なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(446)

しばらくブログに記事をアップすることができませんでした。連れ合いが大分病状が進んでしんどくなっていますので、連れ合いに寄り添う時間が多くなっているからです。久しぶりに2月2日(日)の船越通信をアップします。

 

船越通信、№446 2020年2月2日   北村慈郎

  • 1月26日(日)は、1月の役員会で決めましたように第4週の日曜日でしたので、礼拝後庭の掃除と週報の発送作業をみんなで行う予定でした。ところが、この日は、そんなに強くはありませんでしたが、雨が降っていましたので、庭掃除は中止になり、週報発送作業だけ行いました。週報発送作業には数名が参加し、後の人はお茶を飲みながら懇談していましたが、12時には帰らなければならなかった人もいて、あわただしく、いつものようなわけにはいかず、12時過ぎには散会しました。週報発送作業は、私が送る方のラベルと封筒を用意しておきましたので、週報ボックスにたまっている週報などの印刷物を整理して封筒に入れて、ラベルを張り、封をする作業です。出来上がった何通かの封書を持ち帰って、切手を貼って投函するのは、会計のHさんが受け持ってくださったのではないかと思います。この日は皆さんいつもより早めに散会しました。私はその後次週の準備をして、午後1時ごろ船越教会を出て、途中海老名で連れ合いから頼まれた買い物をしましたが、京急田浦から横浜、海老名経由で小田急鶴巻温泉に帰りました。
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  • この週は比較的穏やかで冬とは思えない暖かな日が何日かありました。このところ連れ合いは2週間に1回病院に行く以外は、ほとんど家の中での生活になってきています。新しい年になってから、散歩で外に出たのは数回です。私たちのマンションは2階にありますので、外に出るときは階段を下りたり、上ったりしなければなりません。連れ合いはマンションから外に出るときは、階段が下りですので、手すりにつかまりながらゆっくり下りられます。しかし、散歩から帰ってきてマンションの階段を上るときは、スムーズに足が上がらないで、一休みすることがあるようになりました。1月29日(水)は春のような暖かな日でした。この日連れ合いは久しぶりに散歩に出ました。私たちのいるマンションから少し坂道を上っていくと、60~70メートルほどのところにドラックストアがあります。そこで買い物をしたいというので、二人で坂道を上っていきました。一度だけ途中で一休みし、少し息が荒くなっていましたが、それほど苦しまずにドラッグストアに行くことができました。買い物をした後、そこから40~50メートルほどのところにある鶴巻の大ケヤキに行きました。この大木の概要にはこのように記されています。「鶴巻の落幡にあるケヤキは『鶴巻の大ケヤキ』とよばれ、神奈川県の天然記念物に指定された昭和28年では、根回り12.5メートル、目通り幹囲10メートル、樹高30メートルの巨木です。天保13(1842)年に記された『新編相模国風土記稿』にもその記録が残っています。また、「大エノキ」とよばれ、豊作と生活を祈り大切に護られてきました」と。連れ合いは病気になってからも元気な頃はよくこの大ケヤキの幹の窪みに自分の体を委ねるようにして、この大木と一体になって、大木の生命力を受けるかのようにして、しばらくじっとしていました。今回も同じようにしていましたが、じっとしている時間は以前と比べると短かったように思われます。大ケヤキからマンションの方に戻って来て、この日は水曜日なので、私たちのいるマンションも入っています鶴巻ガーデンシティひかりの街の集会所がある公園に、三崎から車に新鮮な魚を積んで売りに来ている魚屋さんが来ていましたので、その魚屋さんから鯵とマグロを買って、マンションに帰りました。この日はマンションの階段の上りも、ゆっくりですが、足を上げて上りきることができました。
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  • この日は関田先生からお電話をいただきました。日曜日に週報発送作業をしてくださったのが、関田先生にも届いたのでしょう。週報の私の船越通信を読んでくださって、特に教区のために私がよく働いていること、連れ合いの病気のことを心にかけてくださいました。また、2月22日(土)の教区総会には、先生はその日別の予定があったようですが、その予定をお断りして、教区総会に出席できるようになったとおっしゃいました。今度の教区総会には私の戒規免職撤回と聖餐論議の場設定の二つの議案を提出することになっています。この二つの議案は常置委員会提案議案にしていただくようにお願いしていますが、もしそれが難しく議員提案議案になったときに、聖餐論議の場設定議案の提案者に関田先生になっていただくようにお願してあったからです。先生は今度の教区総会に、先生が部落解放センター通信「良き日のために」№15に書かれた「教団と北村慈郎牧師」(神奈川教区巡回教師 関田寛雄)を配布できないかと言われました。私の方で印刷して配布するようにしますと申し上げました。関田先生は、私の戒規免職撤回のために親身になって関わって下さっており、また、連れ合いのことも心にかけて、何かとサポートして下さり、心から感謝しています。
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  • 30日(木)は前日同様暖かな日でしたが、連れ合いに今日も散歩に行くか聞きましたら、この日は自分から止めておくと言いました。多分前の日と違ってこの日は体が重かったのではないかと思います。最近はストーマ近くを中心にして、体に痛みが出てきているようです。この前医者から処方を出してもらって、激痛の時に飲む痛み止めの薬はもらっていますが、その薬を飲むほどではないようです。しかし、体の中に痛むところを抱えているのは、つらいだろうとは思いますが、私のできることは、連れ合いの体の凝ったところをもみほぐすだけです。連れ合いの病気が分かって、治療を始めてからちょうど1年5が月になりました。これら少しずつ厳しくなっていくのではないかと思われますが、今まで同様二人で「一日一生」を大切にしていきたいと願っています。
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  • 1日(土)、私は朝食をすませた後、鶴巻には前日夜から娘がいてくれるので、午前8時半には鶴巻を出て、船越教会に向かいました。この日に船越教会に注文した紙と封筒が届くので、それを受け取るためです。いつもは昼過ぎに運動屋さんが届けてくれるのですが、この日は午後3時半ごろになってようやく届きました。封筒は何れ支援会で使うために、紙は「合同」50年集会の記録とセットにする講演者の資料を、500部印刷するためです。
  • 1日船越教会でIさんからのメールを見て、福岡のWさんが急死したことを知り、驚きました。ご遺族の方々の上に主の支えと慰めを祈ります。