なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(449)

船越通信、№449 2020年2月23日  北村慈郎

  • 16日(日)の礼拝説教は予告とは違って、5年ほど前に東京の荻窪教会に招かれて行った説教をほぼそのままの形で船越教会の礼拝で語らせてもらいました。今まで51年間牧師をしていて、そのようなことをしたことはありませんでしたが、今回はそのようにさせてもらいました。一つは、この日の礼拝には耳の聞こえないOさんが出席することになっていて、Oさんのために完全原稿を礼拝前に準備しておかなければならなかったことです。けれども2月11日(火)朝ストーマからの出血があり、救急車で緊急入院した連れ合いのことで、なかなか落ち着いて聖書と向かい合い説教の原稿をまとめる余裕がありませんでした。こういう時、今までは未完成の原稿でも、説教の筋道を頭に描き、講壇に立ってその場で説教し、その説教の中でまとめるようにしてきました。しかし、今回はそういうわけにはいきませんでしたので、すでに完成原稿になっています以前語った説教を用いさせてもらいました。それと共に、荻窪教会でした説教には、荻窪教会牧師のK先生の要望で、船越教会の礼拝に来ている人の多くの方々にはお話したことのない私の信仰歴に関わる個人史にも触れていますので、こういう時にそのような話をするのもいいかもしれないと、私が勝手に思ったからです。ということで、16日の礼拝説教は異例の形になりましたが、お許しいただきたいと思います。
  •  
  • 16日(日)は12時30分から平和と人権を考えるDVD鑑賞会(ひろしま)がありました。その前に今回もNさんが作ってくださった昼食を皆でいただきました。みなさん心配してくださっています連れ合いの千賀の様子は、この日の船越通信に大体のことは書いておきましたが、昼食後の懇談でもお話しさせていただきました。この日はOさんの他にもう一人Tさんが、はじめてですが船越教会の礼拝に出席してくださり、Oさんと共にDVD鑑賞会にも参加してくださいました。「ひろしま」はテレビの録画でしたので、少し技術的な問題がありましたが、それを克服して放映することができました。この「ひろしま」は1953年当時の日教組の制作したもののようですが、原爆投下後の苦しむ人々の姿がリアルに再現されていて、その凄惨な現実は原爆投下の非人間性が赤裸々に描かれているものでした。このDVD鑑賞会が行われた16日の数日前に、横須賀から中東に自衛隊の艦船が自衛隊員を乗せて派遣されました。ヒロシマナガサキの原爆投下によるその悲惨さを通して、私たちは核廃絶と二度と再び戦争をしてはならないという決意をしました。それは何よりも、人間も自然もその命の大切さに優るものは何もないという真実を示すものではないかと思います。しかし、人間の命は貧しさの中で大切にされることなく踏みにじられていくのも、私たちの現実です。命と経済(金)の狭間で、どのように命を大切にすることができるかという課題が私たちに突き付けられてきました。日本の戦後は、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需で経済は復興し、敗戦後のすべてを失った貧困のどん底から立ち上がり、豊かさを享受するようになりました。しかし、それは、「命と経済(金)の狭間で、どのように命を大切にすることができるかという課題」を、私たちが真剣に追い求めてきた結果というよりも、戦後の冷戦時代、バブル掲載が破綻するまでは日本はアメリカの属国としてアメリカに保護されてきたからです。1980年代後半からは経済のグローバル化によって日本もアメリカによる収奪の対象になっていると言われます。今の日本の政権は、命よりも経済というスタンスで大企業の方に顔を向けて、私たち一人一人の命の尊厳を守るという課題は最初から放棄していかに思われるくらいにお粗末です。そういう現代という状況の中で、「ひろしま」を私たちは鑑賞しました。「ひろしま」を観た後、私は、改めて「どのような立場の人であっても、一人一人の命の尊厳を大切にするために、今私たちは何をしなければならないのか。」この問いの前にそれぞれ真摯に立ち続け、それぞれのできることを忍耐強く追求していきたいと思わされました。
  •  
  • 16日(日)は午後4時半から教区事務所で今年度の第4回オリエンテーションがあり、私も委員の一人として出席しました。今回のテーマは「教師検定問題(教職と教師検定試験)」でした。講師はK・F文貞さん(北松戸教会)です。K・Fさんは教団では数少ない「信徒伝道者」の一人です。K・Fさんは、1970年前後の万博・東神大問題で東神大から追われ、教団年鑑の教師名簿の最後にある「信徒のまま教師に準ずる働きをしている者の名簿」に記載されています。K・Fさんの発題をお聞きして、私が印象に残ったのは、「自分が今までやってこれたのは、個別に自分を問い自立の努力を続けている一人一人との出会いがあったからだ」という主旨のK・Fさんの発言です。1990年代後半から2000年ごろまでは、多様性を認めていた教団と彼の所属する東京教区で問を共有する仲間と運動をつづけていたが、2000年前後から教団でも教区でも排除されたので、今は北松戸教会と地域の働きに、残された自分の時間と力を注いでいきたいと思っているとも言われました。K・Fさんのいう仲間とは、自立した個人と個人の繋がりで、大いに議論はするが、議論もなくただ「群れる」という関係ではありません。K・Fさんは万博東神大問題の当事者の一人として、教師問題をただ時系列的にではなく、自分の問題として話してくださいましたので、K・Fさんの話には、同じ時代を生きてきた者として共感することが多くありました。
  •  
  • 私はこの週19日(水)午後「合同」50年集会実行委員会、20日(木)基地・自衛隊問題小委員会と集会、21日(金)寿地区活動委員会がありましたが、すべて欠席させてもらい、連れ合いの千賀に付き添いました。千賀は足のむくみと肺やお腹に水が溜まってきていると思われ、体がしんどくなっているようです。今月25日(火)に東海大学付属病院から自宅の近くにあります鶴巻温泉病院の緩和病棟に転院することになりました。22日(土)は清水ヶ丘教会で教区総会がありましたので、連れ合いの付き添いは娘に頼んで出席しました。この日の総会は新型コロナ感染のことがあり、准允・按手と法廷議案のみで午前中に終了しました。