なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

共に笑い、共に泣く

 今日はキリスト教入門講座で、富田正樹著『信じる気持ち~はじめてのキリスト教~』の「クリスチャン的思考法」「共に笑い、共に泣く」の項目を学びました。この項目の中で引用されている聖句が二つあります。一つは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(新約聖書ローマの信徒への手紙12章15節)と、「一部の部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(同コリントの信徒への手紙一12章26節)。こういう世界があったらいいですね。

 神の国が本当にあるとしたら、この世の現実社会とどこが根本的に違うのでしょうか。

 以前に北海道にある精神の病を抱える方々の浦河べてるの家の実践についてお話を聞いたことがあります。浦川べてるの家では心苦しむ人がありのままで生活できる場所がめざされていますが、そのためにべてるの家の社会では、最も弱く重い苦しみを負った人を基準にした共同体の形成がめざされているそうです。すると、そのような共同体では人間の強さが返って障害になると言われます。それぞれの弱さを出し合い、分かち合い、支え合うことによって共に生きる共同体でなければ、最も弱く重い苦しみを負う人を排除しないで共に生きることは出来ないからでしょう。

 私はまだ神の国に行ったことはありませんが、神の国を信じています。私の信じている神の国浦河べてるの家のようなところではないかと私は密かに思っています。

そういう神の国の住人になるには、日本のような競争社会の中で育てられて競争を身につけている私たちは生まれ変わらなければなりません。キリスト教では、生まれ変わることを悔い改めと言います。この悔い改めという言葉の原語はメタノイアです。このカタカナを反対から読むとアイノタメになります。

「共に笑い、共に泣く」世界は神の国の世界であり、そこには自分も他の人(隣人)も大切にする愛が満ち溢れているのではないでしょうか。