なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(569)

船越通信、№569 2023年6月4日(日)北村慈郎

  • 5月27日(土)13:30より渋谷にある日本基督教団渋谷教会礼拝堂で、青山学院大学神学科同窓会による関田寛雄先生の追悼礼拝がありました。同窓会会長で以前神奈川教区の上星川教会の牧師をして隠退された牧野信次先生から、大分前にこの追悼礼拝のお知らせを受けていましたので、私も出席しました。牧野先生からは関田先生の葬儀を終えてしばらくした頃お電話をいただき、関田先生の葬儀での私の説教原稿を送って欲しいと言うので、送りました。すると、青山学院大学神学科同窓会会報№56(2023年4月10日発行)の「関田寛雄先生 追悼特集号(その1)」に私の説教を全文掲載して下さり、その会報を送ってくださいました。その会報に「お知らせ」として、関田寛雄先生 追悼礼拝の案内」が掲載されていました。追悼礼拝では牧野先生による説教と3人の方の追悼のことばがありました。後日牧野先生からお電話をいただき、当日の出席者は135名ほどだったということです。本当に久しぶりに渋谷に行きましたが、前もって駅から渋谷教会までの道順を確認していましたので、迷うことなく教会まで行けましたが、渋谷駅周辺の激変ぶりには驚きました。追悼礼拝が終わって、何処にもよらないで、鶴巻温泉―新宿―JR渋谷という、往きのルートを戻って、一度鶴巻に帰り、早夕食を済ませてから、船越教会に来ました。船越教会に着いたのは、午後8時半過ぎでした。
  • 28日(日)はペンテコステの礼拝でした。この日の礼拝にはM・Sさんの転入会式と聖餐式がありました。礼拝後私は役員の方と6月1日(木)に代務者をお願いしたM・N先生をお訪ねすることになっていましたので、12時45分に最寄り駅で待ち合わせすることを打ち合わせた後、この日礼拝に出席されたO・Tさんと筆談をしました。その後M・Sさんを囲んで昼食会がありました。和室に机を出してする昼食会は久しぶりでした。昼食会も午後1時過ぎには終えて、散会しました。私も後片付けをしてから、梅田バス停から追浜に出て鶴巻に帰りました。
  • この日は午後3時から東湘南地区の総会が逗子教会であり、H・Sさんに出席してもらいました。本来なら私も船越教会牧師として出なければならないのですが、教団から免職処分を受けていますので、私宛に案内は来ません。教区総会の場合は、船越教会の牧師としてではなく、常置委員会による推薦議員として教区総会に出席しています。教区総会では最近は言わなくなっていますが、以前は毎回議場から、「北村は免職処分を受けているので教規上教区総会議員や教区の委員会の委員にはなれないのではないか」とう発言がありました。普段は免職を意識することはほとんどないのですが、教区や地区のかかわりの中で意識させられることがあります。
  • 29日(月)午後7時から、関内のWMCAで関田先生のお別れ会の実行委員会がある予定でしたが、急遽今回はZoomで行うという連絡があり、Zoomによる実行委員会があり、私も参加しました。6月17日(土)13:00~15:00、川崎朝鮮初級学校体育館で行われる関田先生のお別れ会の会場の設営や、当日の役割、プログラム、などの最後の確認を行いました。案内は既にメールで皆さんに送ってあります。青山学院大学神学科同窓会の関田先生の追悼礼拝とは違って、この先生のお別れ会には、多様な方々が出席されると思います。最初の礼拝は短く行い、様々な先生と関りのある方が思い出を話すことになっていて、私もその一人です。先生の葬儀式と埋葬式の司式を行なった者として選ばれていると思いますので、短くそのことをお話ししようと思っています。この日の実行委員会は1時間弱で終えました。
  • 30日(火)は午後6時から教区の臨時常置委員会がZoomでありました。6月24日(土)開催の教区総会の準備の常置委員会でした。私も要請陪席者としてこのZoomによる臨時常置委員会に参加しました。その中で、前回の常置委員会で准允を志願した方の一人から辞退があったという報告がありました。予定した任地への赴任を断ったことが理由のようです。また、按手・准允の時に、志願者の受けた教師検定試験が「不当とまでは言えない」に賛成の方は挙手してくださいという議場の承認をとってから按手・准允式を執行していることに対して、前回の総会でその承認は必要ないのではないかという意見があり、常置委員会で次回の総会までに話し合い、どうするか方向を出すことになっています。前回の常置委員会に続いて今回の臨時常置委員会でも、この件についての話し合いがありました。結論がでず、この件は6月の常置委員会に持ち越しました。何故このようなことが問題になるかと言いますと、1970年代に起こった教師検定試験問題に起因します。問題の発端は、いわゆる関学の神学部闘争に関わった神学生を、神学校の推薦が取り消されたということをもって、教師検定委員会は、教師検定試験は合格を出していたのに、それを保留にしたということだったわけです。そこで提起された問題は4点あります。①正教師・補教師の区別、②認可神学校の基準、③検定試験の基準、ことに信仰告白の解釈、④神学校の推薦です。それに対し教団側は、一つ一つの問いに対して結局は答えを出せなかったわけです。出せないままに教会の現場では教師を、教師検定試験をして生み出してほしいという、そういう要望が非常に強かったものですから、菊地委員会ができて、信仰告白を基準として教師検定試験をするということで、結局試験の実施の方が問いに対する答えのないままに、先行したというのが教団の実情だと思います。それが現在まで続いているので、神奈川教区はその問題を風化させないために、按手・准允執行の度毎に、上記の承認を議場に問うて按手・准允を執行しているのです。ちなみに兵庫教区では現在も教師検定試験受験拒否者がいて、教区は補教師の礼典執行を教区総会決議をして認めています。現在の教団は、残念ですが、様々な矛盾や問いを抱え、それに応えようとする努力を欠いたまま組織維持だけを最優先しているとしか思えません。
  • 1日(木)午後には、上記にありますように4名の役員の方々と共にM・N牧師をお訪ねしました。夏が過ぎて、涼しくなったら、先生には船越教会の礼拝説教をお願いしたいと思っています。