なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(389)

     船越通信、癸械牽后   。横娃隠固11月25日   北村慈郎


・18日(日)は、前もって所用があって礼拝出席ができないと連絡をいただいた人が多く、礼拝出席者

が少ないのではと思っていましたが、8名の出席者があり、共に礼拝を捧げることができました。このと

ころ、今まで礼拝に出席できた人も、高齢で来れなくなったり、私の連れ合いのように病を得て来れなく

なったり、また、家庭の事情によって来れなくなっている人もあります。それでも大体10名前後の日曜日

の礼拝を継続することができることを感謝したいと思います。所謂伝道集会を特別に開いて、新しい人を

教会に招くということも、私が船越教会の実質的な牧師となった2011年4月以降、一度も行っていませ

ん。かと言って、船越教会は伝道に不熱心だというわけではありません。毎日曜日の礼拝は、誰が来ても

よいように開かれていますし、説教で語られる福音が文字通り良き音信であり、教会に集う者がその福音

に押し出されて、それぞれの場でイエスの証人とし生きていれば、神は船越教会に人を送って下さるに違

いないと思うからです。ですから、来れる人でこれからも粛々と毎日曜日の礼拝を続けていきたいと思い

ます。


・18日(日)は礼拝後、いつものように残れる人でお茶をいただきながら懇談の時を持ちました。この

日の参加者は数名比較的若い人がいましたので、仕事の話も出て、私自身は現在の労働環境の厳しさをひ

しひしと感じさせられました。お茶の会は12時半過ぎに終えて散会しました。私は次週の準備とこの日の

夜にありました、第79回かながわ明日の教団を考える会の準備をして、少し早目に船越教会を出て、明日

の教団を考える会の会場である紅葉坂教会に向かいました。この日は夜連れ合いのストーマの交換日でし

たので、明日の教団を考える会が終わったら、すぐ鶴巻に帰らなければなりませんでしたので、会の始ま

る前に夕食を済ませておきました。午後8時過ぎに会が終わり、すぐに帰りましたので、午後9時半ごろに

は鶴巻の自宅に着きました。


・さて、明日の教団を考える会では、主に10月に開催されました教団総会の報告と来年2月開催の教区総

会に向けての準備について話し合いました。この日は20名の出席があり、活発な意見交換をすることがで

きました。教団総会報告では、三役・常議員選挙で、2010年の教団総会以来全数連記によって、三役・常

議員が一方的な人たちだけによって構成されてきましたが、今回は、今までの教団執行部とは違った立場

の人も、副議長や常議員の中に5名ほど入ったことが報告されました。その他の議案では、天皇代替わり

における公費支出反対声明だけは賛成多数で可決されましたが、その他の各教区総会決議議案は、今まで

通り少数否決乃至は時間切れ廃案になりました。教団総会報告者によれば、神奈川教区の総会議員数名

は、教団総会第3日の朝行われた聖餐礼拝で、沖縄教区から総会議員が出るようになり、北村の免職撤回

復職が実現するまで、陪餐には与からないことにしたそうです。私の戒規免職撤回議案は教団総会第36号

議案でしたが、今回も議事日程の段階で議長によって教団総会議案としては扱えないとして、また葬られ

てしまいました。その議長の説明を教団総会議員でもある紅葉坂教会役員のKさんが録音を取り、文章化

してくださいました。この議長の説明に対する批判と抗議を、神奈川教区常置委員会に求めることにしま

した。もし常置委員会ではこの件は扱えないということであれば、議員提案教区総会議案として2月総会

に出し、教団総会議長へ教区として抗議するように進めていくことを確認しました。私の議案とは別に聖

論議の場設定議案は、教団総会議案第37号議案として上程されて審議されましたが、議員総数339(過半

数170)賛成140少数否決されました。この件について関田寛雄牧師は、少数否決とは言え、140名の賛成が

あったことを評価したい。30名の差はこれからの努力次第では変わり得ると思う。希望があるということ

だ。私が今まで主張してきた「土俵を割らない」「対話を止めない」「希望を捨てない」を堅持して、こ

れからも教団に関わり続けたい、という趣旨の発言をされました。その他リフレッシュ@かながわの福島

の被災者支援保養プログラムの件、「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会

の報告を共有しました。また、参加者の一人から、教区の情報が入らないので、毎月の常置委員会報告を

教会に送ってもらえないかという意見が出ました。それに対して、6月の教区総会で一年間の常置委員会

報告がまとまって出るが、一年間まとまってではなく、毎月となるとむずかしいのではという意見があり

ました。この件も常置委員会で確かめることにしました。


・19日(月)は、私が13:15までに秦野日赤に行き、2泊3日の前立腺がんの検査入院をすることになっ

ていました。この日近江金田教会牧師のYさん家族3人が連れ合いを訪ねて来たいということで、10時半の

約束をしていましたが、9時頃電話があり、私たちのいる鶴巻のマンションの向いのセブンイレブンの駐

車場に来ているというので、私が出て行ってマンションの裏に車を置いて、ご家族を自宅に案内しまし

た。Yさんは18日の日曜日の夜近江金田を出て、今朝鶴巻に着いたというのです。彼は1990年代の後

半に、私が紅葉坂教会の牧師をしていたときに、農伝を卒業して3年間紅葉坂教会の伝道師をしていまし

た。そういう関係で、10月の教団総会で彼と会った時に、連れ合いの状況を話し、一度会いに来るという

ことになっていたのです。相変わらずフットワークがいいというか、大胆と言うか、19日(月)は幼稚園

に勤めている彼の連れ合いが休みになったので、この日ならば来れるということで、お子さんも一緒に家

族3人で来てくれたのです。私は12時過ぎに失礼して、秦野日赤に行きましたが、それから1時間くらいY

さん家族は鶴巻にいて、その後帰ったようです。私は20日(火)午前中に前立腺の組織を取る検査手術

を受け、21日(水)10時に退院して、鶴巻に帰って来ました。


・22日(木)は連れ合いの抗がん治療の日で、朝8時過ぎに鶴巻の自宅を出て、東海大学に向かいまし

た。抗がん治療を受ける時は、行は電車とバスで、帰りはタクシーを使うことにしています。この日も白

血球の数値が比較的高めで、抗がん治療を受けることができました。24日(土)は、午後紅葉坂教会で

ありました、以前船越教会の礼拝奏楽をしてくれましたAさんの演奏会に行ってから船越教会に来まし

た。