なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(447)

私の連れ合いの北村千賀は33854分に、神と皆様方との交わりに支えられて、自分の人生を充分に生き抜くことができたことに満足し、「もう充分」と言って、安らかに帰天していきました。千賀は、225日に東海大学付属病院から鶴巻温泉病院緩和病棟に転院し、緩和ケアを受けていましたが、1日の日曜日の夕方ごろから様態が変わり、苦しむことなく徐々に息が浅くなっていき、3日の朝に私と娘に看取られて、静かに息を引き取りました。

 生前千賀に寄せていただいた皆様方の温かなご厚情を心から感謝申し上げます。

              

                           3月9日 北村慈郎

 

上記のように連れ合いの最後に寄り添っていたために、しばらくブログに記事を載せることができませんでした。今日からまた少しずつ船越通信と船越教会での礼拝説教を中心に掲載していきたいと思います。

 

船越通信、№447    2020年2月9日   北村慈郎

  • 2日の日曜日は礼拝の報告の中で、福岡在住のWさんの急逝の報告がIさんからありました。Iさんは金曜日の夜Wさんのお連れ合いから電話でWさんの急死の知らせ受けて、1日の土曜日午前中にメールで私たちにも連絡してくださっていました。土曜日、私は午前10時半には船越教会に来ていました。この日を支援会のための紙や封筒の配送日に指定していたからです。いつも運送屋さんがお昼ごろに配達してくださいますので、それに間に合うように船越教会に来たのです。この日運送屋さんが来たのは午後3時半ごろでした。お昼少し前にNさんが教会のお掃除に来てくださいました。「IさんからのメールでWさんがお亡くなりになったようだ」とNさんから伺って、パソコンを開いてメールをチェックしました。確かにIさんのメールには、「おはようございます。 とても悲しいお知らせです。/昨日夜遅くに、福岡のWさんの奥様からお電話ありまして 彼が急死したということで動転なさって涙声でした。」と記されていました。びっくりしました。
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  • Wさんは福岡にいながら、もう3年前くらいになるでしょうか。「屏風ヶ浦にある(Wさんのご両親がいらした)家を整理にきた」と言って、船越教会の礼拝に出席しました。それから、時々学会や東京のホテルで娘の結婚式があり、その準備に来たからと言って、船越教会の礼拝に顔を出してくれました。大体礼拝の終わり近くでしたが、一度は礼拝が終わってから大分経って、私が教会の戸締りをして、京急田浦に向かってファミリーマートの手前まで来たときに、向こうからWさんがやってきたことがありました。Wさんに、もう教会には誰もいませんと申し上げましたら、東京の宿泊しているホテルに帰ると言って、京急田浦駅まで戻り、京急に乗って横浜まで私も一緒したことがあります。その間歩きながらも電車の中でも、いろいろとお話をすることができました。別の時には、暑い夏の日曜日だったと思いますが、この時も礼拝が終わってからのお茶の時間にいらして、その後Sさんと一緒に庭の掃除をしてくださったとこもありました。Wさんが船越教会の礼拝に最後にいらしたのは、確か去年の3月頃だったと思います。お連れ合いとお二人で旅行の大きな荷物をもって、羽田から船越教会に直行したと言って、船越教会の礼拝に出席し、礼拝後のお茶の会にもお二人で出てくださいました。その日はご両親の思い出に横浜山下公園のニューグランドホテルに泊まるのだとおっしゃっていました。お茶の会の後、お二人を送り出して、お別れをしたのが、Wさんとお会いした最後になります。
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  • 2日(日)の役員会後にIさんによってWさんのお連れ合いと連絡がつき、その日の夜福岡中部教会で前夜式、3日(月)に葬儀式ということでした。Wさんとご家族の上に主の慰めと平安をお祈りいたします。

 

 

 

  • 2日(日)の2月役員会では、主に以下のことを確認しました。①第3回平和と人権を考えるDVD鑑賞会 予定通り2月16日12:30より開催、「ひろしま」を上映する。②2020年度総会準備の件(2019年度教会報告、2020年度基本方針並びに事業計画、以上は3月役員会に。2019年度決算および2020年度予算に関する件は4月役員会に)、③教会の将来についての懇談会:2月23日礼拝後開催、1時間半(おにぎり用意する)④災害時に教会のできることの備えとして、防災マニュアルを使って皆で話し合う機会を持つ。④イースター礼拝 4月12日(日)、2020年度教会総会は 4月19日(日) 礼拝後開催。
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  • 4日(火)は16:00から蒔田教会教育館常置委員会があり、私も出席しました。この日の常置委員会は一人の教師(准允志願と六ッ川教会主任担任教師招聘)の面接と2月22日(土)開催の第143回神奈川教区総会の準備の議案が中心でした。通常教師招聘は教区総会で准允・按手を受領してから常置委員会の議題になるのですが、今回は2月22日の教区総会で准允志願が承認されて、准允式を受けてからという条件付きで、一人の教師招聘が承認されました。Kさんという中国キリスト教の研究者で学者の道から伝道者に転身し、本年3月で辞任するI・T牧師に代わって六ッ川教会の主任担任教師に就任する予定です。今度の2月教区総会では「2020年度教区活動基本方策案および活動計画案に関する件」と「2020年度教区予算案および各教会負担金割当案に関する件」が審議されます。その他私の戒規免職撤回教団総会議案と聖餐論議の場設定教団総会議案が常置委員会提案教区総会議案になりました。特に私の戒規撤回議案については、明日の教団を考える会でも出た意見ですが、「もう少し分かりやすいものにならないか。自分の属する教会の教区総会議員は、前回の総会でこの議案と同じ内容の戒規撤回声明議案が分かりにくかったために、議決の時には保留にした」という意見が一人の常置委員から出ました。この日は常置委員会が終わったのが21:30過ぎでしたので、私は急いで鶴巻に帰りました。鶴巻に着いたのは23:00を過ぎて、久しぶりに遅い帰宅になりました。

 

  • 6日(木)は連れ合いの病院行きの日でした。この日は癌の一般外科の診察予定時間が11時でしたので、病院には10時には着いて、血液検査と尿検査を済ませるつもりで9:30にタクシーを頼み、10時少し前には病院に着きました。血液・尿検査を済ませて一般外科に来たのが10時半頃でした。診察の番が回ってきたのは午後1時少し前でした。診察で連れ合いが体のだるさや足のむくみを医師に訴え、医師は血液検査の結果と、1月8日に撮ったCT画像を見ながら、「入院になるかも知れませんが、今からCT検査をしてきて下さい。そしてもう一度診察に来てください」と言われました。そこでCT検査をして、この日一般外科の後に診察を予定していた腎内科の診察を先に受けてから、一般外科の再診察を受けました。医師はCT画像を見て、私と連れ合いに肺や体に水が溜まっていることを示して、「もう抗がん剤は体に悪さをするだけでやる意味がありません。今後は緩和の方に移行することになります。次回の診察で病院にするか在宅にするかを選んでください。それによってできるだけのサポートをさせてもらいます」という趣旨のことを言われました。そして利尿剤を出してもらい、1週間後の13日(木)に診察の予約をして、帰ってきました。連れ合いはさっそく在宅を選び、私がケアマネージャーに相談し、介護認定を受けることにしています。