なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(52)

      使徒言行録による説教(53) 使徒言行録14:21-28
              
・今日の使徒言行録の個所(14:21-28)は、パウロ(とバルナバ)の第一回伝道旅行の締めくくりのところになります。前回リストラの町で石打ちの刑に会い、九死に一生を得たパウロは、ただちに南東50キロの距離にあるデルベに赴き、そこで福音を伝えて多くの人々を信仰に導いた(21節)とルカは語っています。このデルベの町では、何も書いてありませので、パウロバルナバは迫害には合わなかったようです。この町がパウロの第一回伝道旅行の最後の町でした。ここからパウロバルナバは彼らが送り出されたシリアのアンティオキアに帰ることになります。シリアのアンティオキアに帰るためには、使徒言行録で記されているように、来た道を戻るのではなく、陸路で東に進みキリキアを通ってアンティオキアに行く道もありました。けれども二人は、「リストラ、イコニオン、ピシディア・アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」(21-22節)というのです。「弟子たちを力づけた」と訳されている原文は、「弟子たちの心を一層堅くした」(田川「弟子たちの精神を強め」)ということで、「信仰に踏みとどまらせた」というのと同じことです。

・このルカの記述が事実だとすると、パウロバルナバの二人は迫害を受けた町に引き返して、彼らの働きによってその町にできた信徒の集まりである教会(エクレーシア)を訪ねたことになります。再びその町に行けば、彼らを迫害したユダヤ人らによって同じような目に遭う可能性があったと思われますが、二人はそのことを恐れていなかったのでしょうか。鞭打ちの刑を受けたリストラでの体験からすれば、恐れていないわけではなかったと思われます。二人は自らに及ぶ迫害よりも、むしろ生まれたばかりの信徒の集まりがその町で福音にふさわしく歩み続けて行くことを願って、そのために危険を顧みず自分たちにはなすべきことがあると思ったのでしょう。「『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」というのです。

・ここに「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言われています。この言葉について高橋三郎さんはこのように言っています。「この個所の前後関係を見ると、『苦難』という言葉は、迫害による受難の意に解されたと思われる。そしてキリストの福音は、信仰による救いを約束する喜びの音ずれであるが、この救いにあずかり神の国に入るに先立って、この苦難の関門を通過しなければならぬという教えは、いかなる迫害にも屈することなく、キリストの恵みのもとにしかと留まり、信仰を守り続けようとする決意を固くさせるために、決定的役割を果たしたに違いない。しかしながら、信仰によって神の国の民とされた者は、恵みによって古い自己を葬ることを許され、新しく生まれた人々であって、『苦難』は古い自己を葬る関門として、用いられる場合が多い。かくて苦難もまた、恵みの賜物と化するのである。この事実に着目するならば、この個所における『苦難』も、ただ迫害という事態だけにとどまらず、より広い意味に解することができよう。すなわち『神の国に入るには多くの苦難を経なければならない』という言葉は、信徒が古い自己の死を経由して神の国に導かれるという趣旨において、あらゆる人に妥当する言葉となる。パウロは『肉と血とは神の国を継ぐことはできない』(汽灰15:50)と言ったが、この言葉も同じ真理を語っている」と。高橋三郎さんは、キリスト者にとっての苦難は、迫害だけでなく、自らの古い自己に死ぬということでもあるのではないかと言っているのです。

パウロはローマの信徒への手紙14章17節で、「神の国は、・・・聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」と語っています。そして「このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」(14:18,19)と語っています。古い自己に死んでキリストに結ばれた新しい自己として生きるということは、神の国の住人としてふさわしい「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」を信じて、「平和や互いの向上に役立つことを追い求めて行く」ということではないでしょうか。

パウロは信徒の集まりである教会を、そのような人々の集まりとして考えていたのではないかと思います。ですから、誕生したばかりのそれぞれの町の信徒の集まりである教会に、パウロは希望を託しているのです。例え少人数の集まりであったとしても、その町に誕生した教会は、その町の全ての人々に神の国の希望を示す光となって、全ての人が平和と義(正義)と喜びに生きる神の国へと招かれていることを証言していくのです。

