船越通信癸横娃供 。横娃隠鞠4月12日
・4月5日の日曜日はイースターの礼拝でした。朝8時ごろ礼拝堂で礼拝の準備をしていましたら、玄関に誰
かが来たようなので、玄関の扉を開けますと、Nさんが大きな荷物を置いていました。その荷物は昼食のため
のもので、イースターの昼食の当番をNさんが担当してくださったので、家で準備して持って来てく
れたのです。この日は大変めずらし人が礼拝に出席しました。Aさんで、彼女は私が神学校を出て最初に赴任
した東京の足立区にあります足立梅田教会で、私から洗礼を受けています。と言っても、私が足立梅田教会で
働いていた時ではなく、私が名古屋の御器所教会の牧師をしていた時に、ある年のクリスマス頃に足立梅田教
会に呼ばれて、洗礼志願者に洗礼を授けたのです。確か数年そのようなことがありましたが、その中の一人が
Aさんでした。当時足立梅田教会の牧師は既に帰天されています藤村靖一先生で、先生は浅野順一先生のお弟
子で、生涯補教師のままでサクラメントはなさいませんでした。浅野順一先生が存命中は、浅野順一先生をク
リスマスの頃に足立梅田教会にお招きして、先生に洗礼式と聖餐式をしていただいておりました。私が1969年
から1974年まで足立梅田教会の牧師をしていたときも、藤村先生は青山学院の中高の宗教主任をしていらっし
ゃいましたが、その頃私は教師検定受験拒否をしていましたので、藤村先生も私も補教師でしたので、やはり
浅野順一先生に来ていただいて洗礼式、聖餐式をしていただいていたのです。御器所教会時代の1979年に私は
正教師試験を受けて合格し正教師になりました。洗礼式をするために足立梅田教会に行ったのは、それからし
ばらくしてからだと思います。その頃は浅野順一先生も帰天されていました。藤村先生は、御自分としては無
教会的な考えをもっておられて、サクラメントを積極的に必要だとは思っておられなかったのではないかと思
います。ただ足立梅田教会が日本基督教団に属している以上は、洗礼志願者があれば洗礼式をして、聖餐式を
するというお考えのようでした。ご自分の自宅を開放して教会活動を続けておられた藤村先生が、足立梅田教
会の牧師を退くに当たって、自宅のあった土地を教会に寄付し、そこに三階建ての教会堂と牧師館を建設し、
宗教法人化して次の牧師に引き継いでからは、おそらく日本基督教団の一般的な教会・伝道所と同じように、
藤村先生の時代のように洗礼式も聖餐式も年一回ではなく行われるようになったのではないかと思います。そ
ういうことで、Aさんは私から洗礼を受けておられるのです。私が洗礼を授けてから一度、仕事で名古屋に来
たからと、名古屋の御器所教会に訪ねて来てくれたことがあります。その時も突然でしたが、今回も予告な
しに船越教会のイースター礼拝にいらっしゃいました。お元気そうでしたし、久しぶりの再会で私もうれし
く思いました。
・イースターの礼拝にはA・Kさんの家族も出席し、見るたびに大きくなる二人のお子さんGさんとIりさんを覚
えて説教前に、讃美歌21-544番を皆で歌って、幼児祝福の時も持ちました。子どもが礼拝出席者の中に加わり
ますと、礼拝が神の家族という面を現わすように思われます。紅葉坂教会のような100人クラスの礼拝では、
なかなか神の家族というような感じにはなりませんが、船越教会のように10名から20名の出席者の礼拝ではそ
の感じが現れるように思います。この日は船越教会の礼拝式文による聖餐式もありました。イースター礼拝と
しては、人数は少な目でしたが、昼食会を含め恵まれた時を皆と共有することが出来ました。感謝です。
・昼食会後役員会を行い、主に4月19日の定期教会総会の準備をしました。2014年度の教会会計決算も赤字に
はならないで済みました。ただ昨年度の会堂ペンキ塗り替えと今年度の教会西側法面落成防止工事と続き、二
つの工事で約400万円、今まで積み立ててきたいくつかの積立金を取り崩して支払いましたので、今後少しず
つでも積立金を増やしていく必要があります。教会が土地と建物をもっているのは、毎日曜日の礼拝には役
立ちますが、どうしても維持のための献金が必要とされます。そのことによって護教的になるのではなく、
与えられている宣教の課題を担いつつ、このことにも取り組んでいきたいと思っています。
・7日(火)の午後は農村伝道神学校の説教学を担当しました。今年は6人の学生が受講します。私は牧師を
45年も続けてきて、説教にも苦労しながら取り組んできましたので、誰もいなければということで高柳校長か
ら頼まれて引き受けていますが、説教学を専門に学んだわけではありませので、そのことをお断りして学生と
一緒に学ぶ姿勢で臨んでいます。基本的には加藤常昭さんの説教論ではなく、関田寛雄さんの説教論に基づい
て学んで行こうとしています。二人には何が違うかと言えば、歴史社会という文脈の捉え方ではないかと思い
ます。特にこの社会の中で抑圧を受け差別されている人々との関わりにあります。そこでの説教者の立ち位置
が問題になると思いますが、農伝で説教演習や説教学を担当するようになって、加藤常昭さんの書いたものも
最低限目を通してみましたが、説教者の前に現代の日本社会に生きる一人の人間としての苦悩も、彼が東神大
問題を当事者の一人としてどう引き受けてきたのかも、余り感じられませんでした。権威主義的な臭いは感じ
ますが、説教において権威主義は問題外だと思います。
・この日農伝を終えて、神奈川教区の常置委員会がある蒔田教会に向かいました。午後6時からの始まりには
間に合わず、10分ほど遅れてしまいました。私は、4月からオリエンテーション委員会も寿地区活動委員会
も委員長でなくなりましたので、教区からの要請陪席者ではなくなりました。しかし、私の戒規免職問題の当
事者として、神奈川教区は私の戒規免職撤回を教区総会決議として何度も教団総会議案にしていますので、そ
の当事者として常置委員会に要求陪席者として出席しました。鶴見教会問題でOさんが、今まではずっと
教区の常置委員会に要求陪席者として出席してきています。彼は2015年度のオリエンテーション委員会の委員
長になりましたので、今年度からは要請陪席者になりますので、今度は私が要求陪席者として常置委員会に出
席することになります。常置委員の中から北村さんは当事者として要請陪席者にしたらという意見が出て、四
役会で検討することになりました。どうなりますか。