なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(296)

           船越通信癸横僑后 。横娃隠暁7月3日    

・6月25日(土)に開催された教区総会の報告を簡単にしておきます。前回の通信で私の戒規免職撤回

と聖餐論議の場の設定を求める教団総会議案が可決されたことだけは記しておきました。この私の議案の

議論の中で、聖餐については意見を異にする信徒議員の方が、教団の教会が招聘制をとっているにもかか

わらず、当該教会の紅葉坂教会とも神奈川教区とも一切の話し合いなしに、教団が私を免職処分にしたこ

とは、明らかに教団の誤りであるから、教団は私の免職処分を撤回すべきだという意見を披歴しました。

このところ私に関係する議案が出る教区総会毎にこの方が同趣旨の発言をしてくれています。これは大変

説得力がある意見で、私を免職にした教団執行部側にある人たちにとっても無視できない意見ではないか

と思われます。もう一つ注目すべき意見がありました。それは、今回の総会で私の戒規免職撤回議案に反

対の側の人からよく出る、聖餐についての議論を求めるなら、その議論の結果が出るまでは、非受洗者へ

の配餐はやるべきではないという意見に対して、議長のTさんから、「その意見はもっともで説得力があ

りますが、私は指紋押捺のように時には法の束縛を越えて、法に先行する行為をする可能性もあるのでは

ないかと思います」という主旨の発言があったことです。教会はその時代と社会の中で福音にふさわしい

在り方を常に求め続けることによって現在するコイノーニアではないかと、私は思っています。宗教改革

者の常に「御言葉によって改革される」ところに教会が現在するということではないかと思います。教会

は、教憲教規や信仰告白にそのアイデンデティティーを求める以上に、(イエス・キリストの)福音に聖

書にそのアイデンティティーを求めるべきではないかと、私は思っています。今回の総会でTさんが上記の

ような発言をしてくれたのは、改めて教会とは何かを問うことにも通じますので、何か自明のことのよう

に考えられている教会についての考えが崩されて、聖書に立ち返ってみなで議論するようになればと願っ

ています。活発な議論の中から新しいエネルギーが生まれてくるのではないでしょうか。

・さて今回の教区総会では3名の補教師の准允志願者と2名の正教師の按手志願者が承認されて、それぞれ

准允式と按手礼式が行われました。按手礼には総会出席者の正教師が出て手を置くのですが、免職になっ

てから私は出ずに座ったままでいるようにしています。神奈川教区では、この志願者が受けた「教師検定

試験が不当とまでは言えない」ということを、その都度議場に諮って、その承認を得てから准允式、按手

礼式が執行されます。今回もそのように行われました。今回の総会は報告の総会ですが、そのような法定

議案と教区規則改正議案と上記の私に関係する常置委員会提案議案の他に、三つの議員提案議案が審議さ

れました。「教団総会に、辺野古新基地建設の撤回を求める抗議声明を発し、並びに沖縄教区に謝罪し、

その関係修復と合同のとらえなおしとその実質化に取り組む議案を提出する件」(議案第9号)、「沖縄

うるま市女性暴行殺害事件抗議声明の件(議案第10号)、「A教師のパワーハラスメントに関する訴え

に対し、常置委員会の対応の仕方に問題があったため、常置委員会は結論について審議し直し解決を目

指す件」(議案第11号)です。議案第9号は154名中99名の賛成で可決。議案第10号は145名中108名の賛

成で可決。議案第11号は常置員会に付託することになりました。

・6月26日の日曜日は何時ものように礼拝後懇談の時を持ち散会しました。私はこの日は週報の準備、

船越教会のホームページ礼拝案内の編集をし、道路側にある教会礼拝説教看板を新しくして、午後3時過

ぎに船越教会を出て、鶴巻に帰りました。週報には船越教会の牧師滞在日は土曜日から月曜日になってい

ますが、このところ次週の準備を済ませて、日曜日の午後に鶴巻に帰っています。毎週火曜日に農伝の説

教演習と説教学を担当していますので、その準備に月曜日を当てているからです。ご了承ください。この

週も火曜日には農伝に行きました。

・30日の木曜日は、国会前の辺野古新基地反対座り込みに行った連れ合いと、午後4時半ごろ東中野

ポレポレで待ち合わせをして、「圧殺の海第二章 辺野古」を観ました。鑑賞後監督の藤本幸久さんの短

トークがありました。藤本さんは最近のメディアは殆ど辺野古の報道から退いている実態について触れ、

辺野古で何が起こっているかその事実の報道の重要性を強調されていました。事実今回の「圧殺の海第二

章」には、大浦湾での海上での抗議活動とそれに対する海上保安庁の人たちによる危険な封鎖行動、キャ

ンプシュワブゲート前での体を張った抗議行動に対する機動隊の強引な排除行動が、どちらも観ていてハ

ラハラドキドキ、緊迫した場面の連続でした。国家権力を楯にして迫る機動隊や海上保安庁職員の顔を見

ていると、怒りを露わにしている抗議者の顔とは対照的に、その顔は無機質で時には困ったような表情を

見せていました。この人たちもつらいのだろうなあ、と思わされました。沖縄の人たちの思いを無視して

辺野古に新基地建設を強行しようとする政府の横暴に怒りを覚えます。国家の本質は暴力だと規定するあ

政治学者の言葉の真理性が辺野古で現れているとしか思えません。システムの中に絡め取られている限

り、見えない或は見ようとしない現実が辺野古で展開されているのではないかと思います。辺野古で闘う

人々によって、システムに組み込まれた無機質な一部品としてではなく、一人の人間として生きるとはど

ういうことなのかという問いかけを私たちは受けているように思われます。

・7月1日の金曜日には、私の支援会の裁判記録編集委員会と、世話人事務局会が紅葉坂教会で行われまし

た。裁判記録では、被告教団側の答弁書及び準備書面などの扱いをどうするかで暗礁に乗り上げていまし

たが、結局被告側の裁判資料は全て割愛して、こちらだけのものでいくことにしました。世話人会事務局

会では、10月26日の教団総会開催中の「全国交流集会」の企画を中心に、今後の活動計画について話し合

いました。7月2日の土曜日にはNさんとお連れ合いが朝から午後3時過ぎまで片付けと庭仕事をしてくださ

いました。また、私の連れ合いとT・Tさんとで「リフレッシュ@かながわ2016報告書」を印刷、神奈川教区

の諸教会伝道所及び協力者への発送作業をしました。