・さて、23節には、「また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」と言われています。パウロバルナバは、それぞれの町に誕生した信徒を力づけ励ますと共に、その信徒の集まりである教会(エクレーシア)を整えることも忘れませんでした。古代の社会ですから、様々な共同体が強固なところで、新しくできた教会共同体がしっかりと信仰に立って、福音にふさわしい交わりを形成していくことは至難なことに違いありません。どんなに一人一人の信徒が誠実に信仰によって生きていても、同時に集まりとしての教会がしっかりとしていませんと、その町で教会が神の国の希望の光を灯し続けることは大変困難です。パウロバルナバはシリアのアンティオキア教会での経験があったと思われますが、信徒の集まりとしての教会(エクレーシア)ごとに長老を選んだというのです。23節には、「弟子たち(信徒たち)のために長老を選んだ(新共同訳では「任命した」)」と言われています。ここでの長老は、後の教会に職制として立てられるようになった長老職という意味ではないと思います。長老(プレスビュテロス)という言葉は、本来「より年長の」という比較級の形容詞で、そこから「年輩の人」「老人」という意味の名刺に用いられました。しかしただ年齢上の「年寄り」という意味にとどまらず、イスラエルの部族もしくは地域共同体の指導的地位にある人々を長老と呼ばれたのです。ここでも、そんな意味合いで、長老を選んだと言われているのではないかと思います。
ですから、「信徒を指導すべき課題を、信頼できる人に託した、ということであろう」高橋三郎)。この長老を選任した時に、パウロバルナバは「断食して祈った」というのです。二人の並々ならぬ思いが現われていると思います。そして「彼らが信じるにいたった主にゆだねた」(田川訳)のです。自分たちが出来ることは最善を尽くして、後は神に委ねるということです。

・後に残す信徒たちに、こうして十分の配慮を払ったのち、パウロバルナバはもと来た道をもどって、ピシディア地方を通過し、パンフリヤの町ペルガでも御言葉を語った(25節)。そしてアタリアの港から海路セルキヤ港に向かい、そこから出発点であるアンティオキアに帰っていきました。到着するとすぐ教会の人々を集めて、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのここと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」(27節)とあります。ルカは異邦人に信仰の門が開かれたことが、神ご自身の御業だということを強調しているのです。

・さて、信徒の集まりである教会(エクレーシア)にとって、今日の個所には、長老の選任について記されています。教会にとってそのような役割の人が必要であるということは、否定しようがありません。人が集まれば、その集まりを秩序あるものとして整え、導いていく必要があるからです。そういう役割を固定したものとしては考えなくても、例えば当番制のような形で、誰かが担わなければなりません。そうでなければ、たとえ少人数でも信徒の集まりとしての教会は維持できませんし、動いていきません。このような信徒の集まりとしての教会には、組織とか制度という面がどうしても伴います。例えば家庭集会のような集会でも、その家庭を解放する人が誰かにその集会を整える役割を担ってもらわないと、その集会は成り立ちません。

・教会が組織的・制度的に整えられて、現在に至っていることは事実です。最初期のエルサレム教会にも生前のイエスの弟子たち(12使徒)をはじめとした、エルサレム教会を秩序立てる柔らかな制度のようなものがあったと思われます。ギリシャ語を話すユダヤ人がエルサレム教会のメンバーに加わり、その夫を亡くした女性などへの配給に不公平が起こったときに、食事の世話する人たちを7人選んだという記事がありますが、これもエルサレム教会というエクレーシアにおける制度的な配慮と考えられます。人間の集団としての教会には、そのような面が必要になるということでしょう。この食事の世話係というのは、生活面の制度になりますが、12弟子のような存在は教会を信仰的に整えていくためのものと言えるでしょう。後の教会は按手礼による特別に神に選ばれた存在にして、「聖職者」と呼ばれるようになっていくわけです。

・無教会の高橋三郎さんは、このような教会の制度的なものについてこのように述べています。「16世紀の宗教改革以降、全世界の信徒をローマの統括下に置こうとするカトリック教会に対抗して、プロテスタントの諸教会は独自の道を歩んだが、(いわゆる自由教会は別として)制度的枠組みの中で、法的権限を付与された教職を持つという点では、同じであった。十分の神学教育を受け、一定の試験に合格した者に、按手礼を施して牧師に任ずるという方法によって、福音宣教の正しさを守ろうとしてきたのである。この方法は、ある程度めで有効でありえたとしても、神学部そのものが誤謬に毒された場合、そこに生起する混乱を、もはや制度的枠組みによって防止することはできない。二度に及ぶ世界戦争の渦中において、教会はこの悲惨を、序実に露呈したのである」と。

・その点、高橋三郎さんは、無教会は制度的な枠組みによらない新しい道を選んだと言っています。それは、主の御手に委ね、最終的にはキリストご自身が、すべてを最善に導きたもうという信頼とその霊的指導に従おうとする信仰の服従をもって、真理の継承が今まで行われて来たと。確かシュライエルマッハーの信仰論か宗教論の中に、指導と被指導ということで、牧師と信徒の関係についてこのように言っていたと思います。牧師と信徒という制度的な区別によって、福音の真理は牧師が語り信徒が聞くという一方的な関係を築くのは誤りで、常に両者には互換性があるというのです。福音の真理が信徒によって語られた場合、制度的な枠組みを超えて、その信徒が牧師であり、牧師が信徒になるというのです。人の集まりとしての教会・エクレーシアには何がしかの制度的なものが必要でしょうが、福音によって立つ教会には、それを常に相対化する視座が保証されなければなりません。

・そのことを踏まえて、私たちのエクレーシアとしての教会がイエスの福音の真実を証言する集まりでありたいと切に願います。