なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ガラテヤの信徒へ手紙による説教(6)

 「仲間を諫める」ガラテヤの信徒への手紙2:11-14、2016年2月14日(日)船越教会礼拝説教


・イエスの死後誕生した最初期の教会におきまして、ペテロとパウロは二人とも大変重要な人物でありま

した。最初期の教会の歴史を描いています使徒言行録におきましても、使徒言行録の著者ルカは、前半は

ペテロを中心に、後半はパウロを中心に描いております。使徒言行録ではこの二人が対立したことについ

ては一切記されていませんが、先ほど司会者に読んでいただいたガラテヤの信徒への手紙2章11節以下には、

パウロがペテロを非難したことが記されているのであります。

・それはアンティキア教会で起きた出来事でありました。アンティオケアはローマ帝国の属州シリアの首

都であり、政治的、経済的、文化的に重要な位置を占めていました。初期キリスト教は早い時期からこの

ヘレニズム都市に達していました。使徒言行録が伝えている伝承によりますと、最初期の教会はユダヤ

信徒たちによって構成されていましたが、まもなく民族の壁を越えて、非ユダヤ人世界への組織的宣教活

動を始めています(使11:19-24)。

・アンティオケアの町ではじめて、イエス・キリストの福音を信じる信徒たちはキリスト教徒(クリス

ティアノイ)と呼ばれるようになったと言われています(使11:26)。パウロバルナバはかつてこの教会

を拠点にして活動し(使11:25-26)、地中海世界の非ユダヤ人への伝道に従事する宣教師として派遣され

たのでありました(使13:1-3)。今日のガラテヤの信徒の手紙の箇所に描かれているようなアンティオキ

アの衝突が起こった当時、この教会はユダヤ人信徒と非ユダヤ人信徒の両方から構成されている混成教会

でありました。

・このガラテヤの信徒への手紙には、ペテロがアンティオキア教会を訪問した具体的な目的については、

パウロは何も述べていません。パウロの二回目のエルサレム訪問の際に、エルサレム教会のユダヤ人伝道

とアンティオキア教会の非ユダヤ人伝道が相互に承認されて、エルサレム教会を代表するヤコブとケパ

(ペテロ)とヨハネは、アンティキア教会を代表するパウロバルナバに対して「交わりの手」を差し出

したのでありました(ガラ2:7-10)。そのことから推し量って、ペテロの今回のアンティオキア教会訪問

は、両教会の交わりを具体的に表現する機会としての象徴的意味を帯びていたのではなかったかと思われ

ます。

・ところがそこでパウロがペテロを叱責するという出来事が起こったというのであります。

・食事を共にするのは陪席者達の間の親しい交わりを表現する場であります。客であるペテロは、招待者

であるアンテオケ教会の信徒たちのなかには非ユダヤ人信徒たちもいたにも拘らず、当初は招きに応じて

彼らと食事を共にしていました。ここで言及されています食事は聖餐式が含まれていた可能性はあります

が(Iコリ11:20-34を参照)、パウロはそのことについて明確にしていませんので、はっきりした判断を

することはできません。他方、アンテオケ教会がユダヤ人信徒と非ユダヤ人信徒とを区別をせずに共同の

食事を行っていたということは、キリストにあって「ユダヤ人もギリシャ人もなく」(ガラ3:28)ひとつ

であることの表現でありました。

・ところが、エルサレムヤコブのもとからユダヤ人信徒たちがやって来てペテロを非難すると、彼は態

度を変え、アンテオケ教会の非ユダヤ人信徒たちと一緒に食事をしようとはしませんでした(12節)。

ヘレニズム世界の中でユダヤ人が、神が父祖達に与えた契約と律法に忠実に歩むことは、とりわけ割礼

を受けることと安息日律法を守ることと食物規定を守ることに表現されました。食物規定を守って、「清

い」とされる食物のうち肉に血を含まないように特別な仕方で屠殺されたものだけを食べることは、祭儀

的清浄を保つことに他なりません。逆にユダヤの律法によって「汚れている」とされる食物でも構わずに

食べる非ユダヤ人たちは、祭儀的に汚れていることを意味します。この点では、キリスト教に回心した非

ユダヤ人たちも一般の非ユダヤ人と同様であり、彼らはガラ2:12では単に非ユダヤ人(異邦人たち〕)と

呼ばれているのであります。律法の食物規定を守ることが、ユダヤ人と非ユダヤ人との交わりを困難にし

ていたのであります。

・主の兄弟ヤコブやその影響下にある者たちは、ユダヤ人信徒たちが食物規定を厳格に守り祭儀的清浄を

保つためには、非ユダヤ人信徒たちとの食事を避けなければいけないと考え、ペテロにそのことを要求し

たのでした。ペテロは彼らの説得に従って、従来の態度を変えて、非ユダヤ人たちとの共同の食事から身

を引いたのであります(12節)。するとバルナバを含む他のユダヤ人信徒たちもペテロの例に倣って、非

ユダヤ人信徒たちとの会食から身を退くに至ったというのです(13節)。

・食物既定遵守の問題は、アンテオケの教会においてユダヤ人信徒たちと非ユダヤ人信徒たちとが一緒

に食事の交わりをすることを不可能にしたのでありました。「バルナバさえも」という言葉遣いには、

かつて律法から自由な「福音の真理」を守るために共にエルサレムを訪問したこの人物が食物規定を守

ことに関してペテロの側についたことが、パウロにとって予想外のことであったことを示しています。

このことに関する見解の不一致は、バルナバらアンテオケ教会の指導者とパウロとの間の決裂をもたらし、

これ以降、パウロはアンテオケ教会の宣教師としてではなく、独立伝道者として宣教に赴くことになる

のであります。
パウロはペテロらの行動が信仰的確信から出たものではなく、厳格なユダヤ人信徒たち(12節

「割礼の者達」)を恐れる人間的動機から出たものと解釈し、ペテロらの行動を「見せかけの行い」

(13節)、すなわち偽善として捉え、「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」(14節)ものと

