なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(425)

船越通信、№425    2019年8月18日   北村慈郎

  • 11日(日)も礼拝後しばらくお茶を飲みながら懇談の時を持ち、その後役員会を行いました。礼拝後この日の礼拝に出席している役員は2人だけでしたので、役員の一人Mさんは帰省中でこの日は前々から欠席ということでしたので、役員会開催は無理かと思っていましたが、お茶の時間にHさんが見えましたので、8月役員会を開くことができました。役員会では7月教勢報告、7月会計報告、その他の報告の後いくつかの事項について協議しました。以下8月役員会報告から。➀「崖と階段手摺の件 工事発注中」の確認。②「聖餐式用グラス購入の件 Wさんより献品して頂くことになった。(購入~Iさん)」。③「牧師夏休みのため 信徒講壇の件、8月25日 Wさん、9月15日 N・Kさんの担当を確認した」。役員会終了後、次週の準備をしてから、Sさんが暑い中教会の庭の手入れをしてくれていましたが、Sさんに「お先に失礼します」と声をかけ、鶴巻に帰りました。
  • この週の前半、連れ合いは、手足のしびれが強く一時止めていた抗がん剤を8日に再度投与した関係で、大分体調が落ちていました。その上8月15日の敗戦記念日も重なって、連れ合いは大分落ち込んでしまいました。8月15日は連れ合いにとって実父の命日に当たります。連れ合いの父親は、現在の一橋大学を出て、明治乳業に入り、小樽勤務の時に、小樽公園通教会の礼拝に出ていて、献身して同志社大学神学部に入り、1943年(昭和18年)同神学部を卒業して、中国奉天の主任牧師のいる組合教会に副牧師として着任しました。その後しばらくして奉天で召集されて、当時のソ連との国境警備軍に加えられたようです。敗戦前後のソ連兵の南下のどさくさの中で、連れ合いの父親は死にました。実際に連れ合いの父親が死んだ日は8月15日以降だったようですが、命日は8月15日となっています。その父親は、連れ合いが生まれたことは知っていましたが、赤ん坊の連れ合いに一度も会ったことはありませんでした。その意味で8月15日は連れ合いにとってつらい過去を想い起こさざるを得ない日なのです。この週の後半になって、連れ合いは、抗がん剤の副作用からも少しらくになりましたので、15日(木)の午後4時過ぎに、久しぶりに散歩に二人で出ました。先ず田んぼの広がる場所に行き、実がつきはじめた稲穂を眺め、秦野市の大根公園まで歩きました。昼間その公園で遊んだと思われる家族連れが三々五々帰るのを眺めながら、公園のベンチで一休みしましした。その後、その公園の中にある売店で近くの農家が出している野菜を購入し、公園を後にして、樹齢600年と言われる大けやきのある所に行きました。連れ合いはその大けやきに寄りかかり、大けやきの冷気を受けるために体をあずけてしばらく過ごしました。この場所から自宅までは約300メートルです。約1時間の散歩を久しぶりにすることができました。この日は抗がん剤投与直後の体のふらつきもなく、少し元気を取り戻すことができました。
  • 8月15日、「全国戦没者追悼式」における「天皇のお言葉」は下記の通りです。<本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にあたり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。/終戦以来、74年。人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思う時、誠に感慨深いものがあります。/戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、ふたたび戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。>(下線筆者)
  • 8月16日(金)の東京新聞朝刊に作家の早乙女勝元さんが「新しい感性、若者に期待」と題して一文を寄せています。その中に、「若い世代には、今の日本がどんな社会かを正しく認識するために、過去の戦争から学んでほしい。車だってバックミラーで安全確認をしながら運転する。日本社会の内側から見る視点と、外側が見る視点をきちんと持ちながら、問題を解きほぐしていくことが必要だ。もしも、ミラーが壊れていたり、別の光景にすり替えられたりしていれば、前途が危うくなることは言うまでもない」と。安倍首相の「全国戦没者追悼式」の式辞には、上記早乙女さんが言うところの過去の戦争を「外側が見る視点」は全くありません。ですから、「もしも、ミラーが壊れていたり、別の光景にすり替えられたりしていれば、前途が危うくなることは言うまでもない」という早乙女さんの危惧は、安倍政権にこそ当てはまるように思えてなりませんでした。もちろん安倍政権だけでなく、過去の戦争から学ぶことは、私たち自身にも問われていることを忘れてはなりません。さて、次週の25日(日)は私の夏期休暇前半になりますので、週報の「船越通信」はお休みさせていただきます。それにしても毎日猛暑が続いています。くれぐれも健康には留意してお過ごしください。
  • 16日(金)は連れ合いが小田原に買い物に行きたいと言うので、一緒に小田原まで行ってきました。8日の東海大学病院には猛暑のために往復タクシーにしましたので、連れ合いにとっては久しぶりの電車に乗っての外出です。小田原の駅のコンコースは夏休み中ということもあり、何時もより人が多く、あわてて二人でマスクをしました。お昼を挟んで2時間半ほどの外出でしたが、食材を買い込んで元気に帰ってくることができました。