なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(419)

     船越通信、癸苅隠后   。横娃隠糠7月7日   北村慈郎


・30日の礼拝には、久しぶりにO・Kさんが出席されました。O・Kさんは4月から山口県に行かれました

が、今回こちらにいるご両親の所に来たので日曜日に船越教会の礼拝に出席して下さったようです。お元

気そうでうれしく思いました。


・礼拝後いつものように残れる人でお茶を飲みながら懇談して散会しました。この日は、前日の29日土曜

日にお0・Yさんから鶴巻の自宅に電話をもらい、0・Yさんが金沢文庫のこもれびという老健にいること

が分かりましたので、鶴巻に帰る途中こもれびに寄って、0・Yさんをお訪ねしてお話してきました。

0・Yさんは3月31日の船越教会の礼拝に出席していますが、その後買い物に出かけて、帰って来て自宅マ

ンション前で転び、意識を失い救急車の中で意識は回復しましたが、骨折して入院。現在は老健こもれび

での生活になっています。数週間前に紅葉坂教会の関係者から0・Yさんに電話をしているがつながらな

いので、私が知っているかという問い合わせを受けました。そこで私も0・Yさんの携帯に電話しました

が通じませんでした。連絡の取り様がなく、心配していましたところ、29日にご本人の方から電話をもら

い消息が分かった次第です。現在は車椅子の生活で、自分で立って歩くことは難しいようです。リハビリ

をはじめてはいるようですが、まだ立つのも難しいようです。0・Yさんは、救急車で搬送中に意識を回

復してから、「神さま、『私をこのまま召してください』と繰り返し祈ったが、神さまは私の祈りを聞い

てはくださらなかった」と、いささか不満そうな顔つきでおっしゃっていました。0・Yさんは、80代後

半になってからも、股関節脱臼の手術や骨折入院を繰り返しながらも、その都度リハビリである程度回復

し、船越教会の礼拝にも一人で来れるようになっています。私は、今回も神さまは私を召して下さらな

かったと、いささか不満そうにおっしゃる0・Yさんと、しばらくお話をして、食堂になっているのでは

と思える広いホールに並んでいる机に車いすの人が集まり出して、午後のお茶の時間になるのではと思

い、0・Yさんに「0・Yさん、神さまはあなたに強靭な肉体を与えてくださったのではないでしょうか。

もう少し生きなさいと。」と申し上げて、一言祈り帰ってきました。お見舞いに伺う前には、もう少し

弱っているのではないかと思っていましたが、顔つきは以前と比べて柔らかくなっているように感じまし

たが、話はしっかりしていてお元気そうに思えました。こもれびは老健ですからそう長くはいられません

ので、将来はどこかの介護ホームでの生活になるかも知れません。0・Yさんのことを憶えてお祈りいた

だければ幸いです。


・1日(月)は午後1時から鶴巻の私の自宅でこの夏船越教会を会場に開催されるフェミニスト神学の会

の実行委員会がありました。実行委員会と言っても委員は私を含めて3人です。この日はもう一人連れ合

いに会いたいという人も加わり、連れ合いも入れると5人でお茶を飲みながら話し合いました。その結果

今年のフェミニスト神学の会は「クイア神学」について学びを中心に据えることに決まりました。3人は

午後4時過ぎに帰って行きました。連れ合いは鶴巻温泉駅まで送ると言って一緒しました。


・2日(火)は午後6時から教区の常置委員会がありました。私は午後4時過ぎに鶴巻の自宅を出て、午後

6時少し前に常置委員会が行われます蒔田教会の教育館に着きました。今年度私は寿地区活動委員会とオ

リエンテーション委員会の委員長と共に戒規問題当事者として常置委員会の要請陪席者になっています。

先日(6月29日)の教区総会で2019年度の各部各委員会名簿の確認の議案審議のときに、東京神学大学

准教授で橋本教会を兼任しているS氏が、「この委員会名簿に戒規免職処分を受けた北村さんが入ってい

て、それを教区総会で承認するということは、教団の教憲教規違反の議決をすることになるから、北村さ

んは委員名簿に入ったままでは議決できない」という趣旨の発言をしました。教規143条には確かに「停

職または免職の処分中にある者は、教団総会議員若しくは教区総会議員に選ばれ、または本教団若しくは

教区の教務に従事することができない」と明記されています。神奈川教区は教団における私の教師免職処

分を不当とし、この教規に抗って私を常置委員会推薦の教区総会議員にし、教区の教務に携わることを認

めてくれているのです。この私の処遇を通して神奈川教区は、教区は単なる教団の言いなりになる執行機

関ではなく、ある程度自主的な地域共同体であるということを示しているのではないかと、私には思えま

す。その意味で、神奈川教区の私に対する処遇を私は感謝しています。5月26日に札幌北光教会で開催さ

れた支援会の北海道出前集会で、出席者の一人の教団の牧師が、かつて自分が聖公会で北村さんと同じよ

うに免職処分を受けた時には、支援者がなく、孤立して聖公会の牧師を辞めざるを得なかった。それに対

して北村さんの場合は、多くの支援者があり、教団の不当な処分に抗議し撤回を求めている。それは希望

ではないかと思う」という趣旨の発言をされました。その通りだと思います。支えがあるということは、

有難いことです。


・4日夜から6日の午前中にかけて、支援会の通信第23号の編集作業で、編集をお願いしているSさんと

メールで何回かやり取りして、校正作業を終えて、印刷業者にSさんから発注してもらいました。通信第2

3号は3,000部13日に船越教会に届き、16日(火)、17日(水)と支援会事務局会の人が船越教会で教団の

全教会・伝道所と支援者に発送することになっています。


・5日(金)は午後、私が秦野市役所に所用があり鶴巻の自宅を先にでかけ、所用をすませて、30分ほど

後に自宅を出た連れ合いと秦野駅で落ち合い、バスで出雲大社相模分祠に行きました。連れ合いが「ほう

ずき市、朝顔市」(7月12日~15日に開催)があるようなので行ってみたいと言うので出かけました。6

日(土)は、午後3時から秦野教会で故A・K牧師のお別れの会があり、出席を予定していましたが、紅葉

坂教会関係者の葬儀式がで午前11時半から紅葉坂教会でありましたので、そちらの方に出席し、その後船

越教会にきました。