「狂気」について、(小倉利丸『抵抗の主体とその思想』から)
《人類史200万年のなかで、「文明」の時代はそれ以前の時代に比べれば、極めて不安定であった。そして
さらに、近代資本主義になるとこの不安定性は極限にまで及ぶようになった。地球生態系のなかに組み込ま
れて種としての再生産を繰り返してきた文明以前の人間が、突然変異的に不安定な「文明」と呼ばれるよう
な変化を繰り返すプロセスへと陥ったことを地球生態系の側からみれば、種としての人間があたかもガン細
胞のように生態系を侵食する存在に変異し、不断に生物種としての人間も含む自然の均衡を破壊する存在と
なったとみることができるかもしれない。近代化はこのガン細胞的な浸食がさらに急速度で広がる事態とも
いえる。こうした現状を文明以前の状態に引き戻すことは不可能に思えるのだが、人類の生存の基本的な条
件を再度地球の生態系に埋め込み見直すための努力を放棄してしまえば、自然の総体を巻き込む破壊的な危
機を招く可能性が極めて高いということもほぼ確実なことである。
私が指摘しているのは、気候変動の問題だけでなく、核兵器や原子力発電のような軍事や経済インフラに
関わって主として先進国が蓄積してきたその廃棄にすら多大なリスクを伴う人類の「進歩」の産物について
も念頭に置いている。短期的な資本の利益と普遍的な価値を妄想する国家群が相争う終わりなき覇権の争奪
を「自然淘汰」の過程にみたてて正当化して破壊的な未来を理性的に選択する人類は、明らかに〈狂気〉に
とりつかれているとしか言いようがない。この〈狂気〉の源泉が資本と国家にあるから、そのことに支配者
たちは気づきようもないわけだ。この構造外部に立てるものだけがこの〈狂気〉をそのようなものとして認
識できる》(p.17-p.18)。
「資本」(お金)と「国家」(権力)の呪縛と支配から、どうしたら解放され、自由になり、人として他
者である隣人と、また自然と共生していいけるか? これは聖書のテーマでもあると思います。上記の小倉
利丸さんの言葉は、現代社会の現状認識に役立つように思われますので、ここに引用させてもらいました。