なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(486)

船越通信、№486 2021年10月10日 北村慈郎

  • 10月3日の日曜日の礼拝は、久しぶりに船越教会の会堂でみなが集まって行いました。会堂の講壇で語る私の説教は、説教原稿に基づきながら、解説や強調の言葉を加えたり、一部原稿を端折ったりしながら自由に話します。久しぶりに講壇で説教して気づいたことは、講壇で語る説教には私なりに命が込められているように思いました。ですから逆に、文字原稿だけの説教には、語りとしての説教のようにはなかなか命を込められないのではないかと思うのです。会堂での対面による礼拝ができない場合は、メース配信による文字だけの礼拝式及び説教原稿によって、皆さんが各自自宅で礼拝をするようにしているわけです。そのために、プラスαのない文字だけによる説教原稿を説教として配信しなければなりませんので、ロマ書の説教に難儀しているのは、ロマ書そのものが難しいだけではなくて、文字原稿だけの説教を説教と言えるのかということに引っかかっているのかも知れません。しかし、その人の説教を講壇から聴いたことのない人の文字としての説教集から感銘を受ける説教もあるわけですから、私の理屈は屁理屈に過ぎないのかも知れません。そんな思いをもって、私は久しぶりに再開された会堂での礼拝を守りました。
  • 礼拝後、しばらく出席者の近況報告を交わし合い、すぐ役員会を開きました。役員会は、7月に開いてから緊急事態宣言がでて、7月最後の日曜日から会堂での礼拝をお休みにしましたので、8月、9月と開いていませんでしたので、3か月分の報告を共有しました。会計報告も3か月分の報告がありました。礼拝がありませんでしたので、日曜日の席上献金もなく、月定献金も振り込む必要がありましたので、献金収入が少ないのではと心配でしたが、それほど大きなマイナスになっていませんでしたので、みなさんの支えを感謝した次第です。協議事項の中で、私は11月21日(日)に牧師休暇をお願いし、承認されました。実はこの日に昨年3月に帰天した連れ合いの千賀の遺骨を紅葉坂教会の墓地に納骨させていただくことにしているからです。紅葉坂教会の墓地には千賀の両親の遺骨も納骨されています。父親は戦死ですので遺骨と言っても骨壺にはほとんど遺骨らしいものはありませんでしたが、私たちが結婚する前年に帰天した母親の遺骨と共に、紅葉坂教会の墓地に納骨されていますので、千賀も同じところにと思って、紅葉坂教会にお願いしたわけです。千賀は父親が戦死していましたので、千賀を育ててくれた祖母が牧師だった父親のことを思って、千賀を幼いころから紅葉坂教会の日曜学校に通わせたのです。千賀もまたそのことを喜んでいて、千賀にとって紅葉坂教会は故郷のようなところだったようです。そのこともあり、千賀の納骨を紅葉坂教会にお願いしたわけです。11月21日(日)は紅葉坂教会の秋の墓前礼拝になります。5日(火)に紅葉坂教会のI牧師から電話で、千賀の納骨が役員会で承認されたというお電話をいただきました。そういうわけで11月21日(日)は信徒講壇になります。
  • 10月5日(火)はZoomで教区の常置委員会がありました。私も要請陪席者として参加しました。Zoomでしたので、私もなかなか繋がらずに、参加できたのは常置委員会の開始時間の午後6時が過ぎていましたが、教区議長の参加も20分ほど遅れましたので、午後6時20分頃からの開始になりました。今回は比較的議事が少なく、午後8時前に常置委員会は終わりました。しかし、今回は二つのことで私に関係することが問題になりました。一つは2021年度各委員会推薦名簿のことで、私が寿地区活動委員会、オリエンテーション委員会、基地・自衛隊問題小委員会の委員に入っていることについて、二人の教職の常置委員から、免職された教師が教区の委員会の委員になるのは教規違反だから認められないという意見がありました。議長は、上記の3委員会推薦名簿を除いて、先ずその他の委員会推薦名簿の承認を常置委員に求め、全員賛成で承認されました。次に私の名前が入っている3委員会推薦名簿の承認を常置委員会に求め、賛成11名で承認されました。その後要請陪席者の一人から、今の常置委員会の議決は、教区総会決議の私の免職撤回議案とは相反することになり問題であるという発言がありました。教区総会では、私が教団から免職されていても、実質的に一人の教師として常置委員会推薦議員として教区総会議員になって出席しています。本来その教区総会で上記「2021年度各委員会推薦名簿」は議案として承認されて確定するのですが、今年は新型コロナウイルス感染拡大のため、教区総会では審議できませんでしたので、常置委員会で議決したわけです。教区総会でのこの議案の審議の時にも、必ず上記二人の教職常置委員の発言が教区教会でも出てきます。
  • もう一つは、教区常置委員会議案の中には私に関係する二つの議案が毎回出されます。ほとんど審議もなく、継続審議を繰り返しているのですが、今回は他の議事にかかる時間が比較的短かったので、その二つの議案、「第9号議案 第39回・第40回・第41回教団総会の議事結果への対応に関する件」と「第10号議案 北村慈郎氏の身分に関する件」との関連で私が発言をしました。一つは、2019年9月に私が教師委員会に出した免職に関する「再審請求」に対する教師委員会の回答を紹介しました。その回答は戒規施行細則からすると、私の問題は既に教師委員会の手を離れているので、教師委員会が再審することはできないということと、教師委員会ができることは、私が悔い改めて教団教師への復帰願を出せば、それを取り扱うことはできるという内容でした。私からすると、余りにも私を馬鹿にした回答です。もう一つ私が発言したのは、教団年金局理事長に教団年金について質問した私への回答の文書の中に、現在私は現職の教師として扱われていることです。このような文面です。「・・・現在の先生の教団内におけるお立場は無任所とはいえ現職の教師であられますので、年金局のいかなる給付の対象にもなり得ません(脱退手当金は別として)。・・・」。これを見て、教団は一方で私を「免職された教師」(詭弁)と言い、他方で現職の教師であると言っていて、この教団のダブルスタンダートは人権侵害の何ものでもありません。宗教集団というのはこの世の組織以下で、闇の集団なのでしょうか。