なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(249)

           船越通信癸横苅后 。横娃隠暁2月14日    

・7日(日)は礼拝後昼食会がありました。混ぜご飯にイワシのつみれ汁をHさんが作って下さり、皆で

美味しくいただきました。今はイワシも鯵も高値になっているようですが、私が小さかった時(昭和20年

代)には、イワシをバケツ一杯魚屋さんから買ってきたという記憶があります。それをすり鉢でつみれに

したことを覚えています。母がつくってくれたイワシのつみれ汁の味は、ほとんど覚えていませんが、

戦後の食糧難の貧しかった時代にイワシは貴重な食材の一つでした。私の家は横浜の戦災で焼けて、私よ

り10歳以上年上の二人の姉と父を横浜に残して、私と兄は母と共に、母方の故郷山形の鶴岡の親戚を頼っ

疎開し、その後焼け跡にバラックが建ってから、私たちも横浜に帰って来ました。私は敗戦の時3歳9か

月でしたので、敗戦前後の記憶ははっきりしていませんが、戦後の食糧難時代に農家の母の友人を頼って、

母が着物などを持って食料を買い出しに行ったときなど、一緒について行った覚えはあります。私の家は

裏山を登ると三ツ沢公園があるところで、当時はまだ家の周りには畑がありましたので、他人の畑の麦の

実を盗んで、麦の殻を両手ですり合わせて取って口に入れ、よく噛んでガムのようにして、空腹を我慢し

たり、また、スカンポと呼んでいた野草を口に入れて噛み、その汁のすっぱさを味わったりしていました。

そういう食糧難の時代とイワシが結びついて、今回の昼食会は私にとってはある種のノスタルジアに浸

る契機を与えてくれました。

・昼食会後に2月の役員会を行いました。まだ役員会では確認していませんが、多分2017年度の教会総会は

4月17日(日)の礼拝後になると思います。2月の役員会ではその総会の準備(2016年度の教務報告、会計

決算、2017年度の方針など)が主な議題でした。2017年度の役員候補者の中から3年間役員を務めて下さ

ったM人さんとTさんが除かれますので、そのことを覚えて、2017年度の役員選挙で選ばれた方はよろしく

お願いしたいと思います。どこかの国では首長は選挙で選ばれるのではなく、持ち回りでするとこともあ

るようですが、いろいろとそれそれの事情があるとは思いますが、自分のできるところでその役割を担っ

ていくというスタンスで船越教会はいきたいと思います。

・今年は2月10日が灰の水曜日で教会歴ではレント(受難節)に入りました。3月20日(日)が棕櫚の主日

そしてその週が受難週です。3月24日(木)が洗足の木曜日で、25日が受苦日(イエスさまが十字架にか

かった日)です。そして3月27日の日曜日がイースター(復活節)です。

・2月11日(木)は建国記念日、私たちにとっては「信教の自由を守る日」です。神奈川教区でも、船越

教会が所属する東湘南地区を除いて、各地区の2・11集会がありました。私は各地区の集会ではなく、

横浜駅西口の県サポートセンターで行われた2・11神奈川県民の集いに参加しました。この集会での

講演「戦争法と憲法~わたしたちのたたかいの展望~」に引かれたからです。講師は新谷昌之さんとい

う方です。この方の紹介として「(労働者)学習協会専任講師」とありました。今私たちの喫緊の課題

は、7月の参議院選で安倍政権の改憲の目論みに歯止めをかけることにあります。そんな思いから、私も

国会前での辺野古新基地建設反対座り込みで連れ合いがどなたかが考えた「参議選・一票一揆」のコピ

ーをいただいて作った「お札」(?)を、日常使っているリュックにつるしています。新谷昌之さんも

講演の中で、2016年を「戦後史の節目」とし、7月の参議院選政権交代をさせ、国会で「戦争法」の

廃止を決議し、内閣で閣議決定の取り消しをするために、全有権者を対象にした活動としていかなけれ

ばならないと熱弁を奮っていました。この新谷昌之さんも推奨していました孫崎享著『戦後史の正体』

をしばらく前に私も読みましたが、この本を読んで、戦後70年日本がアメリカの属国でしか過ぎなかっ

た理由が理解できたように思いました。その後矢部宏冶著『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められ

ないのか』を読んで、日本の法体系は二重の構造をなしていること、一方には、日本国憲法という公然

最高法規があるが、他方には、日米間の無数の密約という非公然の法体系があり、両者が矛盾する場

合に優越するのは後者であるという事実があることを、うすうすは感じていましたが、この著書を通し

てはっきりと認識できました。その後若手の政治学白井聡の『永続敗戦論~戦後日本の核心』を読ん

で、戦後の日本はアメリカ従属という「国体」(戦後の日本は戦前の天皇に代わって天皇の位置にアメ

リカが居座っているという現実を指す)の中で、現在の私たちが<侮辱のなかに生き>ているのだとい

うことを知らされました。その根底には「敗戦の否認」があること。つまりきちっとした戦争責任を日

本の国は果たしていないということです。また、新谷昌之さんは、最近の清原問題に触れて、清原問題

によって甘利問題隠しが意図的に行われているということを言われ、新聞もテレビも資本と国家によっ

てコントロールされている現実を直視し、科学的に真理を追究することの大切さ、学びの大切さを強調

していました。沖縄の辺野古新基地建設反対は、このような戦後の日本の政治的社会的構造そのものに

否を突き付けている闘いであり、その闘いに連なり、その闘いから私たちは学ぶことが大きいと思いま

す。福島からも沖縄の闘いと質的に変わらない闘いが生み出されているように思われます。『生業(な

りわい)を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟は、< 私たちの目的は、原発事故の被害にあったすべ

ての方が、原発事故が起こる前ではなく、原発ができる前の原発におびえることのない生活を取り戻す

こと、そのための制度を作ることです。・・・今回の原発事故は、東電と国の招いた未曾有の公害であ

り、これら加害者の責任のもと、被害の完全な回復が図られるべきです。・・・>と根底的な問いを投

げかけています。「この人々の闘いは、3・11以降、真の意味での社会正義を求めるすべての人々の闘

い」であり、沖縄の辺野古の闘いに通底しているのではないでしょうか。