なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

「中世の魔女狩りか異端審問か?~教団における私の戒規免職処分~」

以下の講演は、神奈川教区の社会委員会の平和フェスタ(オンラインフェスタ)で私が話したものを、社会委員会通信に載せた原稿です。オンラインフェスタは下記のように配信されています。

 

教区オンラインフェスタ(ライブ配信
配信日2023年3月21日
https://youtube.com/live/Lp1k8yd7wfE?feature=share

 

これらは神奈川教区以外の方には、目に留まる可能性が少ないと思いますので、この私のブログにも掲載させてもらいました。日本基督教団の信徒・教職の友人・知人に、一人でも多くご紹介いただき、私を戒規免職処分にしている日本基督教団の不当性を理解し、免職撤回のために声を上げていただければ幸いです。私は日本基督教団から免職処分を受けて、この9月末が来ますと、ちょうど13年になります。

 よろしくお願いいたします。

 

「中世の魔女狩りか異端審問か?~教団における私の戒規免職処分~」 

     2023年3月21日開催、神奈川教区社会員会平和フェスタにて

                                                                                                               北村慈郎

 今回社会員会の平和フェスタ(オンラインフェスタ)で、私の戒規免職問題についてお話をする機会を与えられまして、心から感謝しています。

題を「中世の魔女狩りか異端審問か?」とつけたのは、私の支援会通信第30号に昨秋開催された教団総会の感想を書いてくださった京都教会牧師の入治彦さんの文章からです。入さんはこのように記しています。「総会直後の常議員会で気になったことは、教団の常設委員会、常設専門委員会の委員確定にあたって、常議員4~5名が『この委員として推薦されている中に、教憲教規に違反している人はありませんか』といったチェックを入れようとしたことでした。それについて議長は『ありません』と答えていたものの、そこには中世の魔女狩りか異端審問のような空気が流れていました」。この部分から今日の題をつけさせてもらいました。私自身も2010年に戒規免職処分を受けた時に、「私はサヴォラローラか?」と題して『福音と世界』に文章を書いています。サヴォラローラは絞首刑の後火刑に処せられた人です。

さて私が日本基督教団から戒規免職処分を受けた理由として挙げられているのは、紅葉坂教会の1999年3月総会で、「教会規則第8条① 聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする。②幼児バプテスマを受けた者は、信仰告白式をおえるまでは聖餐にあずかることはできない」の削除を決議し、教団はそれを認めていないにもかかわらず、その後洗礼を受けていない者にも希望者には陪餐させる、いわゆる「開かれた聖餐」を行なっているということです。教会総会の決議に基づいて行っている「開かれた聖餐」執行を理由に教団が教師である私を戒規免職処分にしたのは、「教憲教規違反の教会規則第8条削除の議案を教会総会に上程したのは、教会を指導する立場にある教師としてふさわしくない」というものです。教会規則第8条の削除が教憲教規違反とは、私は思いませんが、そのことには触れません。ただ、いわゆる「開かれた聖餐」を行なっているのは、私だけではありません。そもそも教団においては、聖餐について一致した見解はありません。いわゆる「開かれた聖餐」は教団の中では、ある程度容認されてきたと思います。この点については、私が山北宣久元教団議長から退任勧告を受けた後に教団新報に「不当な教師退任勧告を受けて」という文章を書いていますので、それを参照ください(2008年4月19日付教団新報4648号)。もし「開かれた聖餐」を執行している教師を免職処分にするなら、日本基督教団の相当多数の教師を免職処分にしなければなりません。しかし、私が免職処分を受けてから12年になりますが、私に続いて免職処分を受けた教師は一人もいません。

