なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(350)

          船越通信、癸械毅亜   。横娃隠固2月11日   北村慈郎


・本日2月11日は「信教の自由を守る日」です。国の祝日としては「建国記念の日」ですが、私たちの教会

ではこの日を「信教の自由を守る日」として守っています。私に教師退任勧告を出した元山北宣久教団総会議

長も、教団新報にこの「信教の自由を守る日」についてのメッセージを出しています。以下がそのメッセージ

です。


・教団新報4667、2・11メッセージ(2009/01/31)【二月十一日を「建国記念の日」として制定実施され

た一九六七年以来、私たち日本基督教団は、この日を「信教の自由を守る日」として、各地で2・11集会を開

催し、「建国記念の日」の祝日に対して異議を訴え続けてきました。/それは、国民の祝日に関する法律

(以下、祝日法と記す)では、2・11日を「建国記念の日」として「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規

定していますが、そもそもこの日は、神話上の人物とされる神武天皇が即位した日とされている日で、一八

七四年に「紀元節」と決められて以来、「紀元節」として守られていた祝日であり、敢えてこの日を「建国

記念の日」と定めたからであります。つまり、日本の国は天皇によって建国され、その国を愛する心を養う

というのが、「建国記念の日」制定の意図だからです。/祝日法の改定によって二〇〇七年からは、四月二

九日の昭和天皇誕生日が「昭和の日」と制定されました。「海の日」は明治天皇に由来し、「春分の日

秋分の日」「文化の日」「勤労感謝の日」「天皇誕生日」等、国民の祝日には、天皇や皇族と関連して定

められているのがあります。/この意図は、天皇制が国民の日常生活から遊離しないように仕組まれている

ことは、明白であります。この最も顕著な例は、「日の丸・君が代」の強制的な押し付けであります。これ

日本国憲法19条で保障されている「思想・良心の自由」及び20条の「信教の自由」を完全に否定している

行為であります。この強制に信仰的・良 心的理由から反対した公立学校の教職員たちが罰則を受けるとい

う憂うべき状況にまで至っています。今では、私立のキリスト教主義学校にまで教育委員会より強い要請

があると聞きます。/2・11日を迎えるに当たって、「信教の自由」が堅持されるようにと発言していく

ことが、極めて重要な宣教の課題であります。各地での集会の上に、神の祝福を祈ります。

                              日本基督教団総会議長 山北宣久 】


・この山北さんの2・11メッセージに依存はありません。特に最後のところで、「2・11日を迎えるに当た

って、「信教の自由」が堅持されるようにと発言していくことが、極めて重要な宣教の課題であります」

と言われていますが、山北さんの「それ行け伝道」が単なる教勢拡張だけをめざすものではないとすれば、

教会の宣教の課題について山北さんとも共有できる部分があるように思われます。天皇制の問題は生前退

位のことも絡んで、ますます教会の宣教の課題となっていくに違いありません。今年も2・11を迎える

に当たって、そのことを確認しておきたいと思います。


・4日の日曜日は、礼拝後残れる人でいつものようにしばらくお茶を飲みながら懇談してから散会しまし

た。この日はその後庭の手入れをしてくれていましたSさんに声をかけて、私は午後2時過ぎには船越教会

から鶴巻に帰りました。


・5日(月)は一日戦責告白50年を覚える神奈川教区集会の報告集原稿のまとめに時間を取り、ほぼ原稿は

まとまり、委員の皆さんへ原稿を送り、校正をお願いしました。報告集は19日(月)に船越教会で印刷完成

させて、24日の教区総会には皆さんに配布したいと思っています。


・6日(火)は午後6時から蒔田教会教育会館で2月常置委員会があり、私も戒規免職の当事者として要請陪

席者となっていますので出席しました。この日の常置委員会では、5日~6日に開催された教団常儀委員会の

報告の中で、現教団執行部がトップダウン方式の伝道方策を教区議長会に諮っているという報告がありまし

た。それを巡って常置委員会では意見交換がなされましたが、どうも教団執行部は教区の主体性を奪って、

教団と各個教会が直接結びつくような方向性を取ろうとしているように、その議論を聞きながら感じました

。1960年代後半ごろから当時は教区の教会性ということが各教区で言われるようになってきて、教区におけ

る牧師や教会の互助体制の確立がめざされたように思います。その流れの中で、現在の教区はある種の教会

性を既に持っていて、それぞれの教区の独自性を持ちながら、教区の主体性をそれぞれの教区が発揮して宣

教活動が行われているように思われます。私はこの問題で発言をさせてもらい、教会政治的には長老主義教

会の中会(教団での教区に当たる)中心の教会運営が現実的ではないかと思われるので、もし現教団執行

部が教団と各個教会の直接性を求めるとするならば、むしろそのような教団に対して、教区を中心とした

教団形成を対案として主張していくべきではないか。教団中央は組織的にも活動的にも出来る限り縮小し

て、必要最低限のものを残し、後は教区主体の活動に徹底すべきではないか。そういう方向性の中で多様

性を認め合って教区間の交わりを密にしていくことが望ましいのではないか、という発言をしました。以

前かながわ明日の教団を考える会で、教団マニュフェストを考えたことがありました。そのマニュフェス

トでは、教区を中心とした教団形成をまとめました。農伝の紀要にも3,4年前に書いています。今後の教

団の推移をみながら、何かの機会に教団マニュフェストをもう一度真剣に公表してみようかと思っていま

す。


・もう一つ、今回の常置委員会では2月24日の総会で審議される予算との関係で、前回の常置委員会決議に

基づいて、船越教会の負担金が再提案されました。それによりますと、2018年度は確か79,000円になります。

2017年度は55,000円です。前回の常置委員会決議によって四役が財務と検討してこの額に決まったようです。

この算定は関田先生が代務者として主任牧師で私は担任牧師となるから、私の謝儀控除は主任の半額になる

ので、その控除額からすると、船越教会の2018年度の負担金は確か79,000円になるというのです。常置委

員会ではそれはおかしいと言う意見もありましたが、常置委員会決議に基づき四役が財務と決めたことで

すので、私もそれはおかしいと意見を言いましたが、その決定は受け入れざるを得ませんでした。


・9日(金)の聖書研究会は汽謄皀6:1-2aの奴隷の記事を扱いました。