なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(333)

       船越通信癸械械魁。横娃隠掲10月8日    北村慈郎

・1日(日)も何時ものように礼拝後、残れる者でお茶を飲みながら懇談の時を持ち散会しました。その

後、私はこの日午後3時から横須賀のヴェルニー公園で開催された「ロナルド・レーガン配備抗議母港撤

回も求める10・1全国集会」に参加しました。この日同じ集会が午前中に別のグループで行われていま

した。日曜日の礼拝中でしたので、私はこの午後の集会に参加したのです。私の参加した集会は、労働組

合を中心とした集会だったようです。会場には様々な組合の旗が林立していました。寿日雇労働者組合の

旗もありました。この日の集会でも山城博治さんがアッピールに立ちました。二日前の横浜情報センター

での集会とは違って、この日はアジ演説に近い発言でした。しかしそこにも沖縄での権力との闘いに培わ

れた説得力がにじみ出ていました。特に「安倍政権を倒そう」と、山城博治さんは力強くアッピールしま

した。けれども、公園という開かれた空間に様々なグループが混在して集まっているところでしたし、ま

た演壇は宣伝カーの屋根の上で、街角での政治家の訴えと同じように、山城博治さんのアピールも何か空

を打つように感じられました。集会後デモ行進がありましたが、私はデモには参加せず、その後船越教会

に戻り、来週の準備をして、鶴巻に帰りました。

・2日(月)はゆっくり休みました。久しぶりにマンションの近くに広がる稲田に行き、刈り取られたとこ

ろと、まだ頭を垂れた稲穂が残っている稲田を歩きました。稲田の山側には大山が聳えている山並みが見

え、その反対側は平地で平塚方面です。しばらく稲田を楽しみ、その後秦野市と平塚市の境を流れてる川

の土手を歩いて、鶴巻温泉駅の隣、東海大学前駅の近くにあります日帰り温泉で汗を流し、昼少し前にマ

ンションに戻りました。

・3日(火)は農伝の後期の授業開始の日ですので、何時ものように午前11時前に鶴巻を出て、この日は

鶴川駅近くのレストランで昼食を取り、バス停で農伝学生のOさんとバッタリ会い、一緒にバスに乗ってO

さんと話しながら農伝に行きました。説教演習はローマの信徒への手紙13章11-14節でしたが、一人の学

生にこの箇所で説教をしてもらい、講評するという形での授業です。今年は説教演習受講の学生が3名だ

けですので、一人がお休みすると2名ということもあり、説教そのものの講評だけでなく、学生からの

色々な問いに答えることも多くなっています。さてこの箇所はアウグスチヌスの回心の契機となったと言

われるところです。「福音と律法」、「終末論と倫理」というか、信仰から生まれる行為が問題となって

いるところです。しかも他のパウロの手紙のように、ローマの信徒への手紙の場合、著者であるパウロ

読み手とが何らかの具体的な問題を共有していたり、実際の交わりがあったというわけではありません。

他の手紙と違ってローマの信徒への手紙は、未知のローマの教会の信徒に対して、パウロの信仰思想が

縷々述べられているわけです。それだけ抽象的、観念的な感じが強いと言えます。学生は講評の時に、こ

の箇所の釈義は丁寧にしたつもりだが、説教を作るのが難しかったと言っていました。午後2時半に説教

演習を終えて、その後私は農伝から神奈川教区事務所に向かいました。この日は常置委員会でしたが、そ

の前に「戦責告白50年を覚える記念集会実行委員会」と「「戦責告白50年を覚える記念集会事前学習会」

がありました。私も実行委員の一人でしたが、教区事務所に着いた時には、実行委員会は終わりの頃でし

た。実行委員会で話し合われたことの確認だけして、すぐに蒔田教会の礼拝堂で行われた事前学習会に出

ました。講師の武田利邦さんが用意してくれましたレジュメに基づいて、戦責告白の学びの時を持ちまし

た。武田さんは戦前のキリスト教の状況を年代史的にまとめ、その戦争協力の実体を明らかにして、戦責

告白を出すに至った教団の戦後の歩みを話してくれました。その中で戦時下灯台者の明石順三のような少

数だが天皇制に抵抗したキリスト者についての資料を発掘して、まとめる必要があるのではないか言って

いましたが、私もそれができたらよいのだがと、その提案に共感しました。が実際にはなかなか難しいの

ではないかと思います。戦時下のような思想信条の自由さえ認められない時代状況の中で、キリスト者

その信仰を貫き転向しないということだけがよいのか、それとも転向することにも意味があるのか。なか

なか難しい所です。ただ日本の場合、戦時下天皇制国家の下にあって信仰を貫いたキリスト者が余りにも

少なかったことは事実であり、そのことは何故なのかは究明すべき問題であることは確かです。戦責告白

50年の年に当たって、国家の進もうとしている方向が危うくなってきているだけに、もう一度戦時下の教

会の戦争協力の問題をしかりと考えておきたいと思います。

・この日の常置委員会は比較的早く終わりました。その中で特に来年度の予算との関係で、各教会・伝道

所の負担金の減額を来年度も実施するかどうかが問題になり、常置委員会は来年度も負担金の減額で行く

ことに決め、その方向で財務委員会に予算案の作成を求めました。その議論の中で毎年教区の決算で二百

万円強の余剰金が出て、それを特別会計に繰り入れていることが問題になりました。その余剰金が出ない

ようにすれば、負担金の減額をしても、他の予算、特に各委員会の予算を減額しなくてもやれるのではな

いかという意見に、私も同調したのですが、財務委員はなかなか了解しませんでした。今回は早目に常置

委員会が終わりましたので、有志と会食してから鶴巻に帰りましたが、その日の内にマンションにたどり

着きました。

・4日(水)18:30から日比谷野音で「辺野古新基地建設を許さない10・4集会」があり、私も参加しまし

た。辺野古に関わる集会と聞くと、できるだけ参加しようと、私の体が動きます。現地での抗議行動にな

かなか参加できないので、できるだけ東京・神奈川での集会には参加して意思表示をしなければと思って

います。この日は集会後日比谷公園から銀座方面へのデモがありました。私も最後まで参加し、最終地点

の有楽町から鶴巻に帰って来ました。

・6日(金)は朝7時過ぎには鶴巻を出て船越教会に行き、この日は支援会の出前集会の準備をして、7日

(土)の出前集会に臨みました。7日は雨も上がり、出前集会の会場の早稲田奉仕園リバティーホールに

は51名の参加者がありました。内容は次週。