なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(44)

      使徒言行録による説教(44)、使徒言行録12:12-23
                   
・前回使徒言行録の記事から、ヘロデ・アグリッパ一世によるヤコブの殺害とペテロの投獄の物語を読みました。そして、この物語から、キリスト教徒に対する権力による迫害・弾圧の厳しさと、それに対するキリスト教徒である信徒たちの祈りと、主に対する信頼から生じる、見えない神の現実の確かさについて学びました。

・今日は、ペテロの奇跡的な留置場からの解放の物語をもう一度取り上げると共に、ペテロの解放を知って、ヨハネ・マルコの母の家に集まって、多分ペテロの解放を熱心に祈っていた大勢のエルサレム教会の信徒たちの喜びと、ヘロデ王の死について考えたいと思います。

・ \茲坤撻肇蹐硫鯤釮諒語。改めて留置場からのペトロの解放の物語を読みなおしてみますと、その前の、「ヘロデ王は、・・・・・ヤコブを剣で殺した」というヤコブの死についてのそっけない記述との違いが際立っているように見えます。一方、ペテロの留置場からの解放の物語は、一つの事実を粉飾して作られた奇跡的な聖者伝説になっているように思われます。

・田川健三さんによれば、このペテロの留置場からの解放の物語は、「神様のお恵みによって、奇跡的に弾圧を逃れることができた」という有り難いお話で、ペテロ自身の創作ではないかというのです。当時の留置場は賄賂がきいたところで、ペテロは留置場の監視人に賄賂を渡して、逃がしてもらったのではないかと。そうしておきながら自分の仲間たちには、事実を言うわけにはいかないので、留置場の中にいた自分に天使が現われて、不思議な形で留置場の外まで天使が導いてくれて、気が着いたら自分は留置場の外にいたというのです。そういう話を賄賂によって留置場から外に出たペテロは、みんながいるヨハネ・マルコの母の家にいく道の途中で考えて、みんなに会った時にその話をして、姿を消したのではないかと。田川さんは、これは自分の想像だと断っていますが、なかなか説得力のある説明になっていると思います。

・ペテロがヘロデ・アグリッパ一世によって逮捕されたこと、そして留置場からペテロが逃げ出したことは事実であったと思われます。田川さんが言うように、留置場の監視人に、ペテロが賄賂を渡して逃げたのか、あるいは、ペテロを案じたエルサレム教会の誰かが賄賂を渡して、ペテロを逃げさせたのかは分かりません。何れにしろ、ペテロが留置場から逃げ出したことだけは事実です。そして、ヨハネ・マルコの母の家に集まって、祈っていたエルサレム教会の信徒たちの所に寄ってから、ペテロがどこかに行って姿を隠したということなのでしょう。

使徒言行録によりますと、13章以降ペテロが登場するのは、15章の7節だけです。この15章の個所は、エルサレム使徒会議の場面で、アンティオキア教会の代表者としてバルナバパウロエルサレムにやってきで、異邦人信徒が割礼を受けなければならないかどうか協議をしたところです。その中でペテロが発言しています(15:19―20)。これ以降、完全にペテロの存在は、使徒言行録の中から消えます。前半がペテロ中心、後半がパウロ中心に最初期の教会の歴史を描いているルカの構想からすれば、後半にペテロが一度も登場して来ないのは、それほど不思議ではないかもしれません。けれども、それだけではなく、エルサレム会議以降、エルサレムの町がユダヤ主義的・民族主義的空気が支配するようになって行く過程で、最初期の教会の活動の中心が、アンテオキア教会を中心とする「異邦人」伝道に移行する中で、ギリシャ語と話すことが出来なかったであろうペテロの活動の場がますますなくなっていったのではないかと思われます。ガラテヤの信徒への手紙に現われているペテロも、エルサレムヤコブの下から来たと思われるユダヤ主義者に遠慮して、彼らがやって来るまでは、共に囲んでいた異邦人たちとの食卓から退いていき、その情けない姿をパウロによって批判されています。ペテロは、時代の進展の中で、静かに消えて行かざるを得なかった人物だったと言えるかも知れません。

・◆.茱魯諭Ε泪襯海諒貎討硫箸砲い紳臉のエルサレム教会の信徒たちは、投獄されたペテロが、牢から出て来て、自分たちのところにやって来たことを、どんなに喜んだことでしょうか。留置場を逃げ出したペテロが、ヨハネ・マルコの母の家にやってきて、門の戸をたたきます。すると、ロデという女中が取次に出て来た、と記されています。ということは、この家は相当の敷地に立っていたのでしょう。十字架を前にして行われたイエスと弟子たちとの最後の晩餐も、この家で行われたのではないかと言う人もいます。ロデは、門の戸をたたいている人が、声でペテロであることを知って、「喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペテロが門の前に立っていると、(みんなに)告げた」というのです。しかし、その家に集まっていた人々は皆、ロデのいうことを信じられませんでした。ヘロデ・アグリッパ一世に、ヤコブが剣で殺され、ペテロが留置場に捕らえられたのです。そのペテロが彼ら・彼女らの所に現われるわけがないと思っていたからでしょう。ロデの言葉を聞いた人々は、「あなたが気が変になっているのだ」と言いますが、ロデは、本当だと言い張ります。すると、人々は、「それはペテロを守る守護天使だろう」と言い出したというのです。門の中で女中のロデと人々がそのような会話をしている間も、ペテロは門の戸をたたき続けました。そのことに人々も気付いたのでしょう、彼ら・彼女らが門の戸を開けると、ロデの言う通り、確かにそこにペテロが立っていました。皆は非常に驚きました。ペテロは、留置場からの自分の逃亡を知って、自分を捕まえに来ることを予知してか、門の所で、驚く人々に手を振って、黙らせ、「主が彼をいかにして留置所から外に連れ出したかを説明して」から、「ヤコブと兄弟たちにこのことを告げなさい」と言って、そこを出て他の所に行ったというのです。

