なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(519)

船越通信、№519 2022年6月12日(日)北村慈郎

 

  • 5日(日)は関田先生が一人で船越教会まで来られることになっていましたので、先生が到着しそうな時間に梅田のバス停近くまで出て迎えました。追浜からタクシーで来るというので、通常追浜から船越教会までのタクシーは、追浜から横須賀方面に16号線を走り、途中から左に曲がり、丘越えで、教会前のトンネルと別にもう一つあるトンネルに教会前の道路から入る入り口付近で止まります。案の定語午前10時頃にその場所に上からタクシーが来て、私が合図をして、田浦行き方面梅田のバス停前に止めてもらいました。そうすれば道路を渡らないで教会に来られるからです。道路から教会には20数段の階段がありますが、先生には「楽ちん号」に乗ってもらいました(帰りもそうしていただきました)。その後先生には30分ほど会堂で休んでいただき、礼拝に備えていただきました。
  • 礼拝が始まる少し前に、先生には会衆席と向かい合っている講壇の椅子に座っていただきました。私は礼拝の時には会衆席の一番前に座り、説教の時だけ講壇に行くようにしています。Hさんの司会で礼拝が始まり、先生の力強い説教を伺い、この日の礼拝を終えました。先生のこの日の説教は後日教会だより「船越の丘」に掲載される予定ですので、ご期待ください。礼拝後お重にきれいに並べられた手作りのお弁当が、いつもの祝祭日の昼食会のように集会室の机と和室に出した座り机に並べられて、その前に皆が座って昼食をいただきました。先生は、こんなに食べられないと言って、半分くらい残されましたが、帰ってからこの日の夕食にと、お土産にして持ち帰っていただきました。礼拝出席者は14名、昼食会参加者は12名でした。その後、私は帰り支度をして、先生を金沢八景まで送り、一緒に京急に乗り、品川まで行かれる先生と横浜で別れて、鶴巻に帰りました。
  • 関田先生は、私を牧師として処遇し、私に対する教団の戒規免職撤回を支援してくれている船越教会の働きについて語ってくださいました。私自身そのことには本当に感謝しています。船越教会が私を牧師として立てていてくださるので、この11年間私は教会に留まって活動を続けてくることができました。どこまで続けられるかは分かりませんが、健康が許される限り、船越教会で私の牧師としての働きを続けさせてもらいたいと願っています。
  • 6日(月)は、午前中歯科医に行き、三本抜いた歯の義歯ができていて、それを調整してもらい、それで今回の治療は終わりました。ただ相当歯茎が痛んで歯槽膿漏が進んでいるようで、今後も一か月に一度検診のために通うことにしました。これで毎月一回内科と歯科医に、3か月に一回前立腺の経過観察のために日赤の泌尿器科に通うということになりました。老いるということには、余程幸運でなければ、病気との向かい合いが必然になるということなのでしょう。この日は午後、私の支援会の通信第28号発送準備と教区の2022年度第1回オリエンテーションの発送準備の作業を行いました。オリエンテーションの発送は別の委員の方がしてくれることになっているのですが、その準備は委員長の私がしなければならないからです。
  • 7日(火)は、午前中久しぶりに自転車で平塚の朝つゆ広場(地元の野菜が多い販売所)に行きました。新鮮な野菜をたっぷり買ってきました。野菜スープを作るためです。組み合わせの違う5種類の野菜を細かく切って、900mlの水を加え、沸騰したら弱火で30分煮るだけのスープです。鶴巻にいる時には、作り置きをしているハンドブレンダーで汁状にしたその野菜スープを、朝食の時に毎日飲んでいます。朝つゆ広場からの帰りは、風が強く、私の前の自転車はなかなか前進できないようでしたが、私の自転車は電動なので、強い風の中でも比較的前進できました。かぶっていた帽子が飛ばされないように注意しながら、ほとんど何時もと変わらないスピードでマンションまで帰ってきました。この日は午後6時から蒔田教会礼拝堂で常置委員会がありましたので、午後4時過ぎには鶴巻を出て、蒔田教会に向かいました。この日の常置委員会では、前回の教区総会で出た要望である、准允・按手礼式の時に議長が必ず議場に問う「准允・按手志願者の受けた教団の教師検定試験は、神奈川教区か見て不当とまでは言えないに賛成の方は挙手をお願いします」という文言は言う必要がないのではないかについて話し合われました。この文言を言う必要がないという意見もありましたが、現在の教団の教師検定試験は、70年代に教団の教師検定試験は何を基準に行うのかという根本的な問いを突き付けられ、その時教団は教師検定試験を実施することができなくなったのです。ところが、その問いに誠実に答えることなく、教団は見切り発車の形で教師検定試験だけを実施するようになりました。当時教団の教師検定試験に問題を感じて受験を拒否する人がいました。私も約10年正教師試験を拒否していました。私は10年後に正教師試験を受験しましたが、正教師試験拒否を貫いて、今でも補教師のまま牧会している人もいます。ですから、今の教団が執行している教師検定試験は、投げかけられた問いに応えないまま試験だけ行っている事になりますので、見方によっては不当な教師検定試験ということにもなります。一方教団の教師に検定試験を受けてなりたいという人もいるわけですから、そういう人のためには教師検定試験実施という道をつけておく必要があります。そういう歴史的経過と教団の教師の再生産という課題の狭間で行われている現在の教団の教師検定試験は、神奈川教区から見て不当とまでは言えないということを、総会議場で毎回確認して、神奈川教区は准允・按手の執行をしているのです。この日の常置委員会の議論の中で、教区総会でこの文言を言うことに賛成・反対・保留をとってもらいたいという意見が出て、議長は、次回教区総会から准允・按手式のあるときにはそうすると約束して、この日の議論は終わりました。もうひとつ前回常置委員会からの継続議題である、次の教区総会議案として出す「ウクライナへのロシアの軍事侵攻」に対する反対声明について、2,3修正意見がありましたが、それを踏まえ最終的には四役会で修正したものを総会議案とすることにきまりました。
  • 9日(木)は辺野古新基地建設反対国会前座り込みに出かけました。