なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(53)

       使徒言行録による説教(53)、使徒言行録15章機11節
               
・今日の個所は、新共同訳聖書の表題にもありますように、エルサレム使徒会議について記されているところです。エルサレムに誕生した教会は、エルサレム使徒会議が開催されたと考えられています紀元49年頃には、地中海沿岸の諸都市や現代のトルコの内陸部まで、そうとう広い範囲に渡って存在するようになっていたと思われます。前回の説教までに扱いました使徒言行録13章、14章には、パウロバルナバによる第一回伝道旅行について記されていました。そのパウロの第一回伝道旅行でも多くの都市に教会が誕生しました。その中でユダヤ人信徒を中心に、イエスの弟子たちや弟ヤコブを指導者にして形成されたエルサレム教会が、パレスチナユダヤ人にとっては中心的な教会になっていたと思われます。それに対して、シリアのアンティオキアに誕生したアンティオキア教会が、ユダヤ人信徒に非ユダヤ人(異邦人)信徒も加わり、おそらくエルサレム使徒会議が行われた49年頃には、アンティオキア教会のメンバーは非ユダヤ人(異邦人)が中心になっていたのではないかと思われます。ユダヤ人信徒の保守派と非ユダヤ人信徒(異邦人)との間には、ユダヤ教の割礼と律法厳守がイエスの福音と共に救済にとって必要不可欠なのかということで、違いが露わになってきていたようです。そういう福音理解をめぐる違いを話し合うために、歴史上最初に開かれた教会会議がエルサレム使徒会議と言ってよいでしょう。

・教会史によれば、紀元325年に最初のニカイア公会議が開かれます。その会議で、子なるイエス・キリストは生まれた者であれば父なる神と同質ではありえないとするアリウス派に対して、神である父と子であるキリストは同質であるとするアタナシオス派の教えが採択され(ニカイア信条)、アリウスの教えは異端とされました。その後何度も公会議が開かれて行きますが、そのような教会会議としての公会議には、純粋な教会会議というだけでなく、国教化されたキリスト教を利用した権力者であるローマ皇帝の意思が反映していたと思われます。そういう意味では、エルサレム使徒会議は、政治的な権力とは関係のない教会間の会議であると共に、ある意味では公会議の原型と言ってよいでしょう。

・ところで、エルサレム使徒会議が開かれる発端となったのは、使徒言行録によりますと、アンティオキアの教会にユダヤ(多分エルサレム)からきた「ある人々」(15:1)の言動でした。この人たちが、アンティオキア教会の非ユダヤ人信徒たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えたというのです。そのような人たちとパウロバルナバとの間で「激しい意見の対立と論争が生じた」(15:2)というのです。何故なら、パウロバルナバは、割礼や律法厳守というユダヤ教の伝統からは自由で、ただ神の恵みとしてのイエス・キリストの福音の言葉を信じる者はユダヤ人であろうと、非ユダヤ人であろうと、誰でもが救われると信じ、その信仰によって非ユダヤ人にも福音を伝えていたからです。

・そのことがきっかけとなって、アンティオキア教会では、教会を代表してパウロバルナバ及び数名の者を、この件についてエルサレム教会の使徒や長老たちと協議するために、エルサレム教会に派遣することになりました。アンティオキア教会にとっては、この問題を放置すれば、信徒たちの中に混乱と動揺が起こり、分裂と対立によって教会の一致が乱され、教会が弱体化していくことを恐れたのでしょう。パウロバルナバらの一行は、アンティオキア教会の人々に送り出されて、陸路でフェニアとサマリア地方を通ってエルサレムに上って行きました。その道すがら、フェニキアサマリアの地方に設立されて活動を続けていた教会を訪れては、パウロバルナバらの伝道活動によって、非ユダヤ人がキリスト教徒となった次第を詳しく伝えて、皆を大いに喜ばせたというのです(15:3)。これは使徒言行録の著者ルカのフィルターを通して書かれたものですが、事実を伝えていると考えてよいのでしょう。

・さて、パウロバルナバらのアンティオキア教会から派遣された一行が、エルサレム教会に到着しました。使徒言行録の著者ルカによれば、その一行は、エルサレム「教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した」(15:4)と言われます。「ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人(非ユダヤ人)にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」(15:5)というのです。

・私はこのところを読みながら、かつて常議員会で、洗礼を受けていない人にも希望すれば与れる、所謂「開かれた聖餐」を行ったということで、私に対する教師退任勧告や教師委員会への戒規免職申立を決定した時のことを思い出しました。その際多数の常議員から、洗礼を受けていない人への陪餐は教憲教規違反だかから止めるように、それが受け入れられないなら教師をやめるように命じられました。それは、この使徒言行録で、ファリサイ派からの信者になった人たち数名がパウロらのアンティオキア教会から派遣された一行に対して言っていることと重なっているように思いました。常議員会では、この種の発言が多数を占めて、私は戒規免職申立を受けましたが、教団総会でその常議員会の手続が教規違反で無効であるとする議案が可決されて、この常議員会による戒規申立は無効になりました。しかし、その後ご存知のように教師委員会が内規を改定して、私への戒規免職申立を受けつけ、私を戒規免職処分にしたわけです。この一連の教団のやり方は、使徒言行録からすれば、このファリサイ派から信者になった数名の意見に従って全てが進められたも同然です。

