なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(56)

        使徒言行録による説教(56)使徒言行録15章36~41節
              
・前回エルサレム教会会議と使徒書簡について触れました。エルサレム教会からアンティオキア教会に送られた使徒書簡には、割礼については全く触れられていませんでした(15:29)。そのことは、非ユダヤ人信徒に割礼は必要ないというエルサレム教会会議の決定を意味し、アンティキア教会の人々を大いに喜ばせたと思われます。割礼は必要でないということであれば、非ユダヤ人への伝道活動への意欲を、ますますかき立てたに違いないからです。使徒言行録の著者ルカは、パウロバルナバによる第一回伝道旅行についての記事を13-14章で記しました。その後、15章でエルサレム教会会議の報告を入れて、パウロバルナバによる第二回の伝道旅行の記事を続けて記していきます。

・15章36節によれば、パウロバルナバに、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見てこようではないか」と言ったとあります。ルカはここでパウロが主導し、バルナバに呼びかけるという形で、第二回の伝道旅行のことが持ち上がったように記しています。第一回伝道旅行の場合は、聖霊の主導により、バルナバパウロが選ばれ、アンティオキア教会の人々が「断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」(13:3)というように記されています。

・第一回の伝道旅行の時は、パウロよりもバルナバの方がリーダー格だったと思われます。バルナバの方が先輩であり、タルソに引きこもっていたパウロをわざわざ捜して、アンティオキア教会に連れてきたのもバルナバでした(11:25,26)。「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(13:24)と言われている程ですから、なかなかの人物だったと思われます。ところが、ルカの記述は、何時しか「バルナバパウロ」から「パウロバルナバ」という順序に変わっていきます。16章1節以下からは、パウロの伝道活動が中心になり、バルナバについてはその後全く触れられていません。

パウロによるバルナバへの第2回の伝道旅行への呼びかけの後、二人は、二人と共に伝道旅行に随行させる人物(ヨハネ・マルコ)を巡って、「意見が激しく衝突し、・・・ついに別行動をとるように」(15:39)なったというのです。その人物とは、ヨハネ・マルコのことです。彼は、第一回伝道旅行の時に、途中で「一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」(13:13)のです。それでも、バルナバは、またヨハネ・マルコを一緒に連れて行きたいと主張します。一方パウロは、前回の伝道旅行で、途中で「自分から離れて、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れていくべきでない」と主張し、その折り合いがつかないまま、結局お互いに別行動をとるようになったというのです。

・なぜパウロはマルコをそこまで毛嫌いしたのでしょうか。この点について、田川健三さんが面白い指摘をしています。「あの福音書(マルコによる福音書)を書いたマルコと、自分が幻で見たキリスト像だけに固執して「私の福音(ローマ2:16。また同1:16-17参照)ばかりを語っているあのパウロとでは、一緒にキリスト教の伝道活動をしようと言っても、まあ無理な話だろう。しかしこの指摘のおかげでマルコ自身がはっきりしたパウロ批判の姿勢を持っていたということが分かるから、歴史的には貴重な指摘である」(『使徒行伝』415頁)と。

・つまり、パウロがマルコを連れていくべきでないと言ったのは、マルコは前回の伝道旅行の時に、途中で帰ってしまったというだけでなく、パウロとマルコでは福音理解が相当異なっているので、そのこともあって、パウロはマルコを一緒に連れて行こうとしなかったというのです。ヨハネ・マルコはマルコによる福音書を書いた人物です。マルコ福音書パウロの手紙を読み比べてみれば分かりますように、両者の間ではその福音理解に相当の違いが見られます。マルコはキリストであるイエスを描いていますが、パウロは、イエスであるキリストを宣教していて、歴史のイエスについては殆ど関心を向けていません。そういうことであれば、マルコをつれていくかどうかで、バルナバパウロは激しい意見の衝突の末に、別行動をとるようになったということが理解できるように思います。ただ前回の時に途中で帰ってしまったというだけでの理由で、パウロがこれほどまでにマルコを連れて行こうとしなかったということであると、随分パウロは心の狭い人物に思えてしまいます。本当のところはよく分かりませんが、田川さんの言うようなことがあったとすれば、よく分かります。

・また、使徒言行録の著者ルカも、マルコよりもパウロの方により親近感を持っていたのではないかと思われます。ヨハネ・マルコがマルコ福音書の著者であるとすれば、ルカはそのマルコ福音書を読んで、それでは満足できずに、自分で順序正しくルカ福音書を書いたわけですから(ルカ1:1-4)、パウロ同様ルカもマルコについては快く思っていなかったということがあったのかも知れません。

