なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(487)

船越通信、№487 2021年10月17日   北村慈郎

  • 先週私は8日金曜日の夜に船越教会に来ました。それは、支援会の印刷物や紙等が9日(土)に船越教会に届くからです。9月後半に支援会通信第26号の原稿を名古屋のSさん送り、編集をお願いしました。校正のやり取りをして完成した通信第26号の印刷を、Sさんにプリントパックに発注してもらい、出来上がったものを船越教会に届くように手配してもらっていたのです。13日(水)に船越教会に支援会の事務局の人が来て、発送作業をする予定でした。9日(土)昼過ぎに、紙と封筒が横須賀の運送屋さんから届き、その後佐川急便で通信第26号が届きました。夕方玄関に置いてあったものを和室に運びました。紙と封筒5箱は難なく和室に納めました。しかし、通信の段ボールを持ち上げようとした瞬間に、右足付け根に電気が走り、その後歩き方によっては痛みが強く、2箱の段ボールはキャリアカーで何とか和室に納めました。
  • 10日の日曜日も足の痛みは引かず、会堂の一番前の席から講壇に行く時も、説教を終えて戻る時も、わずかな距離ですが、一足一足、ゆっくり気を付けながら移動しなければなりませんでした。何とか礼拝を終えて、しばらく懇談後、皆さんは散会しましたが、Hさんは家に戻ってご自分の湿布薬をわざわざ届けてくださいました。その湿布薬を痛みのある所に這って、湿布薬の袋に入っていたHさんの心遣いによる横浜センターグリルの冷凍スパゲッティを電子レンジで温めて、お昼をいただきました。横浜センターグリルは、知る人は知る野毛の古い洋食屋さんです。オムライスやナポリタンが有名です。
  • それからしばらくして、午後2時過ぎに船越教会を出て、鶴巻に向かいました。少し中腰で前かがみの姿勢だと足の痛みもほとんどなく、歩くのも楽でしたので、リュックに荷物を押し込んで、そのリュックをしばりつけたキャリアカーを押しながら、船越教会から京急田浦駅まで行きました。そして電車を乗り継いで、午後4時半ごろ鶴巻のマンションにたどり着きました。11日(月)に整形外科で診てもらいましたが、レントゲンで骨には異常はないということで、とにかく静かにしているようにということで、2週間分の湿布薬を薬局で受けとり、帰ってきました。帰って来てからすぐに支援会の事務局にはメールで、「13日の発送作業は中止させてください」と連絡しました。けれども、13日に一人だけ船越教会に来られた方があり、申し訳ないことをしてしまいました。

★ 斉藤幸平『人新生の「資本論」』⓾

  • 斉藤は、「民主主義的な相互扶助の実践を、人々が自発的に展開し、気候危機に取り組む可能性がないわけではない。それが公正で、持続可能な未来社会のはすだ」と言う。これこそ気候変動による地球規模の危機(世界の破滅)を乗り越える、ほとんど唯一の可能性であると。そして「なぜ、資本主義のもとでは脱成長できないのか」と問い、資本主義は「無限の経済成長を目指す」と言い、それ故に「資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる」、「環境危機に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義を止めて、脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することなのだ」と言うのである。
  • 斉藤によれば、現在私たちは「『脱成長対経済成長』という人類の生存をめぐる対立」状況にあり、その選択を迫られており、これまで通り資本主義による経済成長を求めていくとすれば、気候危機による世界の破滅に繋がる以外にない。このことに関してZ世代は敏感で、グレダはそのZ世代の象徴的な人物であると。
  • Z世代について斉藤はこのように述べている。「しばしばいわれるように、1990年代後半から2000年代に生まれたZ世代はデジタル・ネイティブであり、最新のテクノロジーを自由に操りながら、世界中の仲間とつながっている。これがグローバル市民としての感覚を育てている。/そしてなによりも、若い世代は、新自由主義規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様を体感しながら育った。このまま資本主義を続けても、なんら明るい展望はなく、大人たちの振る舞いの尻ぬぐいをするはめになる。そのことに絶望し、また怒っている。/だから、Z世代は、グローバル市民としての自覚をもって、今、社会を変えようとしているのだ。まさに、グレダはZ世代の象徴的な人物のひとりといえる。実際、彼女のような個性的なパーソナリティを、Z世代は多様性として素直に受け入れ、支持しているのだ」。
  • 斉藤は「この気候変動と資本主義に対する姿勢の違いは、脱成長をめぐる日本と欧米の言説状況にも影響している。欧米においては、気候変動問題への取り組みを通じて、資本主義システムを乗り越えようとする要求が出てきている。そのなかで、脱成長が新時代の理論として台頭するようになっているのである」と言い、「『脱成長資本主義』は存在しえない」と明言している。資本主義は経済成長あってこその資本主義で、「脱成長資本主義」はそもそも言葉の矛盾で、脱成長は資本主義においてはあり得ないことなのだと言うのである。「資本主義にとって、成長できない状態ほど最悪なものはない。資本主義のもとで成長が止まった場合、企業はより一層必死になって利益を上げようとする。ゼロサム・ゲームのなかでは、労働者の賃金を下げたり、リストラ・非正規雇用化を進めて経費削減を断行したりする。国内では階級的分断が拡張するだろうし、グローバル・サウスからの掠奪も激しさを増していく。/実際、日本社会では、労働分配率は低下し、貧富の格差はますます広がっている。ブラック企業のような労働問題も深刻化している。/そして、パイが小さくなり、安定した仕事も減っていくなかで、人々はなんとか自分だけは生き残ろうと競争を激化させていく。「上級国民・下級国民」という言葉が流行語になったことからもわかるように、社会的分断が人々の心を傷つけている」と。  (続く)