なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

第36総会期日本基督教団教師委員会の私への戒規免職処分の不当性について

 過日昨秋の教団総会で選出された三役・常議員宛てに出した手紙と、「第36総会期教師委員会の私への戒規免職処分の不当性について」についての文書を掲載します。資料は掲載できませんが、私の戒規免職処分の不当性を多くの教団の信徒・教職に知っていただき、教団が私の免職処分を撤回するように働きかけていただければ幸いです。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

第42総会期三役・常議員の皆様へ

 

主のみ名を讃美いたします。

新しい三役・常議員として教団のためのお働きを感謝申し上げます。

さて、御存じのように私は日本基督教団から2010年9月26日付で最終的に戒規免職処分を受けました。その免職処分から12年が経過し、新しい三役・常議員の中にはその経緯を御存じない方もあるかと思われます。そこで改めて資料に基づいて、私の戒規免職処分に至る教師委員会の処置が如何に不当なものであるかを訴えたいと思います(別紙参照ください)。出来れば新しい常議員会が私に対する教師委員会の処置の不当性を認めて、戒規免職を撤回してくださることを強く希望いたします。

特に現在旧統一協会の問題を通して、宗教教団の不法性が問われていますが、私の戒規免職処分は、日本基督教団の強引で不法な一教師の処分による人権侵害に当たる案件だと思われます。このことを私は裁判に訴えましたが、裁判所は「争訟に価しない」として私の案件を扱うことをしてくれませんでした。教団はその裁判所の判断をもって、私の免職処分の正当性を主張しましたが、裁判所が「争訟に価しない」としたことは、教団の私への免職処分の正当性にお墨付きを与えたわけではありません。むしろ政教分離に基づいて、教団は宗教教団として自浄能力を発揮せよという、公権力である裁判所の促しとして受けとめるべきではないかと思われます。私にしたような人権侵害を放置しておくとすれば、何れ日本基督教団は社会からは信用できない宗教教団として無視されるようにならざるを得ないでしょう。そうならないためにも、私も81歳になり、何時召されてもおかしくない年になりましたので、一刻も早く教団の自浄能力を発揮していただきたくお願い申し上げます。

 

                    2023年1月5日

                        北村 慈郎

 

第36総会期教師委員会の私への戒規免職処分の不当性について

 

  • 元山北宣久教団議長は、第36回教団総会第44号議案の可決により、私への戒規適用による脅しはしないと明言されました。

 

先ず最初に、2007年の第35総会期常議員会で、記録を取らない自由な懇談ということで、その時の山北宣久教団総会議長は、私に聖餐についての発題をさせ、その次の常議員会で私に教師退任勧告を出し、それを拒否した私に、更に二度目の教師退任勧告をしてきました。私はその第二回目の教師退任勧告も拒否しました。すると、山北議長は、常議員会が申立者となって私に対する戒規適用を教師委員会に提出しました。その申立を教師委員会が受理する前に第36回教団総会があり、その時の総会議案「教団第35総会期第5回常議員会における『北村慈郎教師に対する戒規申立を行なう件』の決議の無効を確認する件」(提案者 柴田もゆる)【資料⑴参照】がその総会で承認可決されました。

 その約1か月後に山北議長から私に電話があり、紅葉坂教会役員会との話し合いの仲介を依頼して来ました。第36回教団総会のおける「議案第44号」(上記のもの)の可決に、聖霊の導きを感じたので、「戒規で脅すことはしないから、紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を振らないでもらいたい」ということでした。私の仲介で山北議長と紅葉坂教会役員会は紅葉坂教会階下集会室で話し合いの時を持ち、そのことを確認しました。そこで紅葉坂教会役員会も私も、教師委員会に私を戒規にかけるようにという申立はなくなったと思い、安心しました。

 

  • 私への戒規適用は、信仰職制委員会への諮問と答申を繰り返し、教師委員会が内規を改訂し、それまでの内規では行えなかった個人である常議員7名による申立を受理して行った不当なものです。

 

 ところが、その後東海教区北紀吉議長から「戒規の申立人に関する諮問」【資料⑵参照】が信仰職制委員会に出され、それに対する信仰職制委員会の答申【資料⑶参照】、教師委員会からの諮問と信仰職制委員会の答申【資料⑷参照】、教師委員会による「教師の戒規適用に関する内規」の改訂【資料⑸⑹参照】、教師委員会への小林貞夫常議員他6人の常議員による「北村慈郎教師への戒規適用申立書」【資料⑺参照】、が、立て続けに出て、教師委員会は2009年9月にその常議員7人による申立を受理し、調査員会を立ち上げ、私に面談を求めてきました。その教師委員会の調査員会の長が、第42回教団総会で選出された雲然俊美現教団議長です。彼の名で3回教師委員会から私への面談の申し出がりましたが【資料⑻⑾⒀参照】、3回とも私は松井睦教師委員会委員長と雲然俊美調査員会委員長宛てに手紙を出し【資料⑼⑿⒁参照】、紅葉坂教会役員会が、「教師委員会内規は教団規則なのか」という諮問を信仰職制委員会に出しているので【資料⑽参照】、その答申が出るまで面談は待って欲しいと申し上げました。ところが、教師委員会は私との面談を一度もすることなく、2010年1月26日に私を戒規免職処分にしました。教師委員会が私を戒規免職処分にしたその同じ日に、信仰職制委員会も行われ、紅葉坂教会と久世そらち北海教区議長からの諮問への答申が出ました【資料⒃⒄参照】。その答申は下記の通りです。

