なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(256)

 このところブログに記事を掲載することができませんでした。久しぶりに4月10日の綱腰通信

(256)を掲載します。

         船越通信癸横毅供 。横娃隠暁4月10日    

・2日の土曜日には、午後教会で会計監査がありました。会計のTさんがまとめてくれました2015年度の

決算の監査で、HさんとNさんが監査をしてくださり、3日の日曜日にありました役員会で承認して総会資

料にまとめることができました。ありがとうございます。土曜日はめずらしく午前中に一人、午後に一人、

私と面談する方が教会に来られて、礼拝後いつもお茶を飲みながら懇談する集会室で面談させてもらいま

したので、会計監査は礼拝堂でしていただきました。

・3日の日曜日には、3月末で牧師を隠退された國安敬二牧師が、世田谷の上用賀にあるご自宅から船越教

会の礼拝に来られることになっていました。ところが日曜日の朝國安先生から電話をいただき、「風邪をひ

き少し熱があるので、今日は失礼します。教会のみなさんによろしく伝えてください」ということでした。

残念ですが、何よりも先生の健康の回復をお祈りしました。たまたま、6日の水曜日午後農村伝道神学校の

入学式があり、私もこの4月からまた農伝の講師を引き受けていますので出席しました。そこで元気な國安

先生とお会いしました。先生から10日には船越教会の礼拝にいきますと伺いました。3日はWさんが買って

きてくださった美味しいパンとK・Cさんが作って下さった野菜スープの昼食をみなでいただき、しばらく

懇談して散会しました。その後2015年度の最後の役員会がありました。4月17日(日)礼拝後開催の2016年

度船越教会教会総会の準備が中心の役員会でした。2015年度の教務報告、会計決算、2016年度の基本方針と

事業計画、会計予算を承認し、教会総会の準備をすることができました。2016年度の役員選挙では、Tさん

とMさんが3年間役員の任を引き受けてくださいましたので、被選挙権がありません。この二人を除いた方々

の中から4人の役員を選ぶことになっています。

・5日(火)神奈川教区の常置委員会があり、私も陪席者として出席しました。今回は4月ということで、新

年度最初の常置委員会でした。4月から神奈川教区の諸教会・伝道所に赴任された新任教師の方々の面接が

ありました。教区内で移られたお二人の教師に加えて、10人がこの4月から神奈川教区の諸教会・伝道所に

新しく赴任されました。神奈川教区の教会・伝道所の数は107ですから、ほぼ1割の教会・伝道所に新しい

教師が赴任することになります。その中の二人は代務者です。それにしても毎年教師の移動が多くなっていま

す。世代交代ということもあるかと思われますが、それだけでなく、一つの教会で長く牧会するということが

難しくなっている状況が諸教会・伝道所の中にあるのかも知れません。あるいは最近牧師の任期制をとってい

る教会が多くなっていますので、教師の側も辞めやすく、教会側も辞めさせやすくなっているということが

あるのかも知れません。今回の常置委員会での議事では、副議長が任期途中ですが、事情があって辞任しまし

たので、常置委員の中から副議長の選任が行われました。川崎戸手教会の孫裕久牧師が副議長に選任されまし

た。孫牧師が副議長に選任されましたので、孫牧師が担っていました宣教部委員長も別の人に代わることにな

り、横浜本郷台教会の佐野匡牧師が選ばれました。また、常置委員の孫牧師が副議長になり常置委員が1名欠

員になりましたので、昨年2月総会の常置委員選挙で次点になっていました、横浜希望教会の鈴木義嗣牧師が

常置委員になりました。ということで、神奈川教区の執行部に少し人の入れ替わりがありました。今回の常

置委員会でのめぼしい出来事は以上の二つでした。後は教会規則変更など制度的に常置委員会の承認が必要

な議事と状況の変化がない継続議事でしたので、2,3常置委員のみによる議事を残して、陪席者の私たちは

午後8時半過ぎに退席し、数名で何時ものように行きつけの中華店で会食をし、常置委員会が終わって来る人

を待っていましたが、10時過ぎになっても来ませんでしたので、私たちもそれぞれ帰路につきました。

・6日(水)は前記のように農村伝道神学校の入学式に出席し、その後の懇親会にも参加しました。今年度

の農伝の入学者は6名です。今年度から農伝のカリキュラムが変わって、2年間学んだ後、牧師コースと信徒

宣教コースに分かれて後の2年間の学びをするようです。入学式の礼拝では、高柳富夫校長が創世記4:1-26節

に基づいて「暴力に抗して」という題で説教をしました(ほぼ同じ内容の説教が農伝学報第160号に掲載)。

その中で私の戒規免職の問題にも触れて、このように言われました。「・・・洗礼を受けていない者に開か

れた『聖餐式』を行ったことを理由に、ほとんど問答無用で、はじめに戒規ありきの不当な免職処分という

暴力が、北村慈郎牧師に対して行われました。その処分の撤回を求め、正義と公平を実現すべく対話を呼び

かけるものです。/しかし、この問題の本質は、『聖餐式』を洗礼を受けていない者に開くかどうかに終始

するようなものでないことをしっかりと心に刻む必要があります。/そのことを、村山盛忠牧師が次のよう

に的確に指摘しています。『北村牧師と当該教会は、聖餐論を新たに問いかけたのではない。聖餐論を聖書

・教理・礼典から論じ合うことは大切であろう。しかし、北村牧師は聖餐を通して『戦後』の意味を問い続

けているのである。いま教会が、教団が向き合わねばならない課題は、『戦後』の意味を問い、宣教の方向

性を共に話し合うことではないか。』(『戒規か対話か…』146頁)」と。私は、2006年1月号の『福音と世

界』に書いた「聖餐についての個人的体験と一教会の試み」という文章の最後のところで、「教会の宣教の

方向性と密接不可分な形で聖餐も意味を持つのではないか。未受洗者に開かれた聖餐は、教会の礼拝に集う

すべての人とともにこの世で最も小さくされた者のために全存在をささげられたイエスの出来事を想起する

教会的行為だと、私は思っている。それに加えて、現在も日本基督教団に所属する教会で執行される聖餐は、

戦争責任の問題を避けては通れないと思う。戦争協力をした戦時下の教会でなされた聖餐と現在教会でなさ

れている聖餐がどう連続性を持ち得るのか。日本基督教団に所属し、聖餐を重んずる全ての教会は、この問

いに応えなければならない」と書きました。村山先生は聖餐に関する私のこのような問題意識を受け止めて

くださったのではないかと思います。高柳校長がその点に注目してくれたことは、私にとってはうれしいこ

とでした。