船越通信、癸械沓后 。横娃隠固9月9日 北村慈郎
・9月2日(日)の船越通信は、前週が私の夏期休暇前半でしたので、お休みにさせてもらいました。
・8月26日(日)の日曜日は、私の夏期休暇の前半でしたが、前から頼まれていましたので、なか伝で
の説教と聖餐の学びの学習会の講師の務めを果たしてきました。聖餐の学びでは、船越教会の礼拝式文に
ついて、『船越教会創立50周年記念誌』を参考にして、船越教会の歴史との関わりを私なりにお話ししま
した。聖餐の学びでは、もう一つ、「戦時下の教団の教会が執行した聖餐式と、現在教団の教会が行って
いる聖餐式とは、どのような違いがあるのか」という問題について、これも私見ですが、お話ししましま
した。なか伝の礼拝説教は、「使信」ということで、その使信が語られた後、質疑応答があります。説教
(使信)でも聖餐についての話でも、沢山の質問を受け、それに応答して、終わったのが午後4時を過ぎ
ていました。その後もう一件別に人と合い、午後6時過ぎにJR関内から鶴巻に帰りました。
・9月2日(日)は礼拝後いつものように残れる人でお茶を飲みながら懇談し、その後役員会を行いまし
た。役員会では、連れ合いの状態が安定するまでしばらく、私が船越教会に来るのを土曜日にさせてもら
いました。その点ご了解いただければ幸いです。役員会が午後2時頃終わり、私は来週の準備をして、連
れ合いが入院している病院に向かいました。午後5時頃病院に着きました。連れ合いは31日(金)午後
入院し、その日に人口肛門の手術をしていましたので、術後の様子が気になっていましたが、比較的元気
な様子で安心しました。面会は午後7時までですので、7時過ぎに病院から鶴巻の自宅に帰りました。
・この週は月曜から土曜まで、必要なものを病院に届ける必要もあり、面会時間に病院に毎日行きまし
た。
・4日(火)は面会時間(土日以外は午後3時から7時まで)前に病院に顔を出し、午後5時に蒔田教会に
行きました、この日は学習会と常置委員会がありました。学習会は教区形成基本方針検討委員会の現状報
告があり、協議の時を少し持ちました。その後午後6時半から学習会が行われました蒔田教会の礼拝堂か
ら教育会館に場所を移して常置委員会が行われました。この日は台風の影響で電車が止まるところも出て
いましたが、常置委員会は強行され、午後8時半ごろ終わりました。私はすぐに失礼し、小田急の海老
名・厚木間が運休という知らせが、娘からありましたが、とにかく地下鉄で蒔田から横浜に出て、相鉄で
海老名まで向かいました。午後9時半頃には海老名に着きました。相鉄の改札を出て小田急の改札に来た
ところ、ちょうど臨時急行が海老名から小田原まで発車するところで、それに乗って10時過ぎには鶴巻の
自宅に帰ることが出来ました。
・さて、8月12日(日)夕方小海牧師と私とで、日本基督教団の私に対する戒規問題についてルポライ
ターの方から取材を受けましたが、その記事が8月31日発行の『宗教問題』23、「『日本のキリスト教』
という暗闇」に掲載されました。その雑誌社からその雑誌が送られてきました。私と小海牧師は、日本基
督教団の私に対する戒規免職処分の背景の問題について、取材でお話ししました。そもそも「フリー聖
餐」と言われる洗礼を受けていない人にも陪餐を可とする聖餐式は、日本基督教団の特に地方の教会の中
では少数ではありますが、相当前から行われていたこと、そして1960年代後半からは新たな聖書学の知見
と世界教会の潮流を受けて、相当数の教会(教団の教会の約一割?)で、「フリー聖餐」が行われるよう
になり、1990年頃まではそのことを日本基督教団も課題として議論を続けていたこと。また、私の免職処
分は聖餐問題もさることながら、東神大機動隊導入問題や合同のとらえなおなどで、私が教団執行部批判
の立場にあることなどです。それらのことをまとめて、ルポライターの方が記事にしてあります。その記
事の最後に、小海牧師と私の話を聞いた上で、このルポライターの方が教団に取材し、「北村氏の免職問
題に関して、同氏側は公式の事由であるフリー聖餐よりも、むしろ東神大紛争や、「合同のとらえなお
し」問題などでの教団執行部の対応を批判してきたことが本当の理由であると考えているようだ。北村氏
を免職にしたのは本当にフリー聖餐だけが問題か?」と質問したら、教団側は「いろいろ噂を立てる人は
いるだろうが、あくまで聖餐が問題だ」と答えたという。また、「しかし、フリー聖餐を実践していた牧
師は北村氏のほかにも多数いると聞いている。また、貴教団ではそうした牧師に対してこれまで何ら処分
を下していないそうだが、本当に聖餐だけが問題ならば、なぜ北村氏だけが『免職』というきわめて厳し
い処分を受けなくてはいけなかったのか?」には、教団は「たしかに未受洗者への配算はほかの教会でも
行われていたし、教団としてそうした牧師を処分していないのも事実。ただ北村氏は当時教団の常議員と
いう立場であり、その処分についても一般の牧師と同列には論じられない」と答えたとあります。この記
事では、私の免職処分の手続きの不当性については一切書かれていませんが、私の免職問題には、その背
景と共に手続きの不当性があることを付け加えておきたいと思います。