なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(448)

船越通信、№448 2020年2月16日  北村慈郎

  • 9日の日曜日は、私が名古屋時代の教会で出会い、洗礼を授け彼女の婚約式の司式もしましたSさんが、わざわざ私を訪ねて船越教会の礼拝に出席してくれました。彼女は小平市に住んでいて、教団の三鷹教会のメンバーです。彼女の結婚以来、多分一度もお会いしていませんので、30年ぶりの再会となります。生真面目な青年時代の人となりがそのままで、礼拝後のお茶の会の後午後2時頃まで、懐かしい思い出を振る返りながら話が弾みました。Sさんは連れ合いの千賀のこともあり、わざわざ訪ねてくれたのだと思います。うれしいことです。
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  • Sさんと別れてから、「合同」50年集会報告集に別刷りとして集会講演の資料を添えることにしていますので、その資料の準備の作業をしてから、午後4時過ぎに船越教会から鶴巻に向かいました。この日鶴巻には私の姉と姉の子の姪の二人が連れ合いの見舞いに来てくれました。私が鶴巻に帰ったのは午後6時過ぎでしたので、姉たちは既に帰った後でした。連れ合いも喜んで、食事もいつも以上によく食べられたようです。

 

  • ところが、11日(火)の朝7時前にストーマから鮮血が相当出血して止まりそうになかったので、直ぐに癌治療を受けています東海大学付属病院に連絡しました。病院のスタッフは連れ合いの状況を聞いて、救急車を呼んですぐに病院に来るように言われました。すぐ119番に電話しました。すぐに救急車が来て病院に行き、そのまま入院ということになりました。実は13日(木)が診察日で、その時、連れ合いはもう抗がん剤治療は無理で、緩和ケアになるので病院か在宅を希望するか、主治医に答えることになっていました。連れ合いは先週までは在宅を希望し、ケアマネ―ジャーもお願いしその準備を進めていましたが、自分の体調のしんどさと介護する私のことも考えてだと思いますが、在宅ではなく緩和病棟のある病院を選ぶことにしました。10日(月)午後にケアマネージャーの方が鶴巻のマンションに来てくださいましたが、連れ合いは緩和病棟のある病院にすることにしたことをケアマネージャーに伝えて、ました。ケアマネージャーの方はそのことを了解してくださり、今後は病院のソウシャルワーカーを通して緩和病棟のある病院を紹介してもらうようになりますと言って、引き取ってくださいました。

 

  • 連れ合いは、主治医から抗がん剤治療はもうできないので緩和ケアに移行しなければならないと宣告されてから、自分の死を受け止めて、葬儀をどうするかということを考えるようになりました。最初は身内でこじんまりと今住んでいる秦野近辺でしたいと言っていましたが、彼女の親しい友人の中には、もし彼女が召された時にはお別れは是非させて欲しいという人もあり、通常の葬儀をするというように考えを変えていきました。11日に緊急入院して、その自分の葬儀の話がさらに具体的になり、場所は紅葉坂教会にお願いできないか。連絡してもらう人の名簿は作ったからと。私から葬儀の説教はS先生にお願いすることにしました。私は11日夕方病院から帰って来て、紅葉坂教会のA牧師に電話して、連れ合いの思いを伝えて、彼女の葬儀の場所に紅葉坂教会をお借りできないかお願いしました。本来なら3月の役員会にかけてからになるのですが、もしそこまで連れ合いの体が持ちこたえられないことも考えられますので、A牧師にはご無理を言って了解していただきました。また、S先生にもお電話で連れ合いの葬儀の説教をお願いしましたところ、快く引き受けて下さいました。S先生は13日午後に伊勢原東海大学付属病院の連れ合いの病室まで来てくださり、連れ合いのために祈ってくださいました。

 

  • 連れ合いの意志を尊重して、連れ合いの葬儀の段取りまでほぼ決まりましたので、13日(木)夜、16日の週報原稿をメールで船越教会のメンバーの方々に送るときに、以下のように記しました。

 

【さて、私の連れ合いの千賀が、11日朝7時前にストーマからの出血があり、救急車で東海大学病院に緊急入院しました。千賀は現在抗がん剤治療ができない状態で緩和ケアに移行することになっていて、ちょうど本日(13日)に主治医に在宅か病院かを選ぶことになっていました。千賀は熟慮の末病院を選びましたので、ストーマ出血が落ち着きましたら、東海大学病院から緩和ケアのある病院を紹介してもらい、その病院に転院することになっています。/また、千賀は足や体がむくみ、黄疸状態になっていて、本人も大分しんどいようで、自分の葬儀の準備もすると言い出し、千賀の意志に沿って千賀の葬儀の概要もほぼ決めました。場所は千賀が幼い時から日曜学校に通っていた紅葉坂教会にお願いして、了解していただきました。前夜式は行いませんが、夜の2~3時間ほどお別れに来れるようにしたいと思っています。式は葬儀(告別)式のみで、司会は私がして説教はS先生にお願いしました。S先生は私たちのお願いを快く引き受けて下さり、本日東海大学病院まで千賀を見舞ってくださいました。/船越教会の皆さんには、前もって千賀の現在の状況をお知らせしておいた方がよいと思いましたので、お知らせさせていただきます。お祈りの中に千賀のことも加えていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。】

 

  • 14日(金)も15日(土)も昼前から夕方まで、私は連れ合いの病室に行き、必要な介助をして過ごしました。連れ合いの少し苦しそうに呼吸する姿を見たり、むくんでぱんぱんに腫れている両足をもんだりしていますと、不思議と意識が対幻想に収斂していくのが感じられます。今問題になっています新型コロナウィルスのことも、何か遠くの出来事のように思われてきます。人間は自己幻想(自分の自分との関係)と対幻想(自分と他者の一人と一人の関係)と共同幻想(3人以上の共同の関係である社会)の三つの関係を生きているのですが、一つに収斂すると他は意識から遠のいていくようです。ですから、自分の苦しみに向き合っている人間も、対の関係の苦しみや課題に向き合っている人間も、共同幻想の領域である社会の問題が自分の中から遠のいていくのかもしれません。