なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№475 2020年11月15日 北村慈郎

・   8日(日)は礼拝後比較的早前に散会しました。ただN・KさんとT・Tさんと私とで、船越教会平和センターの平和と人権を考えるDVD鑑賞会や平和センターの今後の活動についてしばらく話し合いました。来年2月14日予定の平和と人権を考えるDVD鑑賞会は、前回のネルソンさんの憲法の話を受けて、憲法をテーマにしたものにしたらということになっています。その後のことは、いろいろと話し合いましたが、まだ確定していません。平和センターの活動として、DVD鑑賞会だけではなく、講演会や平和と人権の問題に関わっていますグループや活動家の話も聞けたらという意見も出ました。また、DVD鑑賞会も特定の人だけではなく、新しい人が参加できるような工夫も、コロナが終息してからは、考えていきたいという意見も出ました。12時半過ぎ頃まで話し合いました。

・   実は14日(土)午後に横浜磯子教会で行われた教区核問題小委員会主催、豊田直己監督作品「サマショール(自主帰還者)~遺言、第六章~」の特別試写会とトークに、私も出席しました。(「サマショール」は、チェルノブイリ原発事故後に「立ち入り禁止区域」に戻り、暮らす人々のことをさすウクライナ語)この集会のチラシに、『サマショール~遺言 第六章~』上映プロジェクトからの引用文が載っています。それを紹介します。

・   「★放射能に汚染され、すべての村人が避難した福島飯館村(いいだてむら)…。/震災から6年後、避難指示が解除されることになった。/仮設住宅で暮らす元酪農家の長谷川健一さんは、ふるさとに戻るのか、決断を迫られる。/そこで、原発事故から30年が過ぎたチェルノブイリへ旅に出る。/目にしたものは、人の消えた町と森に還った廃屋。/しかし長谷川さんは、立ち入り禁止区域で暮らす「サマショール(自主帰還者)」に出会う。/それは未来の自分の姿。//汚染された大地で「放射能との共存」を強いられる生活だが、それもふるさと。★★100年後、200年後には子孫がこの地に戻るかも知れない。その日のために今日も畑に蕎麦の種を撒く。/「原発に負けないで、頑張ってください」。/原発事故を苦に命を落とした酪農家仲間の『遺言』と、意志を受け継ぐ飯館村のサマショールたちの第六章」。

・   この映像を観、豊田監督のスライドによるトークを聞いて、改めて東京電力福島第一原発事故とは何かを突きつけられました。ヒロシマナガサキと同じようにフクシマも決して忘れてはならないし、繰り返し想い起しながら、核のない世界をつくっていかなければならないと、強く思わされました。

・   そこで2021年度の3回の平和と人権を考えるDVD鑑賞会を、2021年はフクシマからちょうど10年になりますので、原発とフクシマのことをテーマに企画したらどうだろうかと思った次第です。

・   8日(日)は3人での話し合いの後、次週の準備のホームページの週報礼拝予告の編集がなかなかできなくて、時間がかかり、やっとできたら、午後1時を大分過ぎていました。結局船越教会を出たのは午後2時近くになっていました。鶴巻に着いたのは午後4時ごろで、買ってきたお弁当で遅い昼食をとりました。

・   10日(火)は午後6時から常置委員会がありました。この日午前中体調が少しよくなかったので、お休みしようかと思っていましたが、午後になり回復しましたので、午後4時過ぎに鶴巻を出て常置委員会の会場である蒔田教会に向かいました。この日の常置委員会では教師検定試験受験者の面接がありました。確か5人でしたが、5人ともそれぞれ自分の召命感については所信表明をしました。中には日本基督教団信仰告白と教権教規を、私を戒規免職にした教団の中枢の人たちと同じように強調している人もいました。受験者の所信表明の後、質疑応答の時間がありますが、私も手を上げましたが、先に手を挙げた常置委員のK・Kさんが要望と断って、意見を述べました。第144回教区総会で可決された私の戒規免職撤回議案の提案理由を3回繰り返し読んで、聖餐の在り方以前に、教団が私の免職に至る手続きにおいて人権侵害に当たる不当なことをしているか、是非知ってもらいたいと言われました。このK・Kさんの発言に続いて私が発言するのはと、躊躇していましたら、O・Hさんが発言して、受験者に、あなたがたは教団の教師になるのだから、教団の歴史を、特に戦争協力をした教団のこと、そしてその反省として出した「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)ことを踏まえてもらいたいと言われました。私が発言したかったのも、O・Hさんとほぼ同じことで、教団の教師になる以上教団成立と戦時下の戦争協力という負の歴史、現教団信仰告白も戦時下教団の教義の大要の焼き直しに過ぎないことを認識しなければならないということでした。

・   14日(土)は午前10時から蒔田教会礼拝堂で教区の宣教方策会議がありました。私は寿地区活動委員会とオリエンテーション委員会の責任者として出席しました。この宣教方策会議は毎年この時期に開かれている会議で、各地区、各部各委員会の来年度の活動計画案・予算案を持ち寄って、提案・審議すると共に、来年度の「教区活動基本方策案および活動計画」(案)を審議します。そこで承認されたものを宣教部委員会が常置委員会に提案し、常置委員会の承認を経て教区総会議案になります。その意味で教区の宣教にとって宣教方策会議は重要な会議なのですが、一部の教会からはほとんど担い手が出てきていません。特に社会的な課題の委員会には全くと言っていいくらいに委員が出ていません。このことは上記教師検定試験受験者の面接における一部受験者の歴史を捨象するかのような発言とも繋がっていて、そのような発言をする受験者のほとんどは、社会的な課題の委員会に委員を出していない教会に所属しているのです。

・   日本基督教団に属するすべての教会は、国家権力による教団成立と戦時下の戦争協力を共有しています。これが、日本基督教団の教会のアイデンティティーです。教団の教会に属する者はこのことに自覚的であければならないと、私は思っています。