なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№643 

船越通信、№643  2024年12月8日(日)  北村慈郎

 

1日(日)はアドベント第1主日でした。船越教会ではアドベントになりますと、講壇の前に机を出してそこに赤いローソクを立てたローソク立てを四つ横並びに置き、その周りに古木の組み合わせに、もみの木の代用でカイズカイブキの葉の緑で覆い、そこに多少装飾品も散在したアドベントクランツが用意されます。この日そのアドベントクランツの一本のローソクに灯がともりました。

 

私の礼拝説教は、このところヨハネによる福音書の講解説教をしていますので、その続きをさせてもらい、聖書日課によるアドベントのテキストによる説教ではありませんでした。来週の8日(日)も船越教会では内輪で70周年記念礼拝をしますので、説教のテキストはアドベントのテキストではありません。15日(日)はアドベントのテキストにすることにしています。

 

この日は礼拝後役員会がありました。役員会では、クリスマスや8日の70周年記念礼拝と「船越教会の将来について考える」という主題で行う教会修養会のことは前回の役員会で確認済みでしたので、それを再確認し、クリスマスが終わってから献金を捧げる対外献金先を決め、後は教会の建物関係でトイレと電気が通じなくなっている外灯部分の修理について話し合いました。役員会は12時半ごろ終了しました。私は午後2時過ぎのバスで追浜に出て、鶴巻に午後4時過ぎに帰りました。

 

2日(月)は、土曜日から日曜日にかけての睡眠が4時間くらいでしたので、朝起きた時、10時間近くも寝ていました。夜中にトイレで目が覚めた時に、少し考え事をしましたが、それにしても10時間も寝ていられるのは、年齢の割にはまだ私の体は若いのかも知れません。それでも歩くのが遅くなり、転びやすくなってきていますので、最近は少し気を付けながら生活しています。この日は一日鶴巻でのんびり過ごしました。

 

3日(火)は18:00から対面の常置委員会が蒔田教会教育館であり、私も出席しました。この日は一人の病院のチャプレンに就任した教務教師の面接と、補教師試験受験志願者3名、正教師試験受験志願者3名の面接がありました。

 

神奈川教区の教師の面接では本人の意見表明を聞いた後、質疑の時間があり、その時に必ず一人の方から、教団の教師になる方にとって一人の教師が戒規免職されているということは避けて通れない問題であるからということで、面接者はこの問題をどう考えるかという質問が出ます。議長は、面接者に答えは強要しませんが、答えられる限りでお答えくださいと促します。ほとんどの面接者はそれなりに応答します。この日もこの質問があり、7人の面接者からそれぞれ応答がありました。

 

今回の7人の応答では、信仰告白・教憲教規に従って教師の働きをすると言った人でも、私の戒規免職についての言い方が当然だと言わんばかりの言い方ではなく、私とは違うが自分は信仰告白・教憲教規に基づいて云々という言い方をしていました。

 

この質問に7人の面接者が応答した後、私は意見として、私の問題を含めて教団の対立した現状を、それぞれの背景にある神学的な立場にまで掘り下げて公正で、正確に書いている鈴木道夫さんの『違いがありつつ、ひとつ~試論「十全のイエス・キリスト」~』を是非読んでもらいたいという意見を述べさせてもらいました。そこには補教師試験受験志願者の推薦者として一人の東京神学大学教授もいました。

 

また、この常置委員会で私の問題に関する3つの継続議案が上程された時に、議長は過日の教団総会で神奈川教区総会決議議案が上程されなかったことに対して、四役として抗議文を出そうと思っているとおっしゃいました。一人の常置委員から抗議文を出す前に教団議長との話し合いを求めたらどうかと言う意見が出て、議長はそれも考慮して見ると答えました。

 

その話し合いの中で、一常置委員から、この私の問題では「教区が教団に距離を置くべきではないか」という意見が出ました。私にも意見が求められましたので、私は過日の教団総会会期中の支援会全国交流集会では、手続きの再審理の議案も上程できないということだと、やりようがないので、今の教団多数派によって主導されている教団に距離を置く教区が連帯して自主的な活動をしていく中で、教団の機構改定や教師論等の問題を多数派の考えに対してきちっと対論を出しながら議論を求めて行く必要があるのではないか、という意見を述べたことを申し上げました。

 

すると、陪席差の一人から教区が教団との間に距離を置いたら、その教区に教会として距離を置くとくと言う発言がありました。何人かの人はそういうこともあり得るだろうと言いました。数で少数派を切り捨てる現在の教団多数派が主導する教団が続くと、沖縄教区に続いて教団との間に距離を置く教区が現れるのは必然に思えます。実質的にそういう教団中央と距離を置いて自主的に活動している教区は現在でもいくつかあるのではないかと思われます。

 

活発に議論をして、議論の中でより良い意見が多数によって支持されて、決められていく会議ではなく、最初から多数の側の意見が数で決められて、議論は形だけの会議からは、生産的なものは生まれてくるはずがありません。

 

この日の常置委員会が終わったのは午後9時を過ぎていて、鶴巻に帰ったのは午後11時近くになっていました。

 

5日(木)は辺野古新基地建設反対の国会前座り込みはお休みさせてもらいました。8日(日)の準備と6日(金)18:00から農伝のアドベント礼拝の説教を頼まれているからです。

 

6日(金)は午前中秦野日赤に前立腺の3ヶ月に一度の定期診察に行き、薬を出してもらい鶴巻に帰って来てから、農伝のアドベントの説教を原稿にしました。礼拝は午後6時からですが、早めに鶴巻を出て、町田からバスで終点野津田車庫で降り、暗くなって街灯のある急な坂道を登って。農伝に着きました。礼拝を終えてしばらく歓談し、鶴巻に帰ってきたのは午後9時を過ぎていました。