・けれども使徒言行録では違います。ファリサイ派からの信者数名の意見は、エルサレム使徒会議の議論の中では採用されませんでした。彼らから意見が述べられた後、エルサレム教会の使徒たちや長老たちは、この問題について協議するために集まって、議論を重ねたというのです(15:6,7)。その後ペテロが立って、「神が私を選んだのは、異邦人(非ユダヤ人)が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようになるため」だと言い(15:7)、その信仰においては、ユダヤ人も異邦人(非ユダヤ人)も神は何の差別もしていないと語ります(15:9)。そしてユダヤ人も異邦人(非ユダヤ人)も、主イエスの恵みによって救われると信じているのであって、主イエスの恵み以外に救われる条件として付け加えられるものは何もないと断言して、ファリサイ派からの信者の意見を退けています。ここには論争を重ねて、パウロによって語られた福音の真理がこのエルサレム使徒会議で認められて行く様子が描かれています。論争によって明らかにされた福音の真理を皆が受け入れて、見解の相違が克服されて行くというこことが望ましいのではないでしょうか。その点では、エルサレム使徒会議においても、相違が克服されたとは言えない面を持っています。これは次回エルサレム使徒会議の合意に関して、パウロのガラテヤの信徒への手紙2章機10節のパウロによるエルサレム会議における合意の理解使徒言行録のものを比較しながら考えたいと思います。

・さて、福音としてのイエスを信じる仲間が多くなるということ、そしてそれぞれの違いを認め合ってイエスにおいて一つとして歩むことは、キリスト者にとっては大きな喜びであります。それは神の救済による人間解放が多くの人々の中で起こり、全ての人の救済という神の目標にふさわしいことだからです。そのことは、教会の教勢を増やし、教会を守るというような護教的な意味とは違います。イエスの福音によって、イエスを信じる者は賜物としての命を生きる喜びの回復を与えられます。自己本位や貧しさや差別・偏見によって、或いは力のある者からの暴力の犠牲によって、賜物としての命を生きる喜びを失っている者が、福音としてのイエスを信じることによって、その喜びを回復し、そのような人が一人でも多く生まれることは、キリスト者にとって大きな喜びなのです。最初期の教会の伝道には、そのような福音としてのイエスを信じる信仰による人間回復が伴っていたのではないかと思います。エクレーシア(集まり)としての礼拝共同体としての教会は、同時に交わりとしての教会(コイノーニア)でもありました。そしてその交わりとしての教会には、他者に仕える奉仕(ディアコニア)による支え合い、分かち合いが生き生きとしていたのではないでしょうか。使徒言行録2章の原始共産性的な共同体を思わせる最初期の教会の姿は、ルカによる理想化されたものとは言え、そのような方向性を教会が持っていたことは事実ではないかと思います。初期の教会では、そのように信仰と生活が一体化していたと思われます。

・そのような教会のあり様を、現代の教会に求めることは、現代社会のあり様からして難しいと思われます。形は日本の山岸会と多分同じような共同体ではないかと思いますが、アーミッシュのようなその共同体の中で生きていけば、世俗の社会から遮断された世界を生きることのできる共同体もあることはあります。けれども私たちの教会はそのような共同体ではありません。世俗的な社会の中の集まりとして、礼拝や聖書研究や祈祷会によって信仰を養い、自らの証しの場として日々の生活は公の市民生活を送っています。 そこでは非キリスト教徒の方々と出会い、職場や学校や地域社会の中でそのような方々と共に生活しています。その日常の生活の中で福音としてのイエスを言葉で語ることもないとは言えませんが、ほとんどは私たち自身の生活、生き方で語ることになると思います。そこではイエスと共にある共同の生がめざされます。原発のない社会を目指して、差別偏見のない社会をめざして、今その苦しみにある人々に寄り添い、共に生きることを祈りつつ、イエスの生涯と十字架と復活の出来事に命と力を与えられて、私たちもまた小さなイエスとして歩むことではないでしょうか。その歩みを共にする人が少しでも多くなることが、そしてその人々がイエスによって命と力を与えられることが、私たちにとっての「異邦人(非ユダヤ人)の改宗を聞いて喜んだ」最初期教会の喜びに等しい喜びなのではないでしょうか。そのような喜びを、私たちも多くの人々と共に共有したいと切に願うものであります。