船越通信、癸械毅検 。横娃隠固4月8日 北村慈郎
・4月1日はイースターの礼拝でした。船越教会はイースターとクリスマスの礼拝(クリスマスの場合は
24日の燭火礼拝)の出席者は普段の礼拝より倍増します。1日のイースターの礼拝も久しぶりの家族に再
開しました。以前小学校の低学年だった子がこの4月から中学3年生と小学6年生になって、もう以前の幼
さから脱皮して、少年少女に成長していました。子どもの成長に接しますと、その逆に徐々に衰えている
自らの姿に気づかされます。船越教会の礼拝式にはカッコ付きで幼児祝福を入れていますが、普段は礼拝
に子どもが出席しませんので割愛しています。1日のイースターの礼拝では幼児祝福の祈りをしました。
もう幼児ではなくなった二人の少年少女を覚えて、この問題に満ちた難しい時代にあって、二人が自分ら
しく生き抜くことが出来るように、神さまの守りと周りの大人の支えが与えられるようにと祈りました。
礼拝後昼食会を持ち、和やかな語らいの時が与えられました。皆さんが散会した後、役員会が行われ、4
月15日に予定しています2018年度総会の最終の準備をしました。役員会を終えて、次週の準備をしてから
午後4時頃船越教会を出て、連れ合いと鶴巻に帰りました。
・3日(火)には、午後5時から教区事務所で戦責告白50年記念集会実行委員会があり、6月総会に出す
報告を確認しました。これでこの実行委員会は終了しました。昨年2017年の6月教区総会に議案を出し、
戦責告白50年を覚える記念集会を神奈川教区として開催する決議をしてから宣教委員会でこの集会のため
の実行委員を選び、実行委員会が集会の企画実施をしてきました。昨年10月3日に事前学習会、11月23日
本集会を開き、その報告集を作り、本年2月24日の2月教区総会で配布し、その後教区総会に議員が欠席し
た教会と教団・諸教区、教区内キリスト教主義学校等関連諸機関にも報告書を送りました。私は10年前の
戦責告白40年の時にも、今回と同じように実行委員の一人として戦責告白40周年を覚える神奈川教区集会
に関わり、その時も報告集をまとめました。40周年の時は、集会報告集に加えて、いくつかの資料集(19
95年前後に出た諸教会・学校の戦責告白文、戦責告白成立に関わる案文と論文、ドイツの関連文書など)
も報告集に添えました。40年の時の報告集と資料は私の手元に2,3部あるだけですので、時間のあるとき
にでもコピーを作って、50年の報告集と共に、教区のオリエンテーションで戦責告白を取り上げる時の資
料として配布できるようにしたいと思っています。
・3日は引き続き午後6時から常置委員会がありました。4月でしたので、新年度の最初の常置委員会で
もあり新任教師の面接がありました。この面接はいつも最初に常置委員と陪席者の自己紹介があり、その
後本人の所信表明があり、質疑応答ということになります。教区としては面接者に前以て神奈川教区形成
基本方針文を送っていますので、それを読んだ感想も面接者の所信表明に加えてもらうようにしていま
す。この新任教師の面接には、戦責告白を批判的に継承し多様性を認める立場と戦責告白以後の教団の40
年を「荒野の40年」として否定的に評価し(山北元教団議長)、信仰告白・教憲教規による一致を排他的
に主張する立場の対立という現在の教団の状況が反映します。今回の面接ではその対立が顕在化するとい
うことはありませんでした。ただこの常置委員会に要求陪席したY教師から、教団の信仰告白と神奈川教
区形成基本方針と教区運営においてどちらが上位法かという主旨の質問が、その場で文書により常置委員
会に出ました。それが唐突であったということもあり、議長はこの質問の取り扱いについて四役会で検討
するということで、その場での議論には入りませんでした。この種の質問には、多様な現実を一つの理念
によって上から統一しようとする意図が見えて、自己相対化によって違った考えを持つ人とも対話による
一致を求める姿勢が欠落しています。今後常置委員会でこの質問がどのように取り扱われるかは分かりま
せんが、もし取り扱われるとすれば、批判的に関わらざるを得ません。この日は常置委員会後有志による
会食に参加し、鶴巻に帰ったのは0時を少し過ぎていました。
・4日(水)午後1時半から農伝で入学式があり、私も参加しました。今年は5名の入学者があり、礼拝と
茶話会がありました。礼拝の前に今年度から新しく農村伝道神学校の校長になりましたR・ウィットマー
さんの任職式がありました。R・ウィットマーさんは40年以上カナダ合同教会の宣教師として北海道で働
いてこられたか方です。茶話会で農伝の理事長をされている禿準一さんに紹介してもらいウィットマーさ
んに挨拶をしたところ、ウィットマーさんから「有名な方ですね」と言われて、気恥ずかしい思いがしま
した。茶話会後野津田車庫から町田にバスで行き、町田から小田急で鶴巻に帰って来ました。この日は行
く時も帰る時も小田急は人身事故でダイヤが乱れていて、特に行くときは途中で昼食をとってからと思
い、少し早目に出たのですが、ダイヤの乱れで遅れてしまい、昼食抜きでかろうじて入学式の始まる午後
1時半少し前に農伝に着きました。6日(金)は午後1時から紅葉坂教会で信徒の方の葬儀があり、私も出席
してから船越教会に来ました。
・今年の2・11信教の自由を守る日の横浜集会で内海愛子さんの朝鮮人BC級戦犯の講演を聞き、その会
場で販売されていた内海愛子著『朝鮮人BC級戦犯の記録』岩波現代文庫)を購入しました。つい最近この
本を読了しました。「朝鮮人が日本の戦争責任を問われて戦争犯罪人になっている。・・・日本人が植民
地支配の責任を問われるのなら、話しは理解できる。しかし、事実はまったく逆である。日本軍に徴用さ
れた朝鮮人の軍人と軍属が、戦争中の行為を問われて戦争犯罪人となったのである。/しかも、いわゆる
A級戦犯として絞首刑になった日本人が7人なのに23人もの朝鮮人がBC級戦犯として、絞首刑・銃殺刑
に処せられている。台湾人の場合は21人が処刑された。なぜ、旧植民地の人々が、日本の戦争責任を問
われたのか」(内海)。この問題を掘り下げるために記録に基づいてこの本では書かれています。この本を
読んで改めて日本の戦争責任・戦後責任について考えさせられました。戦争が引き起こす罪責の深さと重
さの底知れなさを思い、絶対に戦争させてはならないとの思いを更に強くしました。