「教師委員会により2006年1月27日制定され、2009年7月13日に改訂された『教師の戒規適用に関する内規』は教団規則に該当しません」。

「『教師の戒規適用に関する内規』は戒規発動要請の受理手続きから始まっており、戒規発動の要請主体については規定していません。これについては教師委員会が先の信仰職制委員会2009年3月11日付答申、および2009年7月11日(正しくは7日)付答申の通り、先例集96を指針として尊重することを望みます」

 

[先例集96⑴(ィ) 教会担任教師の戒規提訴者は、教規第102条⑻および第71条⑸により、役員会また常置委員会はとする。ただし、役員会が提訴する場合は常置委員会を通じて行なう]

 

教師委員会は、私を戒規免職処分にした日の翌日、松井睦委員長、道家紀一幹事他教師委委員数名で紅葉坂教会に来て、私に戒規免職処分通告書【資料⒂参照】を手渡ししていきました。

以上が、第36総会期教師委員会による私に対する戒規免職処分に至る経緯です。

 

  • 常議員7名による私を戒規にかけるようにという申立は、実質的に第36回教団総会第44号議案可決によって無効とされた常議員会による戒規申立と変わらない。それを受理し教師委員会は教団総会決議違反をしていることになる。

 

この教師委員会による私の免職処分は、申立人が常議員7名であることからしても、第36回総会で承認可決した議案第44号が否定した常議員会による一教師への戒規申立による案件と同じであると言わざるを得ません。従って、その常議員7名による申立を受理した教師委員会は教団総会決議違反を犯したことになります。私は、教師委員会から戒規免職処分を受け、やむを得ず常議員会へ上告しました。その常議員会での審判委員選任においても、戒規申立者7人を含んでの選任ということで、5人の審判委員が選ばれ、その委員長が石橋秀雄前教団議長で、審判委員会は2対2のため議長も加わり3対2で、教師委員会の私への戒規免職処分を是とし、教団における私の戒規免職処分が最終的に決定しました。それが2010年9月26日です。その翌月に開催された第37回教団総会では、一つ一つの議事に対して、これは賛成、これは反対と明記された怪文書が一部の総会議員に配布され、石橋秀雄議長と雲然俊美書記が誕生しました。この総会では、それまで少数連記で行われていた常議員選挙が全数連記になり、一部の人たちによる教団執行部の専有ということになり、現在に至っています。

 

  • 教師委員会の戒規免職処分「通告文」【資料⒂参照】には偽りがある。

 

教師委員会は、戒規免職処分通告文において「度重なる勧告を受くるにも拘わらず」と記していますが、私は前総会期に山北議長からは2度教師退任勧告を受けましたが、教師委員会から私の未受洗者への聖餐執行についての勧告は一度も受けていません。私を教師委員会に戒規適用を申し立てた常議員7人も、私の未受洗者への聖餐執行は、文書や記録を取らない懇談会という前提でした私の発題で知っただけで、実際に私が紅葉坂教会の礼拝で行っていた聖餐執行に一度も立ち会ったこともありません。一人の教師を戒規免職処分するのに、私や紅葉坂教会との一度の話し合いもなく、旧内規では教師の戒規提訴者(申立人)は「役員会か常置委員会、役員会の場合は常置委員会を通して」と明記されていたのを、その内規を変えて、提訴者(申立人)の部分を削除し、受理からの手続きにし、その内規変更から18日後に常議員7人による私への戒規申立書が教師委員会に提出され、教師委員会はそれを受理して、一度の私との面談もなく、私を戒規免職処分にしたのです。

 

  • 免職処分は、処分された者にとっては生活権の剥奪に等しい。

 

教団はこの私への教師委員会による戒規免職処分によって、年金を25パーセントカットしました。戒規免職処分を受けた教師は、通常教会担任教師になることはできません。牧師職によって生活をしている教師にとっては、戒規免職処分は生活権の剥奪に等しいのです。しかも教師にとって免職処分は強制的な隠退にも拘わらず、教団はこの12年間、私が申請しないからと言って、私に年金も支払わず。放置したままです。

 

  • 第37総会期教師員会は個人による所属教会教師への戒規申立を不受理とし【資料⒅参照】、その理由として「教師に対する戒規発動の要請主体については、教会役員会または教区常置委員会とすること、また教会役員会の場合は教区常置委員会を通して行うことが原則です」という信仰職制委員会の答申を挙げて、「今回のケースは、この原則を適用する事案であると判断しました。よって不受理といたしました」としている。

 

 もし個人による教師への戒規申立が教師委員会の判断によって、その事案によって受理したり不受理にしたりできるとするならば、教師委員会の恣意的判断が入らざるを得ないではないでしょうか。教師が特に免職や除名という戒規適用を受けることは、上に記しましたように生活権の剥奪を含む人権侵害になり得るのです。教師委員会の恣意的な判断でそのようなことが起こることを、日本基督教団は許容しているのでしょか。

 

  • おわりに

 

このような日本基督教団は非人権的な宗教教団と思われても当然ではないでしょうか。旧統一協会の問題もあって、今後今まで以上に宗教教団の不法性、非人権性が社会から厳しく問われるようになるでしょうが、新しい常議員会におきまして、自浄能力を発揮してくださり、私に対する教師委員会の戒規免職処分に至る手続きの不当性を検証の上、免職処分の速やかな撤回をしてくださるよう強く希望いたします。