なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(463)

船越通信、№463 2020年8月9日 北村慈郎

・   2日(日)は平和聖日でした。例年ですと平和聖日には聖餐式を行っていましたが、今年はコロナ感染のことがあり行いませんでした。以前ご子息が横須賀の高等学校に入り、一緒にこちらに来られて、3年間船越教会の礼拝に出席してくださったOさんから、私と「教会員のみなさま」宛てにお葉書をいただきました。その報告を礼拝後にしました。お葉書の内容は帰天した私の連れ合いの千賀のことがほとんどでしたが、3年間船越教会の礼拝に出席出来たことへの感謝と「この夏、帰省の計画をしていましたが、キャンセルにしました。また、お会いできる日を心から願います」と書いてありました。コロナが終息して、またいつか帰省してこられたOさんとの再会の日を、私たちも心から待ち望むと共に、Oさんとそのご家族の方々の上に主の支えをお祈りしたいと思います。

・   この日は礼拝後もう一つ、8月16日(日)の礼拝説教をS先生にお願いしてありますが、このところの首都圏のコロナ感染者の増加と市中感染の広がりを踏まえて、千葉の大網に住んでいます先生に船越教会に来ていただくかどうかを考えることになっていました。7月26日(日)から8月2日(日)の一週間のコロナ感染者も増加傾向ですので、相談の結果S先生にはコロナが終息してから来ていただくことにしました。5日夜に先生と連絡が付き、こちらの意向をお伝えしましたところ、先生も了解してくださいました。従って、16日(日)の礼拝説教は私が担当することになります。

・   4日(火)午後6時から蒔田教会礼拝堂で神奈川教区の常置委員会がありましたので、私は午後4時過ぎに鶴巻を出て横浜に向かいました。午後6時少し前に蒔田教会に着き、この日の常置委員会に出席しました。コロナ感染再拡大の中での常置委員会でしたので、必要最低限の議事をこなすということで、各地区・各委員会の活動報告は、そもそも4月以降コロナ感染で活動ができないでいるとことが多く、活動している委員会も文書の報告で済ませ、口頭での報告は一切割愛しました。役員会の報告と協議事項として8月29日開催予定の教区総会に必要な議事と新任教師の面談に限られました。新任教師は10人いて、面談はいつものように所信表明と質疑でしたが、全体に短めでした。私が委員長として責任を持っています寿地区活動委員会として寿地区センター副主事就任の承認(運営規則上常置委員会承認が必要ですので)と社会保険の加入を役員会にお願いしていましたが、前もって常置委員に配布した8月常置委員会の議事内容には入っていませんでしたが、この日の常置委員会の議事に取り上げていただき、正式の承認は9月常置委員会になりますが、一応内諾の形を得ました。午後7時半ごろ常置委員会が終わり、すぐ帰途につきました。この日は夕食が未だでしたので、海老名でお弁当を買って帰り、家での遅い夕食になりました。

・   6日(木)は午前中に茅ヶ崎の寒川にいる帰天した千賀の従兄弟夫婦から連絡があり、今年漬けた梅干しを少し玄関先でいいから届けに行きたいというので、午後には客があるからと言いましたら、午前中に行くからと言って来てくれました。本当に玄関で帰ろうとするので、リビングに入ってもらい、この二人は病気中の千賀にいろいろ良くしてくれましたので、改めてお礼を言い、千賀のお別れ会はあきらめ、コロナが終息してから記念会を行うようにすることを伝えました。二人が帰ってしばあらくした午後1時頃に、連れ合いの千賀が最後まで委員の一人だった教区の性差別問題特別委員会の委員二人が、千賀のことを覚えてくれて鶴巻に尋ねてくれました。この二人は千賀の病気の最後の頃には、鶴巻に頻繁に見舞ってくださり、今年2月に東海大学付属病院に千賀が緊急入院した時にもわざわざ病院まで来てくださいました。今回は千賀が帰天して5か月になるということもあってかと思いますが、わざわざカレーを持参してくださるということでしたので、ご飯を炊き、娘が千賀の好きだった生ハムと無花果とナスのサラダとお菓子を用意してくれましたので、昼食を共にし、午後5時近くまで千賀の思い出やあれこれの話題が尽きず話し合い帰って行きました。昼食の時、私が黙祷して食べ始めようとしましたら、二人の一人から、千賀のこととこの日は8月6日で広島に原爆が投下された日でしたので、そのことを覚えて、食前の祈りを求められて祈りました。彼女は占い師でもありますが、鶴巻のリビングに入った途端、「千賀さんがいない」と言いました。以前千賀が病気の時に来てくれた時には、リビングにある椅子を寄せて仮ベットのようにして、いつでも千賀が横になれるようにしてありましたし、壁にはクリスマス・カートや皆さんからいただいた見舞いのハガキがはりめぐらされていましたし、クリスマス・グッズも片づけないでありました。今はリビングの一部に千賀の遺影とお骨に何枚かの千賀の顔写真、加工の施された花や生花だけですので、千賀が病気の時のリビングとは様相が一変しています。そういう意味で千賀が病気だったころのリビングからすると、今のリビングには生きている千賀の痕跡が圧倒的に少なくなっています。そんなこともあって、彼女はリビングに入った途端に「千賀さんがいない」と言ったのかも知れません。また彼女は、私が8月2日の配信した説教を読んで、その枕で、「私は、まだ帰天した連れ合いのことが心にあって、なかなか集中して本も読めないでいますが」と言ったことにショックを受けたようで、帰りがけに「先生、元気を出さないと、千賀さんもそう思っているよ」と言ってくれました。ありがたいことです。

・   沖縄県のコロナ感染拡大が心配です。沖縄へのコロナウイリスは、日本の検疫を受けることなく、フィリ―パスで日本に入国できる米兵によるか、ヤマトからの旅行者又は帰省者によって持ち込まれたものと思われます。それは偏に、日米地位協定を変えて、日米関係を対等な関係にする努力を怠ってきただけでなく、今回のコロナ感染対策において殆ど無策であり、むしろ感染拡大を助長するような政策を実行している政府の責任です。日本政府はコロナのことでもまた沖縄を切り捨てるのでしょうか。