なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(400)

       船越通信、癸苅娃亜   。横娃隠糠2月17日   北村慈郎


・船越通信は今回で400号になりました。船越通信は、2011年4月に船越教会の牧師になってから週報の裏

に書くようにしています。夏期や冬期の牧師休暇の日曜日には何回かお休みしていますが、この3月末で

船越教会も8年になりますので、1年約50週×8=400ということです。個人的な些末な記事もありますの

で、読み手の皆さまにはご迷惑なことかも知れません。私としては出るだけ自分が考えたり、思ったりし

たことを文章にするように努めています。ご容赦ください。


・10日の日曜日は礼拝後、Tさんが用意して下さったお握りの味噌汁で昼食をいただき、12:30から平和

と人権を考えるDVD鑑賞会を行いました。上映したのは「アリランのうた」朴壽南(パク・スナム)監督

作品です。昨年12月8日同監督作品「沈黙~立ち上がる慰安婦~」の上映会が横須賀であり、私も行きま

した。この「沈黙」も当事者の証言が中心でしたが「アリランのうた」も沖縄戦を経験した在日の方々の

証言です。一人ひとりの証言は、その人個人の限られた経験からの言葉なのですが、その一言一言が日本

国家と私たち日本人の犯罪性を暴くのです。その証言の中で男性が慰安所に行った体験を語っているとこ

ろがありました。その韓国人の男性は、おそらく日本の強制連行によって沖縄に連れて来られて、軍隊に

入れられたのだと思われます。その意味では日本の暴力による強制によってその人は何重かの抑圧を受け

た被害者ですが、一人の男として慰安婦に対しては加害者になっているわけです。そのような抑圧差別の

複雑な関係性を創り出す我々人間とは、一体何なのかと思わざるを得ませんでした。


・この日はDVD鑑賞会の後、2月役員会を行いました。役員会では主に、24日の臨時総会の確認と4月の通

常の教会総会の準備を確認して、この日は早目に終えました。その後私は来週の準備をしてから、午後3

時半ごろ船越教会を出て、途中海老名で食材とお弁当を買って、鶴巻に帰りました。


・11日(月・休)は、横浜駅西口の県民センター講堂で開催される2・11県民集会に出席しました。

その日午前10時から紅葉坂教会であった横浜地区の2・22集会の講師内海愛子さんの講演も聞きたかった

のですが、朝10時はきつかったので止めました。県民集会の講師白井聡さんについては、氏の著書『永続

敗戦論』を読んでいて、一度講演を聞きたいと思っていましたので、出席は午後の県民集会の方にしまし

た。白井聡さんの講演は「天皇代替わりと改憲問題」という題でしたが、ほぼ昨年4月に出版した『国体

論~菊と星条旗~』によっていますが、非常に刺激的な講演でした。白井聡さんの講演の主旨は、戦前の

絶対天皇制国家と戦後の象徴天皇制国家には、形成期、安定期、崩壊期と3段階において密接な並行関係

があり、1945年の敗戦は戦後に当てはめると2022年になると言うのです。今は戦後日本社会の崩壊期で、

この崩壊がどういう形で終息を迎えるのか。内側からこの社会を立て直す形で崩壊期の終息を迎えられれ

ば望ましいのですが、今の政治と民衆の状況からすると、内側からの立て直しの可能性は低く、1945年の

敗戦のように外部の力による崩壊の終息の可能性が高いのではないか。戦争の再現はないとしても、例え

アメリカなどによる、外部からの日本社会の収奪によって、日本社会が崩壊にとどめを刺されるのでは

ないか、というのでしょう。この現在の日本社会を生きていて、自分なりに日常的に感じている私の感覚

からしても、白井聡さんの話は妙に納得できるものでした。


・この週は私の支援会の通信第22号の発送作業を、支援会世話人・事務局会では14日と15日と船越教会で

行うように予定していました。今回通信は自前で作るのではなく、印刷を発注にして、13日に船越教会に

届くようにしていました。ですから、私は13日朝9時に船越教会に来て、出来上がった通信を受け取るよ

うにしました。教会の外階段を上ってポストを開けましたら、佐川急便のメモが入っていて、12日午後3

時過ぎに荷物を届けに来たということでしたので、再配達を頼み、13日午後4時頃に無事通信第22号3,000

部が船越教会に届きました。13日に封筒と総会案内を印刷し、既に印刷してありました宣言賛同者署名用

紙と振替用紙とで、後は封筒にラベルを貼って、通信他を入れて、封をセロテープで閉じ、メール便

バーコードを貼って完成です。13日の段階で、14日一日で教団の全教会・伝道所1,700通、支援者約1,000

通を完成できそうでしたの、その日の夜メールで事務局の人には14日だけの発送作業にすると連絡しまし

た。14日の午前10時過ぎに事務局の2人が船越教会に来てくれた時には、封筒のラベルも貼り終わってい

ましたので、14日一日で発送作業は楽勝かと思いましたが、最終的に7人で作業しましたが、すべて完成

したのが午後4時半近くになってしましました。そしてヤマト運輸に連絡し取りに来てもらいました。最

初は14日の配収は無理で15日、しかも午後5時以降になるということでしたが、14日皆が帰る直前に配収

に来てくれて、発送作業はすべて完了しました。私は後片付けをして、鶴巻に帰りました。午後8時前に

小田急鶴巻温泉の駅を降りて、マンションに向かう矢先に、私の留守中鶴巻に来てくれていた娘が横浜に

帰りがけにタオルなどを持って来てくれましたので、午後9時終了の日帰り温泉弘法の里湯で1時間ほど体

をほぐしてから家に帰ることができました。


・15日(金)は午後5時前に鶴巻を出て、寿地区活動委員会のあるなか伝道所に向かいました。この日

は予定していたよりも時間がかかって、午後6時半の委員会開始時間に間に合いそうもありませんでした

ので、10分くらい遅れるので始めていてくれるように主事のMさんに携帯メールで連絡しておきました。

ちょうど10分遅れでなか伝道所に着きました。委員会はまだ始まっておらず、私が到着してしばらくして

から始めました。委員会では、諸報告を初め、私が昨年度の文案に手を加えて原案を作って来ました2019

年度の募金趣意書の文案の完成、講演会チラシ完成、来年度の体制確認、平和フェスタ参加などについて

話し合いました。