なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(611)

船越通信、№611  2024年4月7日(日)北村慈郎

  • 3月31日(日)はイースターでした。礼拝は久しぶりの方々を含めて21名の出席者がありました。この日は礼拝を終えてから、出席者全員で集合写真を撮りました。その後予定していた昼食会をしましたが、数名の方が礼拝で帰られたとはいえ、予定していた15名より昼食会参加者が少し多かったので、思わぬ誤算で食事を準備して下さった方にはあわてさせてしまったのではないかと、申し訳ありませんでした。午後1時過ぎには食事会を終えて、散会しました。
  • 4月2日(火)は午後6時から蒔田教会で常置委員会があり、私も出席しました。この日は午後1時半過ぎに鶴巻を出て、船越教会に行き、4月6日の私の支援会総会のプログラムを100部印刷してから、上大岡の京急のデパートの食堂で食事をすませてから、常置委員会が行なわれる蒔田教会の教育会館に行きました。それでも少し時間が早かったので、大岡川の桜を見ることにしました。新しく植えたまだそれほど大きくない桜の木の花はほぼ満開でした。また大岡川に枝が垂れ下がっている古木は、その古木の幹から出ている新しい枝の花は咲いていましたが、古木の枝の花は、ところどころ少し咲いていましたが、ほとんどはそろそろ咲き出す状態の蕾でした。ですから、大岡川に垂れ下がった枝の満開の桜の花が大岡川の水面にも映るという状態ではありませんでした。それでも今年も大岡川の桜を楽しむことができました。常置委員会では二人の新任教師の面接がありました。それと2教会からの教会規則変更が承認されました。新任教師の面接では、私の戒規免職をどう思うかという質問に答えて、一人の隠退教師を復帰してある教会の主任担任教師になる方は、「教憲教規に従うべきだ」と言われ、未受洗者にも陪餐を許すのは教憲教規違反であるということだと思います。それに対して私は反論はしませんでしたが、未受洗者にも陪餐をさせるのは教憲教規違反であるかどうかは、それほど明確ではありません。「洗礼を受けた者が聖餐に与る」という規定は、各個教会の準則第8条にあるだけで、教憲教規には明文化されていません。教師委員会及び審判委員は主に教規の信徒条項(第135条、第136条、第138条)によって未受洗者への配餐は教憲教規違反としていますが、信徒条項は信徒の規定であって、「洗礼を受けた者が聖餐に与る」という聖餐に関する明文化した規定ではありません。教会準則第8条にこれが明文化されているということは、合同教会としての日本基督教団の諸教会の中には伝統的にサクラメントとしての聖餐を持たない教会も含まれていたからだと思われます。準則は、各個教会の内規の基準として示されているもので各個教会が自由に定めるものとされています。しかも教規第102条⑴では「礼拝および聖礼典の執行に関する事項」は、教会役員会の処理すべき事項の一つとされていて、そのことは準則に聖餐規定があることと深く関わっていると思われます。そういう教憲教規解釈の可能性もあり得るにもかかわらず、一方的に信徒条項をもって未受洗者への配餐執行は教憲教規違反とするのは、教師委員会及び審判委員の教憲教規の恣意的解釈と言っても過言ではないのです。そういう規則云々以前に、そもそも聖餐のような神学的な問題は話し合いの中で道をつけるべき問題であって、規則によって判断するものではないと思います。この日の常置委員会は比較的早く終わり、午後9時前に鶴巻に帰ることが出来ました。
  • 3日(水)この日支援会の4月6日のコンサートと総会の件で、世話人・事務局会では急遽コンサートで演奏して下さる4人の方にも出ていただき、夜10時からZoomで最終の打ち合わせの時を持ちました。用意する印刷物や当日の時間配分、それぞれの担当者の確認をしました。終わったのは午後11時近くでした。皆さんが熱心に支援会に関わって下さることを心から感謝しています。私が教団から戒規免職処分を受けたのが2010年9月ですから、今年9月が来ますと満14年になります。裁判は「争訟に値しない」ということで、最高裁で却下されて終了したのが2004年6月でしたので、裁判が終わってからでも丸10年が経ちます。その間教団議長をされた山北宣久さんも石橋秀雄さんも現役から退き、隠退教師になっています。今年の秋の教団総会で何とか免職撤回の道筋が見えるようになるといいのですが。
  • 4日(木)は何時ものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日座り込んだのは3人で、終り間際にもう一人顔を出してくれました。私たちが座り込んでいる道路はイチョウ並木になっていますが、先週までは葉が落ちた枝が伸びた枯れ木のようだったイチョウの木の枝に緑色の若芽が出始めていました。この時期「4.6の沖縄県民大集会に連帯しよう』と、市民運動の集会がいろいろありますが、私はどれにも参加できません。この日座り込みを終えてから、蒔田教会の中にある教区事務所で、午後6時から教区のオリエンテーション委員会がありましたので、直行しました。20分前に着きましたので、教区事務所の方に指定された場所にあった鍵で事務所に入り、2会の集会室で他の委員が来るのを待ちました。この日は一人急用が入り欠席で、午後6時ごろには他の6人の委員が揃いましたので、委員会を始めました。最初に教区に出す2023年度の活動報告と会計報告を、前もって準備していた原案を検討し、数か所誤字等の字句の修正をした上で、承認しました。後は2024年度の委員の確認と計画を審議し、ちょうど1時間ほどで委員会を終えて、それぞれ散会しました。この日は第2回目の食事を食べそこなっていましたので、午後8時ごろ海老名の小田急の駅の中にある箱根そばでお蕎麦を食べて鶴巻に帰りました。