なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(334)

        船越通信癸械械粥  。横娃隠掲10月15   北村慈郎

・10月7日(土)午後に行われました「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる

会」催の関東(東京)出前集会についての報告を、短くしておきます。何れ10月28日に予定しています関

西(大阪)出前集会と共に、二つの集会の報告を中心に通信第20号を年内には発行したいと思っています

のでご期待ください。関東(東京)出前集会での発言は関田先生と長野の佐久教会の信徒伝道者である武

田武長さんにおねがいしました。関田先生は、私の戒規免職処分は、聖餐の問題ではなく、沖縄教区と教

団との関係の回復を願う当時教団常議員であった私を教団執行部は排除したのだという前提に立って、そ

の私の免職撤回と教団団教師の復職運動は、宣言5項目(1、北村慈郎牧師の免職処分の即時撤回と教団

教師としての復権を求めます。2、聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。3、「戦責告

白」の教団史における意義を踏まえ、歴史に向かい合う教団となることを求めます。4、沖縄教区に対す

る謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。5、一方的な「公同教会」の主張を再考して「合同教会」

の形成を求めます。)の教団改革に通底しているので、この運動は「教団に活路を開く」運動であること

を、今回も熱く語ってくださいました。また、武田武長さんは、佐久教会が役員会と総会で聖餐を未受洗

者・非受洗者に開く決断をした経緯について。その佐久教会の決定が、佐久教会の無教職時期に他教会の

牧師にお願いして執行して頂いた「開かれた聖餐」に対して、教区の執行部がその牧師を批判したので、

その後は佐久教会の聖餐式を行わないことにしていること。また佐久教会による代務者申請に対して教区

が教憲教規に従った聖餐執行を役員会で確認するように言ってきたので、それに対して「聖書のどこに」

「教憲教規のどこに」閉じられた聖餐の正当性と開かれた聖餐の不当性が記されているか? またエキュ

メニズムの中でのドイツ教会の聖餐についての取り組みや1990年ごろまでの教団の聖餐についての取り組

みなどを挙げ、東海教区執行部に、何故開かれた聖餐がいけないのかを問うていることなどを、佐久教会

の現場を踏まえて分かりやすく話してくださいました。その後の協議でも、さまざまな意見が出ました。

特に信徒と教職の関係について、現教団は教規からして明らかに教職中心主義であり、宗教改革的原理で

もある「万人祭司性」に反するという発言もあり、「ひらかれた合同教会をつくる」上での大切な課題の

一つではないかと思いました。

・8日(日)の礼拝には、前日の支援会の関東(東京)出前集会にわざわざ兵庫から駆けつけてくれまし

たAさんが、わざわざ出席してくれました。船越教会のことを気にかけていてくださっていたようで、う

れしく思いました。礼拝後はいつものようにAさんも加わって、にぎやかな懇談の時を持ち散会しまし

た。連れ合いはAさんと一緒に横浜を案内すると先に船越教会を出て行きましたので、私は残り次週の準

備をして、午後3時半過ぎに、その時まだ教会の道路側外壁に生えた雑草を梯子をかけて刈り取ってくだ

さっていたSさんに声をかけ、船越教会を出て鶴巻に向かいました。

・10日(火)は午後農伝に行きました。この日一人の学生がぎっくり腰でお休みしましたので、2人の学

生と説教演習をしました。この日は農伝の授業を終えて、鶴巻に帰りました。この週は12日(木)の午後

4時半から高座渋谷教会である教区の基地・自衛隊問題小委員会まで、出かける集会がありませんでした

ので、数週間前に伊勢佐木町ブックオフで衝動買いした、林真人『ホームレスと都市空間』を読了しま

した。この本の中には寿の日雇労働者、野宿者支援運動について、1970年前後の寿生活館闘争のころか

ら、1990年代に神奈川全県に野宿者支援のパトロールが広がって、現在に至るまでのことが、大変詳しく

書かれています。その中には寿や教会関係の支援者の名前も何人も出て来ますので、読んでいて大変身近

に感じることができました。ただ私がこの本を衝動買いしたのは、寿のことが書かれていたからだけでは

なく、ホームレスになる人を必然的に生み出す、資本と国家が結託して進める政治経済活動を社会構造の

問題として分析しているところにも興味関心を持ったからです。この本は、借りているにしろ住む家を持

てずに都市空間に放り出されるホームレスの人びとが何故生まれるのかという根底的な問題の究明と共

に、ホームレスとホームレスの側に立って支援をする社会運動に参加する人びとの共闘によって、ホーム

レスの人びとも排除されずに包摂される社会の形成をめざしているように思われました。教区の寿地区活

動委員会の責任を持つ者として、この本は、寿地区センターの働きを改めて考える良い機会を与えてくれ

たように思いました。

・12日(木)の基地・自衛隊問題小委員会では各地区の報告を共有し、協議では9月18日に船越教会で

教区のオリエンテーション委員会との共催で行われた「横須賀の基地問題と海の監視体験」についてと、

11月11日(土)に紅葉坂教会を会場にして予定しています講演会のことについて話し合いました。会の終

わり頃しばらく委員会を欠席していましたA牧師が来ましたので、近況を伺い、久しぶりの再会をみなで

喜び合いました。会の終了後、委員のB牧師がA牧師と食事をしていくと言うので、私も加えてもらい、3

人で高座渋谷の焼き鳥屋で会食をしてから、鶴巻に帰りました。

13日の金曜日は夜に船越教会で聖書研究がありました。汽謄皀4章6~16節を扱いました。出席者は私

を含めていつもの4人でした。この箇所には初期の教会で行われたと考えられます礼拝での聖書朗読や説

教、洗礼者教育、按手などについての記述があり、興味深いところです。そのことはまた教会が制度的に

も多少整ってきたことを意味し、制度組織化された教会の功罪についても話し合いました。教職と信徒と

の関係が、語る者と聞く者、教える者と教わる者という与え手→受け手という一方的な関係に陥る危険性

についても考えました。14日(土)は午後2時から蒔田教会で「共謀罪を廃止に!…」という集会があり

ましたので、私も参加しました。Wさんも来ていました。講師の話を聞いて、盗聴と監視社会において、

政府や警察の行き過ぎをチェックする第三者機関の必要を強く思わされました。