・さて、パウロと別れて、「バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出した」(39節)とあります。使徒言行録では、これをもってバルナバの消息はばったりと切れてしまいます。その後、バルナバがどこで何をやっていたのか、全く分かりません。このことについても、田川健三さんはこのように述べています。「それにしてもバルナバパウロがキリスト信者の仲間になれるように親切に世話してやり、エルサレム教会とアンティオキア教会をつなぐ重要な役割を二人で果たし、第一回伝道旅行でもパウロの盟友であった、盟友どころかどちらかというとパウロを指導する立場にあった人物である。そのバルナバについて、いかにマルコの件で喧嘩別れしたからとて、ここでばったりと筆を断って、以後一切消息を記さないというのだから、ルカの執筆方針もいささか何かである。これだけの活動をしてきたバルナバのことである。これ以後も活発かつ影響力の大きい活動を続けたのは想像に難くない。もしその全容がわかったら、初期キリスト教の発達について我々はもっとはるかに広く知ることができただろうし、それがもっとはるかに多彩な運動であったことも知ることができただろうに、残念である」と。

・確かにそういうルカの執筆方針の問題もあって、バルナバの活動が使徒言行録の叙述から今後一切消えてしまったのかも知れません。ただ非ユダヤ人への伝道活動において、ユダヤキリスト者としてバルナバには、パウロほどに徹底したユダヤ教との断絶がなかったと思われます。ガラテヤの信徒への手紙2章では、アンティオキアにおいて、非ユダヤ人信徒と何のこだわりもなく、食事を共にしていたペテロが、エルサレム教会のヤコブのもとからある人々が来てからは、彼らを恐れて次第に身を引き、食事を共にしなくなったということを、パウロは許し難い偽善として、みんなの前で厳しく非難したと言われています(ガラ2:11-14)。しかもこのとき「バルナバまでがその偽善に引きずり込まれた」と、パウロは述べているところを見ますと、ペテロだけでなく、バルナバに対しても、パウロは厳しくその偽善を非難したのではないでしょうか。ガラテヤの信徒への手紙では、その結果、バルナバが自分の非を認めて、パウロに詫びを入れて、悔い改めたという記述がありませんので、このことを巡って、バルナバパウロとの間には信頼が失われると共に、非ユダヤ人を中心とした地域における伝道活動においては、ユダヤ教との断絶がはっきりしているパウロの方が受け入れられていったということだったのかも知れません。調停的なルカは、パウロバルナバとの決裂については、マルコを一緒に伝道旅行に連れて行くかどうかということに絞って描いていますが、本当のところは、ペテロと共に許し難い偽善を犯したバルナバパウロの間には、割礼と律法とうユダヤ教の伝統からも自由な福音理解ということにおいて、根本的な対立があったのかも知れません。

・何れにしろ、使徒言行録における今後の最初期教会の活動はパウロが中心に描かれて行くことになります。バルナバと別行動をとった「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた」(15:40,41)と、ルカは記しています。ここに「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて」と言われていて、アンティオキア教会から派遣されてパウロは第2回伝道旅行に赴いたように記されていますが、事実は、第一回伝道旅行のかつて派遣された場所に再び赴くのは、「キプロス島に向かって船出した」と言われているバルナバの方で、パウロではありません。おそらくアンティオキア教会から派遣されたのはバルナバであって、パウロではなかったと思われます、パウロは第2回伝道旅行以降は同労者を与えられて独立伝道をして行ったと考えられています。「兄弟たちから主の恵みに委ねられて」とは、そのようなパウロの独立伝道への旅を、アンティキア教会の人々が温かく送り出したということを物語っているのでしょう。

パウロが選んだ同労者シラスについては別の機会に触れたいと思います。

・さて以上のように、ルカの描く使徒言行録の叙述の背後には、多様でそれぞれの違いを持った最初期教会の人々の活動があるということを見失ってはなりません。使徒言行録の著者ルカには、激しい対立を含めて、それぞれの信仰を持って最初期教会の運動に参加している多様な人々を描くというよりも、ルカの信仰、その神学によって一つにまとめていこうとする傾向があります。そのことによって、切り捨てられていく部分がどうしても出て来てしまいます。また、ルカの神学は、上から鳥瞰するところがあるように思いますので、地べたに這うようにして生きているキリスト者の姿はなかなか見えて来ません。今後使徒言行録では、パウロの活動に焦点が当てられて描かれて行きます。しかも広がりを中心にエルサレムからローマに至るパウロの伝道活動を描いて行きます。それはそれで意味のあることではありますが、同時に最初期の教会の信徒の人たちが、その属する交わりとしての教会の一員として、その地域の中で、イエスを信じる信仰をもって、様々な現実にどう向かい合っていったのかということも、私たちにとっては大事な事柄です。パウロの伝道活動は、今日で言えば、信仰告白や信条を前面に出したある種の改宗運動であったと考えられます。

・Nさんがメールで訴えておられましたノー・ニュークス権(原子力の恐怖から免れて生きる権利)の提唱というようなことは、パウロの手紙よりはマルコの福音書のようなイエスの教えや活動から、今日的な私たちの生き方として出て来るのではないでしょうか。ノ・ニュークス権によって、これまで法的には原子力製造会社が事故責任から除外されていたのを、その責任を製造会社にも問うという運動です。

・そういう意味で、ルカの最初期の教会の歴史を物語る使徒言行録の記述の背後にまで遡って初代教会の歴史を見て行かなければならないと思うのであります。