なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(549)

船越通信、№549 2023年1月15日(日)北村慈郎

 

  • 8日(日)は新年の第2主日ですが、船越教会では新年初めての会堂礼拝でした。この日の礼拝にはHさんが見えました。Hさんは逗子が実家で、普段は京都を中心に生活していますが、お正月で実家に帰省していましたので、実家から近い船越教会の礼拝に出席してくれました。この日は、またNさんが、役員会があるというのでお昼を用意してくださり、残れる人でお昼をいただき、しばらく歓談して、その後役員会を行いました。役員会では、定例の報告と議事の他に、関田先生が帰天されましたので、関田先生に引き受けていただいていた船越教会の代務者のことで話し合いました。関田先生に船越教会の代務者を引き受けていただいたときは、私も70代半ばでしたので、私の後のことは考えませんでしたが、今回は、私も既に81歳になっていて、何時何が起こってもおかしくない年代ですので、船越教会の今後のことを考えますと、私の後のことも考えて、代務者を誰にお願いするかを決めなければなりません。そのことを役員会に諮りました。役員会では、私の後の方をお願いするにしても、船越教会は全面的に牧師給を出せることができませんので、私のような年金生活者か、ウイークデイは仕事を持ち、土日教会に牧師の仕事をしてくれる人を探す以外にないとう意見がありました。そのことを含めて、今後の船越教会についてみんなで話し合うことが必要で、そのことしてから代務者の問題にとりかかることにしました。そのために少し時間がかかると思います。かと言って、そんなに時間をかけることはできませんので、私としては、2月の役員会で、今後の船越教会の可能性を、いくつかの方向にまとめたいと思っています。それをみなさんに提示して、みなさんの意見を伺った上で、代務者の問題を進めて行きたいと思っています。この日は役員会が終わる頃に、田浦教会の教会員で私の親戚筋に当たるIさんが私を訪ねてくることになっていました。ちょうど役員会が終わった頃、彼女が来て、午後2時半過ぎまで話していきました。彼女は、私の母違いの二人の姉の従妹の子で、彼女のお母さんの妹が昨年末に召されて、3日に葬儀があったのです。私は伺いませんでしたが、私の10歳年上で下の姉は今も元気ですので、火葬場に伺ったようです。彼女が帰った後、後片付けをして、私も船越教会を出て、鶴巻に帰りました。
  • 新年の第一週は比較的のんびりと過ごしましたが、この週は月曜日こそのんびりと過ごしましたが、10日(火)から13日(金)までは毎日のように出かけることになりました。10日(火)は、常置委員会の前に「ハラスメント学習会」がありましたので、午後3時過ぎには鶴巻を出て、蒔田教会に行きました。横浜で早夕食をすませ、17:30から始まる学習会の少し前に蒔田教会に着きました。この学習会には生前千賀も委員の一人だった性差別問題特別委員会の委員の方々も見えていましたので、久しぶりにお会いした方もいて、挨拶を交わしました。学習会では、どんなことがハラスメントに該当するかという基礎的なお話が、ハラスメント委員会の一人の委員からありました。自分とは違う他者の存在を認めて、対等な人格的な関係を築くことが、わたしたちに求められているのですが、それがなかなか難しいのです。ハラスメントは「人を困らせること。いやがらせ」ですが、私たちの中には善意の顔をした悪意もありますから、なかなか厄介な問題であります。自分では気づかないで犯すハラスメントもありますので、他者から指摘されたら、自己検証をしてその指摘がもっともだと思えたら、きちんと謝罪をして、今後は同じ過ちを犯さないようにしていくことではないでしょうか。今回のお話を聞いて、ハラスメントに該当することを私もしていたことに気づかされました。私は紅葉坂教会が母教会ですが、その紅葉坂教会の牧師時代に、幼い子供のころから知っている人で、その人が大人になってからも、「ちゃん」呼ばわりしていた人が、わたしにも何人かいます。申し訳ないことをしてしまいました。ハラスメント学習会後に、1月の常置委員会がありました。この常置委員会で「教区の一教会の解散」申請がありました。その教会のS牧師と信徒代表の方がそれぞれ解散に至る事情の説明をされました。この教会を設立した初代牧師は、幼児教育と教会を一体としてその地に小規模幼児施設と教会を設立して活動が続けられてきましたが、小規模幼児施設は公的な支援が受けられず廃園せざるを得なくなった結果、その施設の働き手が教会を支えてきたので、教会の支え手も少なくなり、教会も長年懸案であった宗教法人格を取ることもできず、教会解散のやむなきに至った事情を、お二人は丁寧に話しました。常置委員会はそれを承認し、教会の建物は教団の特別財産になっていますので、教会で除却し、土地は所有者に返却して、本年3月末をもってこの教会は解散することになりました。教会解散は、神奈川教区ではこれで二つ目になります。常置委員会を終えて、鶴巻に帰ったのは午後9j半ごろでした。鶴巻に帰ってメールを開けると、支援会の通信第30号2,700部の印刷が出来上がり、佐川急便が明日船越教会に配達するという連絡が入っていました。支援会の印刷物もありますので、11日(水)は朝早く鶴巻を出て、船越教会に行き、一日船越教会にいて、通信第30号を受け取り、途中印刷機がトラブルを起こし、修理に来てもらうというハプニングもありましたが、支援会の印刷もしました。この日午後6時には大和で基地小の関係で県央共闘会議幹事会があり、私も久しぶりに出席しました。鶴巻に帰ったのは午後8時半過ぎでした。13日(金)も支援会の通信第29号1,500部が船越に配送されるので、お昼ごろには鶴巻から船越教会に来て、そのまま日曜日の礼拝を守り、その後16日(月)、17日(火)と、全国の教団の教会・伝道所と支援者への発送作業を事務局の方々とすることになっております。
  • 12日(木)は今年初めての国会前の辺野古新基地建設反座り込みに参加しました。昨年12月15日(木)は関田先生が召された翌日で、私は大網にいて座り込みには参加できませんでした。その後クリスマス、新年とお休みをしていて、ほぼ一か月ぶりの座り込みです。昨年12月16日に日本政府が行った「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」、いわゆる「安保3文書」閣議決定によって、日本政府はますます米軍と自衛隊の一体化による軍事力による安全保障に突進しようとしています。報道によれば、すでに防衛省は魔毛島で基地建工事を始めたようです。軍事力によっては平和はないことを訴え続けたいと思います。