ということは、私が日本基督教団から免職処分を受けたのは、表向きは「開かれた聖餐」執行になっていますが、別に理由があるのではないかと思わざるを得ません。私が思い当たるのは、2006年の教団総会の礼拝で行なわれた聖餐式の陪餐に、沖縄教区から総会議員が選出されて出ていませんでしたので、私は与りませんでした。その総会で私は常議員に選ばれて、総会後の常議員会に出たのですが、その時私が教団総会で行なわれた聖餐式で聖餐に与らなかったことが問題とされて、次回の常議員会で記録を取らない懇談ということで、私に聖餐についての発題をするようにということになりました。私は紅葉坂教会の聖餐理解について話しました。御存じの方も多いと思いますが、私は話す時に、少し笑いながら話すところがあるようです。その時も私が聖餐の発題をしている時に、「北村、いつまでも笑っていられると思うなよ!」とどなった人がいました。その常議員会の次の常議員会で山北議長から私に「教師退任勧告」が出たのです。私はそれを拒否しました。その後2回目の「教師退任勧告」が出ましたが、それも私は拒否しました。すると常議員会が提訴者になって私を戒規にかけるように教師委員会に提訴しました。たまたま私の戒規にかけるようという常議員会の提訴を教師委員会が受理する前に、2008年の教団総会があり、そこで柴田もゆるさんが提案者となって出ていた、戒規の申立者に常議員会がなるのは、教師委員会から戒規を受けた教師がそれを不服として上告するところが教団総会議長(常議員会)なので、教規違反であるという第44号議案が可決しました。これは不思議な神の導きというか、この議案の審議が昼食休憩直後でしたので、たまたま昼食が長引いてこの議案の審議に間に合わなかった総会議員が結構いたのです。その後山北議長は私に電話をかけてきて、私と話がしたいというので、私は、みなと未来のホテルのトゥーランドットという中華店でお昼を共にして話を聞きました。すると山北さんは、総会での第44号議案の可決に「聖霊の導き」を感じたと言って、紅葉坂教会役員会と話し合いたいので、私にその場を設定してくれと言うのです。そこで、私はその場を設定しました。山北さんは、「紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を降らないでくれ。その代わり戒規で脅すことはしない」言うので、紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を振るなどとは考えてもいませんでしたので、山北さんの提案を受け容れました。このことがあって、私も紅葉坂教会役員会も、もう私が戒規にかけられることはないと思ったわけです。

ところが、その後、先ほど話した「北村、いつまでも笑っていられると思うなよ!」と怒鳴っていた、東海教区議長から「戒規の申立人に関する諮問」が信仰職制委員会に出されました。その諮問に対する信仰職制委員会の答申の中に、「現行の教団諸規則には、戒規発動の要請主体(誰が教師を戒規にかけるように申し立てるか)を特定する条文はない」という一文があります。この一文のある答申の項目の最後に括弧で、(但しこの事は「教憲教規の解釈に関する先例集96」の答申を否定するものではない。)とあります。(先例集96というのは、「教師への戒規申立てができるのは、教会役員会か教区常置委員会で、教会役員会の場合は教区常置委員会を通す」というものです)。この答申を受けて、教師員会は、その両者の「関係について説明してください」という諮問を信仰職制委員会に出しましました。するとその教師委員会の諮問に応えて、信仰職制委員会が出した答申の中に、「教団の諸規則上、戒規発動の要請主体を特定する条文はありませんから、理論上は誰でも要請主体になることが出来ることになります」という一文があります。教師委員会は、多分この信仰職制委員会の答申の一文に意を強くして、それまであった教師委員会の「戒規に関する内規」では、戒規発動の要請主体は「教憲教規の解釈に関する先例集96」の答申を踏まえて、「教会役員会か教区の常置委員会、教会役員会の場合は教区常置委員会を通して」となっていたのですが、それを改定した新しい「戒規に関する内規」では、戒規要請主体についての文言は全く削除して、「戒規発動要請の受理」からにしているのです。すると、教師委員会が戒規に関する内規を改定したのが、2009年7月13日でしたが、同7月31日付けで小林貞夫他6名の信徒常議員によって、「北村慈郎教師への戒規適用申立書」が教師委員会に出されます。教師委員会は2009年9月にその常議員7人による申立を受理し、調査員会を立ち上げ、私に面談を求めてきました。その教師委員会の調査員会の長が、昨秋の第42回教団総会で選出された雲然俊美現教団議長です。彼の前の議長は、御存じのように石橋秀雄さんです。彼は私の最終審判委員会の委員長でした。現教団議長の雲然さんの名前で3回教師委員会から私への面談の申し出がありました。私は3回とも松井睦教師委員会委員長と雲然俊美調査員会委員長宛てに手紙を出し、紅葉坂教会役員会が、「教師委員会内規は教団規則なのか」という諮問を信仰職制委員会に出しているので、その答申が出るまで面談は待って欲しいと申し上げました。ところが、教師委員会は私との面談を一度もすることなく、2010年1月26日に私を戒規免職処分にしました。その時教師会委員7名の内2名は辞任していますので、5名の委員で私の免職処分を決定したのです。教師委員会が私を戒規免職処分にしたその同じ日に、信仰職制委員会も行われていて、紅葉坂教会と久世そらち(当時の)北海教区議長からの諮問への答申が出ました。その答申は下記の通りです。

