なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№445 2020年1月26日   北村慈郎

  • 19日(日)は、いつものように残れる人で礼拝後お茶を飲みながら懇談の時を持ち、その後散会した後、私はこの日の午後6時から紅葉坂教会で行われる第83回かながわ明日の教団を考える会(以下明日の教団を考える会)の準備をしました。この会のこの日のレジメ、出席者名簿(出席者に〇印をつけてもらう)、いくつかの資料です。資料の一つに、「教団の伝道対策および機構改定について」の教団新報記事と教団の伝道対策についての教団ジャーナル風の記事を入れておきました。
  • 教団の伝道対策および機構改定についての議論は、極めて目先の対策的なもので、教団の抜本的な改革に繋がるとは思えません。「伝道」は受洗者獲得と財政問題に限られていて、「現代における教会の宣教とは何か」についての議論は殆どありません。これでは、ヨーロッパキリスト教絶対主義の影響下にあり、先進資本制社会の矛盾が極大化している近現代社会に順応する一宗教機関になりさがっている現代の教会の問題と課題は全く見えません。自己正当化と自己拡張、それが今の教団首脳の姿勢であって、既に賞味期限を失った教会の維持発展に汲々としているその姿は哀れにさえ感じられます。明日の教団を考える会ではそこまでの議論はしませんでしたが、「教団の伝道対策および機構改定について」、何か問題かを共に分かち合いました。
  • この日の明日の教団を考える会の中心的な課題は、2月の教区総会(2月22日〔土〕開催)に提出する議案の確認でした。今年は秋に教団総会がありますので、今回も聖餐論議の場設定と私の戒規免職処分撤回の二つの教区総会決議教団総会議案を準備することにしました。この二つの議案は、前回の教団総会にも教区総会決議教団総会議案としてきましたが、免職撤回の方はそれ以前の教団総会同様議事日程の段階で審議されずに廃案にされてしまいました。しかし、聖餐問題の議案は前教団総会では審議され、少数賛成否決でした。それ以前の教団総会では免職撤回と聖餐問題を一つにした議案でしたので、聖餐問題も審議されずに来ましたが、前回は議案を二つにしましたので、聖餐問題の方が一応上程され、十分な審議の時間がないまま決議されましたので、少数賛成否決ということになりました。今年の秋の教団総会にも議案を二つにして出すようにしたいと思っています。
  • この日の明日の教団を考える会では、用意した議案の文案に対して、いくつか意見が出ました。特に免職撤回議案は、事柄からして文案は事実経過と問題点の羅列になっていましたが、「分かりにくいので、もっとわかりやすく物語のように書けないか」という意見が出ました。この意見を取り入れて文案をその場で作ることはなかなか難しいので、今回は提案された文案に少し修正を加えて出すことにしました。2年前の時にも教区総会に出す議案の提案者を常置委員会にお願いして、そのようになりましたので、今回も同様に常置委員会に提案者になってもらうようにお願いすることにしました。それが難しい場合も考慮して、議員提案議案の形の議案も同時進行の形で用意しておくことにしました。
  • この日の教団を考える会では、昨年11月23日に行われた沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同50年を憶える集会の報告があり、その後の話し合いの中で、この集会の成果を今後に繋げるにはどうしたらよいかという問題提起がありました。この種の課題は具体的な担い手がどうしても必要で、その働きを誰かが担ってくれなければ、なかなか継続して問題を担い続けることはできません。神奈川教区の沖縄交流委員会は、メンバーが各委員会から出て構成されています。これはこの沖縄交流委員会が出来た当初の意図として、合同のとらえなおしを教区全体の課題にするために、関心のある者だけの委員会ではない形をとったということです。ところが、この形の委員会ですと、委員になって合同のとらえなおしのことを知ったとか、委員の交代が頻繁で、継続して問題を深めて行くという点で、なかなか難しくあります。この問題を何とか克服して、教区の沖縄交流委員会が合同のとらえなおしの課題を担って、教区の諸教会・伝道所に問題提起をしていくことが出来るようにしていかなければと思います。
  • その他に今年も「リフレッシュ@かながわ」(福島家族の保養プロスラム)が5月2日(土)~5日(火)(3泊4日)で行われるという報告がありました。
  • この日の明日の教団を考える会は20名の出席で、午後9時少し前に終了しました。私は直ぐに失礼して鶴巻に10時過ぎに帰ることができました。最近連れ合いの調子が落ちていましたので、留守の間連れ合いを一人にしていますので、少し心配でしたが、鶴巻に帰って連れ合いが比較的元気でしたので、安心しました。
  • この週は20日(月)から25日(土)まで私が責任のある委員会も、出席しなければならない集会もなく、一週間ずっと鶴巻にいて家事労働に専心しました。23日(木)だけ連れ合いの病院行きの日でしたので、この日は一般外科が10時半予約、腎内科が12時予約、その間化学療法の予約でしたので、9時半には血液と尿検査を済ませたいと思っていましたが、タクシーがすぐ来なかったため、予定より20分ほど遅れて検査を受け、一般外科の診察を待ちました。診察は11時45分ごろになり、連れ合いが診察の時は止まっていましたが、一度胃付近の激痛に苦しんだことと、胸や背中の痛みに苦しんだことを医師に話しました。医師は癌からくる痛みと診断し、連れ合いの希望によって、痛い時に飲む痛み止めの薬を出してくださいました。それとこの日からは、連れ合いにとっては4種類目の薬だけによる抗ガン治療になりました。血液検査の結果化学療法室での抗がん剤投与はできないことになったからです。この日は腎内科も予約時間から大幅に遅れて診察が午後2時近くになりました。その後病院の食堂で昼食を済ませて、タクシーで鶴巻のマンションに戻ってきたのが、午後3時過ぎになっていました。