黙想と祈りの夕べ通信(363)復刻版を掲載します。2006年9月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(363[-50]2006・9.10発行)復刻版
今秋の教団総会に議員提案の議案として以下の議案を出すことにしました。この議案は去る神奈
川教区総会で出しましたが、150名中71名の賛成少数で否決されましたので、神奈川教区としては
出すことの出来なかったものです。「教団とに距離を置く」決断をしている沖縄教区との関係の回
復が、教団にとって緊急な課題だと思うからです。
<教団総会議案> 沖縄教区との関係を修復するための行動をとる件
沖縄教区との関係の修復するために、常議員会は本総会期中に次の行動をとり、その経過と結果
の詳細を次期総会に報告する。
1、第33回(合同後18回)総会(2002年秋開催)における「合同のとらえなおし」関連議
案の取り扱いが不適切であったことを反省し、議長の名において沖縄教区に謝罪する。
2、常議員会において、「合同のとらえなおし」作業を再開し、その旨を沖縄教区に連絡する。
3、上記の点をふまえ、沖縄教区との関係を修復する。
提案理由
沖縄教区の一人の牧師は次のような趣旨の発言をしている。「わたしたちが沖縄の米軍基地の強
化に反対しているのは、沖縄の苦しみを除きたいからだけではありません。ここから出かけて行く
米軍が、アフガニスタンやイラクの子どもたちやお年寄りを含む多くの人びとを殺戮しているから
です。現地でそれを見てきたわたしたちは、沖縄がその加害者になることを決して認めるわけには
いかないのです」。
ここにわたしたちは、米軍専用基地の75%を押しつけられている沖縄の人びとが負わされてい
た苦しみを共に担おうとする、キリスト者の、また教会の信仰的良心の叫びを聞くことができる。
沖縄キリスト教団と日本基督教団との「合同のとらえなおし」は、本来、このような沖縄の諸教会
が負っている痛みを、「本土」諸教会も共に担おうとする願いから出たものであった。教会とは、
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が
共に喜ぶ」(汽灰12:26)ような、ひとつの体だからである。1969年「合同」は事実上の吸収合
併だったのではないか、沖縄諸教会の苦しみは、「本土」諸教会の無関心の中で取り残されたまま
になってきたのではないか、という反省から、「合同」をとらえなおし、実質あらしめる努力を重
ねることが、キリストの体なる教会にとって必要だと考えられた。「合同のとらえなおし」関連議
案は、このような教会の悔い改めと新生への努力の一端であった。
このような経過から見ると、第33回(合同後18回)教団総会における「合同のとらえなお
し」関連議案の取り扱いは、不適切であった。そこでは、討論なしの採決に対する抗議の混乱の中
で審議未了廃案とされた。議長は継続審議とする最小限の努力もしなかった。こうして、それまで
の永年の検討の積み重ねが水泡に帰せしめられた。沖縄教区がそこに教団執行部の不誠実を見、痛
みを共有して欲しいとの願いが踏みにじられたものと受け止めたことには、十分理由があると考え
られる。従って、関係の修復は、その地点にもどっての出直しでなければならない。
私たちは、決して殺戮の加害者になってはならないとの思いを、沖縄教区諸教会と共有する。そ
れゆえ、「合同のとらえなおし」の作業を改めて参加し、二度と侵略戦争に荷担することのない教
会の形成と、平和を造り出す福音の宣教を目ざしたいと願う。教団がその作業を再開することを強
く求め、この議案を教団総会に提出する。