決めつけ」について、大変鋭いことを書いた小文に出会いまし…

説教「まだ望みがある」

以前教会の礼拝で語った説教です。私のブログとしては少し長く成りますが、読んでいただければ幸いです。 「まだ望みがある」 IIコリント5:17-19、子どもと大人の合同礼拝説教 イエスさまは十字架にかかる前に弟子たちの裏切りを予告しました。「あな…

共に笑い、共に泣く

今日はキリスト教入門講座で、富田正樹著『信じる気持ち~はじめてのキリスト教~』の「クリスチャン的思考法」「共に笑い、共に泣く」の項目を学びました。この項目の中で引用されている聖句が二つあります。一つは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きな…

毎日ご飯を食べるように

「神は人を愛し、世界を愛したもう、理想的な人間ではなく、ありのままの人間を、理想的な世界ではなく、現実の世界を、愛したもうのである」(ボンヘッファー)。 このような神の愛を信じ、幼な子のようにその愛の中に生きることこそ、私たちの癒しであり解…

説教「のぼる」

少し長くなりますが、以前教会の「こどもと大人の合同礼拝」した説教です。 「のぼる」 使徒言行録1:6-11、 私は母親が20歳の時に死にました。死ぬ前の4,5年間筋萎縮症という難病で苦しみましたので、母親が死んだとき、私の中には死んだ母親に恥…

人が友のために

「イエスの喜びが満ちるために」ヨハネ福音書15:11-17、 2009年9月6日(日)合同礼拝説教要旨 ・ちょうど今から50年前に、私は高校生でしたが、この教会の礼拝にはじめて出席しました。11月の最初 の日曜日でした。その頃教会には高校青年会、通称KK…

来なさい!

ぼくが洗礼を受けたのは、1959年12月のクリスマスです。高校3年生でした。 その頃のぼくの家庭は、大変不安定でした。母が筋萎縮症という病気で、体が全く動かず家で寝ていました。父は会社倒産後に自分で小さな会社を作って仕事をしていましたが、思うよう…

まなざし

むかし読んだ絵本ですが、「はじめてのお使い」という絵本があります。お母さんからお使いをはじめて頼まれた小さな子どもが、ちゃんとできるかという不安と役割を与えられた喜びとが混ざり合った思いをもちながら、頼まれたお使いをすることができたという…

ただの人として

『パパラギ』という本があります。「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」です。文明人であるヨーロッパの白人の生活をツイアビが見て感じたことが批判的に書かれています。その一節に、自分の頭や手を「おれのもので、おれ以外のだれのものでも…

怒りの向けどころ

1998年頃から日本の社会では一年間の自殺者が3万人を越えるようになっています。3万人ということは、その一人一人の家族や友人・知人のことを考えますと、その2倍、3倍の方々が一人の人間の自殺に密接に関わっていることになります。そして残された家族の者…

ああ、神さまに会えたらなあ!

私たちは苦しみのない生活を求めます。けれども、苦しみのない満たされた生活の中で私たちはいつしか傲慢な、自分勝手な人間になっていくという、誘惑に陥ってしまうこともあります。逆に苦しみや不幸に見舞われることによって、私たちは人間として鍛えられ…

洗礼を受けた人

4月12日は教会の暦ではイースター(復活節)でした。イエスの復活とは、イエスが十字架刑によって殺されて、お墓に葬られましたが、三日目の朝女たちがお墓に行って見たら、イエスは復活してお墓にはいなかったという物語です。 私が牧師をしている教会で…

再開

みなさん、お久しぶりです。また、ぼちぼち書いていきたいと思います。 ちょっと事情があって、約一年間強このブログをお休みしてしましました。その間私のブログを開いてくださった方には大変申し訳ありませんでした。 以前キリスト教主義の学校の自然教室…