なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(499)

船越通信、№499 2022年1月16日(日)北村慈郎

・ 9日の日曜日は礼拝を終わって、玄米餅の入ったお汁粉とおはぎをそれぞれいただきました。集会室での会食はちょっと密な感じで、私は少し心配でしたが、みなさん案外コロナを超越しているようで、なごやかにいただき散会しました。その後1月の役員会を開き、16日(日)の礼拝は、会堂での礼拝は中止し、メール配信による自宅分散礼拝にするかどうかは、最終的に13日(木)夜の段階で私が判断することにしました。役員会の内容は既に議事録として皆さんに書記のNさんからメール配信されていますのでご確認ください。役員会を終えて、牧師館でしばらく後片付けをしてから船越教会から鶴巻に帰りました。日曜日は鶴巻に帰ると、大体午後4時過ぎですので、その頃からちょうど所さんのビフォーアフターという家の改築の番組があり、その番組を観るのがほとんど私のルーティンになっています。9日は双子の姉妹が住む築150年(?)の茅葺の水はけの悪い家でしたが、女性の匠が見事に改造しました。

  • 10日(月・祝)は成人の日で祝日でしたが、午後6時から支援会の世話人・事務局会がZoomでありました。支援会は昨年新型コロナウイルス感染拡大で総会を行っていませんので、本年4月2日(土)に紅葉坂教会を会場に第9回総会を行うことにしました。Zoom会議には支援会世話人代表の関田先生は参加していませんので、会議中に先生にお電話で4月2日の予定を確認しましたが、その時に先生は「1月2日の日曜日の礼拝は船越教会で守ろうと、船越教会に行ったが、メール配信による自宅分散礼拝だったので、教会の前で独りで礼拝して帰ってきた」と、咎めもせずにおっしゃいました。それを聞いて、私はすぐに謝罪しました。先生にも申し上げたのですが、1月2日の礼拝を会堂での礼拝は中止して、メール配信のみにすると役員会で決めた時に、ふと私の頭に、その日にはもしかしたら関田先生がいらっしゃるのではないかと過ぎりましたが、まさか2日は三が日なのでそんなことはないだろうと、一瞬そう思っただけで、すぐそのことは忘れていました。9日の役員会で、今回の新型コロナウイルス感染拡大が落ち着いたら、船越教会の礼拝説教をしていただこうと話してしましたので、先生にはそのことをお伝えして電話を切りました。この日の支援会のZoom会議では、第9回総会開催だけではなく、昨年11月末に開催した全国Zoom懇談会のまとめを中心に通信第27号に掲載する記事の確認をしました。また、本年9末に開催予定の教団総会に向けて、私の戒規免職撤回のために各教区への働きかけについても話し合いました。また、支援会も10年が過ぎ、今まで通信も26号発行していますので、この辺で通信の合本を本にできないかと、私が提案してその編集にとりかかることになりました。編集は、私の所に通信のすべてのデータがありますので、私が時間をかけてゆっくりすることにしました。そして12月の神奈川教区の常置委員会で、11月の常置委員会での教師委員会の戒規に関する私の発言を修正すると常置委員会に要求陪席して、教師委員会の戒規について発言した元教団教師委員会委員長のKさんの発言についても話し合いました。2月の常置委員会で12月の常置委員会議事録が確定しますので、その議事録を基に、私がKさんの発言について通信に書くことになりました。この日のZoom会議は約2時間で終えました。
  • 11日(火)は午後6時から蒔田教会で教区の1月常置委員会があり、雨が降っていましたが、鶴巻から出かけて出席しました。この日の議事は按手礼志願者3名の面接が中心でした。この日の3名の所信表明は、12月常置委員会での7名の補教師試験受験志願者の所信表明とは対照的で、主体的な意見表明はほとんどありませんでした。フロアーから質問があった教団の二重教職制についても、1人は歴史的には教団成立の問題として理解していましたが、後の2人はそれもあいまいな感じで、教団の二重教職制が教団成立の問題であるということすら認識していなかったのではないか思えてしまいました。この日の常置委員会は早く終わりましたので、夕食の食材を買って午後9時には鶴巻に帰ることができました。
  • 13日(木)の夜、9日(日)以降新型コロナウイルス感染が急激に拡大していますので、週報原稿をメールで皆さんに配信するときに、16日(日)の礼拝から、またしばらく会堂での礼拝は中止にして、メール配信による自宅分散礼拝のみにすることを決めて、皆さんに連絡しました。

 

★ 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑱

・ 斎藤は「潤沢さを回復するための方法が、<コモン>の再建である。・・・<コモン>のポイントは、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理するという点である」と言う。そして「例えば、電力は<コモン>であるべきである。なぜなら、現代人は電気なしには生きていくことができないからだ。水と同じように、電力は『人権』として保障されなくてはならないのであり、市場に任せてしまうわけにはいかない。市場は、貨幣を持たない人に、電気の利用権を与えないからである。ただ、だからといって、国有化すればいいわけではない。・・・/それに対して、<コモン>は、電力の管理を市民が取り戻すことを目指す。市民が参加しやすく、持続可能なエネルギーの管理方法を生み出す実践が<コモン>なのである。その一例が市民電力やエネルギー協同組合による再生可能エネルギーの普及である。これを『民営化』をもじって、市民の手による『〈市民〉営化』と呼ぼう」と言い、「『〈市民〉営化』の試みは、これまでデンマークやドイツで進められてきた。そして、近年では、日本でも非営利型の市民電力が広がりを見せている。福島原発事故後に、市民が市議会に働きかけ、私募債やグリーン債で資金を集め、耕作放棄地に太陽光パネルを設置するなど、地産地消型の発電を行う事例が増えているのである」と言うのである(続く)。