して見たのです。

・ガラテヤの信徒への手紙3章26節以下にはこのように記されています。「あなたがたは皆、信仰により、

キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストと結ばれたあなたがたは皆、キリ

ストを着ているからです。そこではもはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、

男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。これはパウロ

信仰的確信です。このパウロの信仰的確信からすると、ペテロとペテロに同調したバルナバを含む他の

ユダヤ人信徒たちは明らかにそれを否定することをしたことになります。

・ペテロやユダヤ人信徒たちが食物規定の遵守を重視するために、非ユダヤ人信徒たちとの共同の食事か

ら身を引いたことは(12-13節)、非ユダヤ人信徒たちの側からすれば、彼らが割礼を受け、律法とその

食物規定を守らない限り、ユダヤ人信徒たちとの食卓の交わりから排除されることを意味しました。こ

のことは実質上、キリストの福音がもたらす自由の内に生きる非ユダヤ人信徒たちの上に、律法の規定

を守り、「ユダヤ風に生活をすることを強いる」ことに等しいことであります(14節)。

・ですから、パウロは皆の前でケファ(ペテロ)を責めたのです。パウロが皆の前でペテロを責めたのは、

この問題が個人的な問題ではなく、公の問題、即ちキリスト者は誰も福音の真理にのっとってまっすぐ歩

む義務があるからです。このことは、ペテロやその影響を受けたユダヤ人信徒たちがその義務に違反して

いるという判断をパウロが持っていたことを示しています。

・このようにして、エルサレム教会とアンテオケ教会の交わりと協調を象徴する筈のペテロの訪問が、そ

の反対に論争と対立の場となったのであります。

・ここでパウロは「ペテロらが福音の真理にのっとってまっすぐに歩いていない」ことを問題にしている

のでありますが、このことは私たちにとりましても大切な課題であると言えるでしょう。これはアンティ

オキア教会で起こった衝突ですが、私たちの中にも同じような衝突がいつでも起こり得るからであります。

このところ少し下火になっていると言われますが、ヘイトスピーチに現れています排外主義は、天皇信仰

といいましょうか、私たち人間の内面までも天皇制によってからめとられた日本人の中から完全に追い払

われているとも思えません。ヘイトスピーチは在日の人たちだけでなく、韓国朝鮮人、中国人などアジア

の人たちに向けられる可能性は、日本社会の中ではまだ断ち切られているとは言えません。ヘイトスピー

チだけではなく、他の様々な差別もこの日本社会ではまだ克服されているとは言えません。そしてそのよ

うな差別意識が教会の交わりの中に持ち込まれてくることもあるのです。

・そのような中で、「「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗

礼を受けてキリストと結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはやユダヤ

ギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・

エスにおいて一つだからです」。これは洗礼を受けたキリスト者の仲間内だけに当てはまるものでは

ありません。全ての人と共にこのようなイエス・キリストにおける一致をめざしてキリスト者は、「福

音の真理にのっとってまっすぐ歩いていく」のです。

・さて、E・P・サンダースは、ユダヤ教の食物規定を守ることは必ずしも非ユダヤ人たちからなされた食事

への招待を断ることにはならず、非ユダヤ人との食事の場に臨んでも律法によって許された物だけを選択

して食べる可能性があったことを指摘しています。つまり、イエス・キリストにおける一致は、何もかも

一緒でなければいけないというのではなく、それぞれの伝統を守りながら、その違いを認め合ったうえで

の一致の可能性であるということなのです。しかし、主の兄弟ヤコブらはそうした柔軟な対応をとらず、

祭儀的清浄が冒される可能性を一切排除するために非ユダヤ人信徒との食事そのものを避けることを要求

したのでありました。「異邦人達にユダヤ人風の生活をすることを」要求することがキリストの福音に反

すると主張することは、ユダヤ教の根幹を否定することであり、キリスト教ユダヤ教に対してはっきり

と別個の宗教として定義することであります。このアンテオケの衝突の出来事も、後のガラテヤでの論敵

達との論争も、キリスト教という新しい宗教の境界線を母胎であるユダヤ教に対して画する過程で生じた

産みの苦しみであったと言ういことができるでしょう。

パウロによるキリスト教の自己定義の努力は、「ユダヤ風の生活をすること」ユダヤ人たちと、その対

極であるヘレニズム風、即ちギリシャ風の生活をする非ユダヤ人たちが生活していた古代の地中海世界

あって、ユダヤ人風でもギリシャ人風でもなく、国や民族の枠組みを超えて、キリスト者として生きる道

キリスト教徒に求めたのです。そのような国や民族の枠組みを超えて、キリスト者として生きるキリス

ト教徒が他宗教の人々とどのように関わるのでしょうか。排他的な関係でしょうか。対話的共存的な関係

でしょうか。平和と人権を大切にする宗教であれば、対話的共存的な関係をもつことができるのではない

でしょうか。私たちキリスト者は「福音の真理に則って、まっすぐに生きて」いきたいと切に願うもの

であります。