なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(250)

             船越通信癸横毅亜 。横娃隠暁2月21日    

・14日の日曜日は天気予報では前日の夜から風雨が強くなるというので、連れ合いは14日の礼拝の司

会でしたので、14日朝鶴巻から船越にくることができないといけませんので、13日の土曜日の夕方か

ら船越教会にきていました。14日の日曜日の朝5時ごろには確かに風雨が激しく、このままの状態では礼

拝に来れる人は限られるのではと思っていましたが、10時ごろになると大分風も雨もおさまって来ました。

結果的にこの日の礼拝にはほぼいつもの人数の10人の出席がありました。この日のテキストはガラテヤ

の信徒への手紙2章11~14節で、アンテオケア教会で起こったとされるペテロの失態、つまりエルサレム

会のヤコブの下からユダヤキリスト者が来るまでは非ユダヤ人(異邦人)と共に食卓を囲んでいたのに、

「彼らがやってくると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした」(ガラ2:

12)ので、パウロは皆の面前でペテロを叱責したという記事です。この記事もそうですが、私は自分が教

団から免職処分を受けてから特にそのように感じるようになったのかもしれませんが、聖書の中には実に

真偽をめぐる対立論争に関わる記事が多いということです。福音の真実は信条や教義として結晶した抽象

的、観念的なものではなく、むしろそれを信じて生きる信仰者の生き様を通して証言されるものではない

でしょうか。ガラテヤの信徒への手紙3章26節以下にこのような言葉があります。「あなたがたは皆、信

仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがた

は皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由な身分の

者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(26-

28節)。この福音の真実をからして、ペテロのような行動が批判されるのは当然ではないでしょうか。

ペテロは福音の真実から目をそらし、ユダヤキリスト者の視線を気にして非ユダヤ人(異邦人)との

共同の食卓から身を引いて行ったのでしょう。これはペテロだけの問題ではなく、私たちの中でもいつ

でも起こり得る問題ではないでしょうか。そういう意味で、この日の説教では、洗礼を受けたからキリ

スト者だというのではなく、キリスト者であるということは、その時その時の決断によるのではないか

ということをお話しした次第です。さてこの日の礼拝後のお茶を飲みながらの懇談は、途中から午前中

用事があって礼拝には出席できませんでしたが、わざわざ子機の故障で購入してくれた新しい電話機を

教会に届けてくれたM人さんも交えていつも以上に盛り上がりました。

・14日は12日の金曜日夜の聖書研究会から船越教会に来ていましたので、夕方まで20日に予定して

いたコイノーニア出版記念対話集会の準備をして鶴巻に帰りました。この週の前半に沖縄教区と神奈川

教区を除いた15の教区の常置委員会宛に、コイノーニア31『戒規か対話か…』を同封して、特に今秋

の教団総会に向けて、「教団総会には神奈川教区から(多分大阪教区からも)前回の第39回教団総会議

案とほぼ同じ私の戒規免職撤回と聖餐論議の場の設定を求める議案がでると思いますので、諸教区から

も同種の議案を出していただけないでしょうか。もしそれが難しいとしても、前回の教団総会のように

議長の一言で上記議案が葬られることのないように、本年秋の教団総会では上記議案の上程をサポート

していただけないでしょうか」というお願いの手紙を書いて出しました。

・19日(金)18:30より寿地区センターで寿地区活動委員会があり出席しました。寿地区センターの活

動は教区からの交付金は受けず、すべて献金と月一回寿公園で開かれる寿地区センター主催バザーなど

の物品販売の収益金によって経済的には支えられています。2015年度の予算はいろいろな献金が1160万

円、その他が140万円で約1,300万円の収入予算を立てています。今回1月末現在の会計報告がありました

が、2015年度も予算収入には達することはできないと思いますが、1200万円強の収入を維持し、赤字を

出さないで運営できそうです。これは他の教区や教団の同種の活動をしているセンター活動では考えら

れないことのようです。なかなか予算を満たすほどの献金が集まらなくて苦慮されているところが多い

と聞いています。その点寿地区センターは支援者に恵まれていると言えるでしょう。

・20日(土)13:00~16:00まで早稲田の早稲田奉仕園リバティーホールで、「北村慈郎牧師の処分撤回

を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」主催のコイノーニア出版記念対話集会が行われました。この日

も午後から雨、特に夜には風雨が強くなるという天気予報でしたので、来れる人が少ないのではと心配

していましたが、関西からも北海道からも来てくださって66名の参加者がありました。船越教会からも

私たち夫婦の他にWさんとNさんが出席してくれました。今回はコイノーニア出版記念対話集会というこ

とで、執筆者からお二人、牧師のSさんと信徒で弁護士のOさん、それに聖餐に関する教団新報の記事を

拾い出してまとめてくれました牧師のS・Aさんの三人に発言をお願いしました。Sさんのまとめてくれた

ものは本来今回のコイノーニアに収録する予定でいましたが、間に合わず分量も多くなるので、今後出

版予定の裁判記録集の付録に入れることにしています。今回も三者三様それぞれの問題意識から発言を

してくれて、いろいろと考え学ぶことができました。3月中には3人の発言は通信に掲載しますので、ご

期待下さい。特にSさんの発言の中にありました戦時下教団中枢がホーリネス教会の牧師及びその家族に

対して行った、自分たちに都合の悪い者は排除するという組織としての教団の志向性は、昔も今も全く

変わらないということです。Oさんは教団の教規解釈という点からすると、私の行ったオープン聖餐は教

規違反とも教規違反でないとも言えるのでは。但し教憲違反としているのはおかしいのでは。信仰の真

理性に関わる問題はそもそも戒規で決着を図るのはそぐわないのでは、また、現在の教団は教職中心主

義だが、もっと信徒が中心にならなければと。そしてS・A瀬戸英治さんは、1983年の教団新報掲載の

「座談会―いま教職の課題は―聖礼典をめぐって」を読んで紹介してくれました。この座談会では明ら

かにお互いの主張が語られ対話が成立しているのです。現在の教団新報とは雲泥の差です。