・さて、ヤコブを剣で殺害し、ペテロを捕まえて、投獄させたヘロデ・アグリッパ一世は、20節以下を読みますと、突然の死を遂げたことが記されています。しかも、「神に栄光を帰さなかったヘロデが、主の天使によって撃ち倒された」かの如くに記されているのです。ペテロが留置場から逃げたのも、天使の導きとして使徒言行録の著者ルカは記していましたが、ヘロデの死についても、ルカは同じように記しているのです。このヘロデの死については、ユダヤ古代史を書いたヨセフスも記していますが、ヨセフスはこのように記しています。ヘロデ王がカイザリアに来た理由も使徒言行録の記述とは違っていて、ヨセフスは、ヘロデ王がカイザリアに来たのはローマ皇帝の安寧を祈願する祭りのためたったというのです。その祭りには見世物が劇場で行われ、その劇場にヘロデ王が行った時の様子がこの様に記されています。

・「さて、見世物の二日目の事である。アグリッパは銀糸だけで織られたすばらしい布地で装った衣装をつけて、暁の劇場へ入城した。太陽の最初の光が銀糸に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめている人たちに畏怖の念を与えずにはおかなかった。すると突然、各方面から、へつらい人どもが ―本当にそう思ってではないが― 「ああ神なるお方よ」という呼びかけの声を上げ、そして言った「陛下が私たちにとって吉兆でありますように。たとえこれまでに陛下を人間として恐れてきたとしても、これからは不死のお方であります。わたしたちはこのことを認めます」と。
 王はこれらの者たちを叱りもしなければ、その世辞を神にたいする冒涜としてしりぞけることもしなかった。ところがしばらくして視線を上方に転ずると、頭上の上に一羽のふくろうが留まっているのを認めた。
 明らかにそれはかつての日の喜びのおとずれであり、これからの災いの前兆であった。それを悟った瞬間、彼は心臓に刺すような痛みを覚えた。しかも、その激しい痛みは前進に広がり、ついに締めつけるような痛みが胃を襲った。
 しかし、五日間にわたる腹部の痛みに消耗し切った王は、ついに54年間におよぶ生涯と7年間の治世を終えた。」
 ヨセフスの記述も使徒言行録の記述とヘロデの死については同じように理解しているようです。自分を神とする冒涜への裁きとして。
・ このようにルカは、神が救いと裁きを、ヤコブの死から始まった迫害に対しても厳然と推進される様子を語っているのです。敵対するもののあらゆる企てに対して、「主の言」の力強い前進こそ、神の勝利のあらわれであったというのです。そして、「神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのために任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて(アンティオキア)教会に帰ってきた」と締めくくっています。

・これらのルカの記述は、神主導による歴史観、信仰観で貫かれていますが、その描き方には護教的な面が色濃く出ているように思われます。現代人の私たちには、神さま万歳という、何でも神さまに結びつけて物事を見るルカの歴史観、信仰観にはついていけません。むしろ、全ての命の祝福に繋がるものと、死に繋がるものとの対立として、歴史を捕らえていく方が、私たちには受け止めやすいのではないでしょうか。ヘロデのキリスト者への弾圧・迫害は、命にではなく死に繋がるものであるから、それが神に肯定され、祝福されるとは信じられません。

・しかし、ヤコブの殺害を悲しみ、ペテロの逮捕と投獄を心配するエルサレム教会の信徒たちの思いは、命に繋がるものですから、神に祝福されるに違いありません。最初期の教会の宣教の広がりは、死が人々を覆う厳しい当時の世界に生きる人々に、ユダヤ人であろうと、非ユダヤ人(異邦人)であろうと、命の回復、解放のためにその生涯を賭けて歩まれたイエスから始まる運動への共感に貫かれていたと思われます。ルカの描く最初期の歴史は、それを神主導の歴史観というドグマによってキリスト教化しています。それはキリスト教絶対主義に通じる危険性が内包されているように思われます。

・大切なのは、神と人間、人間と人間、人間と自然が和解と平和へと導かれて行くことです。それは祝福された命の回復です。私たちは、「伝道」ということを考える時には、そのような命の回復をめざして、神と人、人と人、人と自然との交わりに、共に生きることにあると受け止めていきたいと思います。

・とすれば、命を踏みにじる原発を廃止しようという運動も、広く考えれば「伝道」と言えるのではないでしょうか。