「教師委員会により2006年1月27日制定され、2009年7月13日に改訂された『教師の戒規適用に関する内規』は教団規則に該当しません」。

「『教師の戒規適用に関する内規』は戒規発動要請の受理手続きから始まっており、戒規発動の要請主体については規定していません。これについては教師委員会が先の信仰職制委員会2009年3月11日付答申、および2009年7月11日(正しくは7日)付答申の通り、先例集96を指針として尊重することを望みます」

教師委員会は、私を戒規免職処分にした日の翌日、松井睦委員長、道家紀一幹事他教師委員数名で紅葉坂教会に来て、私に戒規免職処分「通告書」を手渡ししていきました。私は彼らを紅葉坂教会の集会室に入れて、その「通告書」(実際のものを見てもらう!)を受け取りました。後で法律に詳しい方から、「そんな時は受け取らなかった方がよかったのよ」と言われました。

以上が、第36総会期教師委員会による私に対する戒規免職処分に至る経緯です。どう考えても、何がなんでも私を戒規免職処分にするのだという強い意志を教師委員会及び一部の常議員・教区議長に感じざるを得ませんでした。このような私の戒規免職処分に至る手続きには、明らかに瑕疵があると思わざるを得ません。

教師委員会から戒規免職処分を受けた私は、やむをえず上告しました。そのために常議員会で審判委員を選出したのですが、その時の選出の仕方も、私の戒規申立者常議員信徒7名を除外せずに含んだままで選んでいます。その審判委員会は、教師委員会同様私と一度も面談することなく、教師委員会の私への戒規免職処分を是として、教団における私の戒規免職処分が最終的に決定されました(2010年9月15日)。

教団はこの私への教師委員会による戒規免職処分によって、年金を25パーセントカットしました。戒規免職処分を受けた教師は、通常教会担任教師になることはできません。牧師職によって生活をしている教師にとっては、戒規免職処分は生活権の剥奪に等しいのです。しかも教師にとって免職処分は強制的な隠退にも拘わらず、教団はこの12年間、私が申請しないからと言って、私に年金も支払わず。放置したままです。

 私の免職処分の後に、第37総会期教師委員会に個人による教師の戒規申立てがありました。しかし、第37総会期教師委員会は、この個人による所属教会教師への戒規申立を不受理とし、その理由として「教師に対する戒規発動の要請主体については、教会役員会または教区常置委員会とすること、また教会役員会の場合は教区常置委員会を通して行うことが原則です」という信仰職制委員会の答申を挙げて、「今回のケースは、この原則を適用する事案であると判断しました。よって不受理といたしました」としています。

 もし個人による教師への戒規申立が教師委員会の判断によって、その事案によって受理したり不受理にしたりできるとするならば、教師委員会の恣意的判断が入らざるを得ないのではないでしょうか。教師が特に免職や除名という戒規適用を受けることは、上に記しましたように生活権の剥奪を含む人権侵害になり得るのです。教師委員会の恣意的な判断でそのようなことが起こることを、日本基督教団は許容しているのでしょか。

 この私の免職問題は、どう考えてもおかしなことです。「開かれた聖餐」を行なっている教師は相当いると思われるのに、教団はスケープゴードのように私一人だけ免職処分にしているのです。そのような教団は一人一人の人権を大切にしているとは到底思えません。私たちが属している日本基督教団は、未だ中世の教会のような「魔女狩り」や「異端審問」を行なっているとしか思えません。これは大変恥ずかしいことです。

 皆さんには、ご自分の問題としてこの私の戒規免職処分のことを考えていただき、違いを持った者同士が、対話や議論を通して一つをめざしていくことにおいて一致できる「開かれた合同教会」に日本基督教団がなるように、自分の与えた場で努めていただければ幸いです。