なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(494)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(494)復刻版を掲載します。2009年3月のものです。


         黙想と祈りの夕べ通信(494[-23]2009・3・8発行)復刻版


 3月3日(火)に2月21日(土)に開かれました第121回神奈川教区総会で選ばれました新しい三役と常置

委員に、要請陪席の各委員会の委員長及び要求陪席の人も加わって、新しい常置委員会が行われました。

今回は信徒常置委員に選ばれましたHさんが常置委員会に加わりました。総会後のはじめての常置委員会

では、教区の宣教部委員長を常置委員の中から選任されます。宣教部を構成するのは委員長と各部委員会

委員長です。教区の宣教にとって大変大切な役割を宣教部委員長は担うことになります。常置委員のSさん

が、宣教部委員長に立候補しました。Sさんは、特に総会で承認されました教区活動基本方策案の中の27

「聖餐のあり方を巡って学びを深める」を、積極的に行なっていくこととホームページを立ち上げて、教

区の諸委員会に日程や行事が重ならないように情報を共有していくために努めたいと、自分が宣教部委員

長に立候補した理由を説明しました。Sさんからそういうアッピールがあったにも拘らず、議長のIさんは、

宣教部委員長は常置委員による投票で決めているからと言って、投票を強行し、Kさん10票、Sさん4票、

Aさん1票で、Kさんが宣教部委員長に選ばれました。どのように教区運営をしていくかという高い理念もな

く、数による教区支配としか思えない宣教部委員長の選ばれ方でした。今回の常置委員会では別に問題に

なった議案がありました。それはT教会からの「代務者決定申請に関する件」です。神奈川教区では以前か

らT教会問題が未解決のまま継続しています。詳しいことは私も分かりませんので、申し上げられませんが、

現在のT教会は一部の信徒を排除していて、排除された信徒の側では教会の同じ敷地内にあるプレハブで、

毎日曜日集会を持っているのです。ですから、現在のT教会は排除している信徒も含めた正当な教会総会で

選ばれた役員会を構成しているわけではありません。その役員会が代務者を決定し、それを教区に申請して

きたからというので、執行部は今回事前に排除されているT教会信徒に全く話すことなく、常置委員会の議

案にして、その事情を殆ど知らない新しい常置委員にも充分な説明をすることなく決議して可決してしまっ

たのです。これも教区形成基本方針の異なる立場が教区内にあるところで、一方的に切り捨てることなく、

一致をめざして忍耐深い話し合いを続けていくという精神とは逆のことを、執行部と常置委員会はしたこと

になります。執行部こそが教区形成基本方針をしっかり守って教区形成をしなければならないのですが、今

度の執行部は、自ら教区形成基本方針をなし崩しにしていくのではないかという危惧を、今回の新しい体制

でのはじめての常置委員会に出席して感じました。

このことは、開かれた聖餐執行によって教団の教師退任勧告を受けている私のことにも、神奈川教区総会で

決議している退任勧告撤回という今までの教区の姿勢とは違ったことを、執行部乃至は常置委員会がしてく

ることもあり得るということかも知れません。去る教区総会でも昨秋の教団総会で私の教師退任勧告撤回及

び取り消しが否決されているので、教区として私の退任勧告を黙認するのではなく、問題にして欲しいとい

う発言をした方が常置委員の一人になっています。教区議長のIさんは前総会期に教師委員会の委員の一人

として、私の問題での戒規申立は反対だと明言していましたが、ぜひそれを貫いてもらいたいものです。     


       「裁くことのない人生に向かって」   3月8日


 偏見のない生き方をするということは、内的な促しの内で最も難しいものの一つです。私たちの偏見が、

いかに深い根を持つものであるかということに、ほとんど気づいていません。肌の色や宗教、異性に対する

考え方に差があったとしても、皆同等であると思うことで、私たちは異なる人々と普通につきあっていると

考えるかもしれません。けれども、実際の生活の場においては、無意識に考えること、言葉やとっさの反応

が、私たちの偏見が厳然とそこにあるのが周囲に見えていることでしょう。

 見知らぬ人々、どこか異なった人々は、私たちの恐れや居心地悪さ、疑いや冷淡さをかきたてます。ただ

「違う」というだけで、私たちは安心感をなくしてしますのです。神は、私たちを無条件にいとおしんでお

られます。また、神は、同じように「異なった人々」をもいとおしんでおられます。私たちは、このことを

しっかりと自分のものとする時にのみ、この世界に実に様々な人々が存在するということが、神のみ心の計

り知ることの出来ない豊かさの表れであることに気づき始めるでしょう。こうして、人をよく知らないのに

裁こうとする欲求は、次第になくなっていきます。 


                     (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)