なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(582)

船越通信、№582、2230年9月10日(日)北村慈郎

 

  • 3日(日)は礼拝後何もありませんでしたので、出席者の間でしばらく言葉を交わし、直ぐに散会しました。私も12時半過ぎのバスで追浜に出て、何時ものルートで帰りましたが、横浜から乗った相鉄がかしわ台の架線事故で、大和止まりで海老名まではいけませんでした。この架線事故の修復が午後5時半ごろとアナウンスがあり、相鉄に同上していたアジア系の人から声を掛けられ、海老名で人と待ち合わせをしているのだが、どうしたらよいか聞かれました。そこで私も海老名方面に行くので、一緒に行きましょうと言って、相鉄の大和で小田急に乗り換え、相模大野経由で小田原行の快速急行に乗って、海老名まで一緒に来て、海老名でその方と別れました。その方はスマホで電車の中でも海老名で待ち合わせの人と連絡し合っていましたが、どうも相手が相鉄に事故があって、大和で小田急に乗って海老名まで行くということを理解できなかったようで、私に彼女のスマホで説明してくれるようにというので、そのスマホで相手の方に説明しまし、彼女にスマホを返しました。すると相手の方は、今説明した人は駅員かと彼女に聞いているようで、彼女は電車で一緒になった人だと、一生懸命に説明していました。その彼女と海老名で別れて、私は、何時もより30分遅れで午後3時過ぎに鶴巻のマンションに帰りました。夕食は娘が作ってくれましたので、娘と一緒に食べて、娘は午後8時ごろ下の弟に野菜を届けるのだと言って、沢山の荷物を持って車で帰りました。
  • この週は月曜日から金曜日まで毎日1時間以上上海からの電話を受けました。韓国の方ですが、日本に留学中に同じ中国から日本に留学していた方と結婚し、日本で子どもを与えられて、東日本大震災と東電福島第一原発事故直後に、子どもと母であるその方は韓国に帰り、韓国で子どもが5歳になるまで生活し、2015年から夫のいる上海に行き、上海で家族での生活をしています。私との関係は、前にも書いたと思いますが、彼女は日本にいた時紅葉坂教会の近くに住んでいて、私が紅葉坂教会の牧師時代の最後の時期に彼女に洗礼を授けています。現在彼女には大きな悩みがあって、私のことを思い出して、藁をもつかむ思いで本年の8月初めに私に電話をかけて来たのです。それ以来、週に数度、先週は毎日のように電話をもらっていますが、私は彼女の話を聞いて、手紙を書くくらいしかできないので、もどかしく思いながら、彼女の悩みが解決する方向にいくことを祈っています。 
  • 5日(火)午後5時半から蒔田教会で教区ハラスメント学習会「『同意』って何?」がありました。この日はこの集会の後、常置委員会もありましたので、私も出席しました。セクシュアル・ハラスメントの事例の中には、性暴力をする側が、よく相手の同意の上での合意による行為であって、ハラスメントではないという主張をする場合があります。それは性暴力をする側の都合の良い論理であって、相手の同意を自分都合で確認したと主張しているに過ぎないと思われます。ボンフェッファーは、「われわれのうちにひそんでいる快楽への要求が、突然激しく現れることがある。情欲は、逆らうことができないような力を持って肉体を支配する」と言って、「サタンはここで、神に対する憎悪でわれわれを満たすというよりは、むしろ、神を全く忘れさせてしまうのである。こうすることによって、サタンは、われわれを欺く。焚きつけられた情欲は、人間の思考と、人間の意志を深い闇の中に葬ってしまう」ので、「それゆえ聖書は、肉体が誘惑を受けた時に『逃れること』を教えている。情欲に対して自分ひとりの力で抵抗するとしても、必ず失敗してしまう。ただ『逃れる』ことだけができるのである。『逃げなさい』ということは、『あなたが、助けや援助を見いだすことができる場所に逃れなさい』ということ、すなわち『十字架につけられた方のもとへ逃れなさい』ということを意味する。イエス・キリストという方のみが、われわれの助けなのである。イエス・キリストという方がわれわれと共にいてくれることだけが、われわれの助けなのである。そしてわれわれはここで、十字架につけられた肉体を見、あらゆる快楽の終わりを認識するようになるのである。われわれはここで、われわれの心を再び冷静にし、自分たちの敵をはっきりと認識するようになるのである。私はここで、肉としての私がすっかり消滅することを認識し、神の怒りがあらゆる肉を正しく裁くということを認識するようになるのである。私はここで、肉としての私が消滅することで、もはや自分自身がサタンに抵抗することができないということを知り、そして、今や、イエス・キリストの勝利こそが、私に与えられるのだということを知るようになるのである」(『主のよき力に守られて~ボンフェッファー一日一章~』(447-p.448)。ボンフェッファーの『一日一章』を私は毎日読んでいますが、ボンフェッファーの言葉には、本当にハッとさせられるものが多いのです。これもその一つではないかと思います。たまたま上記の文章は9月9日「神がわれわれにとって非現実なものとなる時」の中にありましたので、ここに記すことが出来ました。
  • 常置委員会はほとんど定例的なもので、この日議長は体調が思わしくなく不在だったこともあり、巡回牧師の方の面接の後は、論議はなく議題の確認だけで終わりました。
  • 6日(水)は夜午後7時半からZoomで基地・自衛隊問題小委員会がありました。主に9月23日(土・休)13:00-16:00紅葉坂教会開催する「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな!全国キャラバン」(講師:藤本幸久さん・影山あさ子さん〔ドキュメンタリー映画監督〕)の当日のタイムテーブルと役割の確認をしました。私は7日(木)も国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きましたが、最近米軍普天間飛行場を日本側に返還するため、名護市辺野古沿岸部を埋め立て代替施設を建設することを巡る裁判で、最高裁が県の上告を退けました。東京新聞社説(9月9日)では、「法律は国と地方自治体を対等な立場としているのに、国が決めたことに従えというのでは自治を軽視しているとしか思えません。/国は埋め立て工事をいったん中止し、県民の思いと誠実に向き合うべきです。それが地方自治を大切にすることにもなるはずです」と言っています。その通りではないでしょうか。